42-俯瞰風景
薄暗闇の中で、地上が揺れているのを感じる。
ひとまずの目的は達した。あなたは一言も言葉を発さずに、地上への階段を登っていく。
長い、長い、地の底とをつなぐ道を、黙々と。
気をつけることと言ったら、地面を彩る血に足を滑らせないことくらい。慎重に、けれども先を急ぎつつ、あなたの目は蒼銀どころかクレアたちの姿もない上段を見つめていた。
――いやな予感がする。
やがて階段は終わり、建物から外に出る。『……静かだ』。地上に出たあなたの第一声は、それだった。
実際、先程まで行われていた戦闘の音も、人の歩く音も話す声も、それどころか風などの音もない。
――息が詰まる。静まり返っているのに、耳が痛い。
血濡れた街の風貌と相まって、ここが現実なのかと疑いたくなるほどに不気味な世界に、あなたは立っていた。
『――』
あなたの表情は、気を強く持ちながらも不安げで弱々しい。
――何も起こらないのに、押し潰されそうになる。
――現状危険はないのに、心が勝手に折れそうになる。
そんな気持ちどうにか奮い立たせるように、あなたは声が街に響くのも気にせずつぶやいた。返事はない。
物音も生まれない。
きっと、この行為に意味などないと、わかっていたはずだ。
それでもあなたは、懸命に声を張り上げる。
不安を紛らわすために、恐怖をごまかすために。
侍ほどではなくとも、頼りになると実感した騎士と合流するために。
『――』
どうしょうもない焦燥感が、胸を占める。
浅い呼吸に、垂れる汗。世界はこうも、美しい。
『――、――!!』
さて、どれくらい歩き続けただろう。
あなたの目は、突如としてある一点に釘付けになった。
足元には、緩やかに広がる赤い絨毯。
踏みしめられて揺れる波紋は、恐れを表すように小刻みで。
絶え間ない衝撃を、水面に映していた。
相変わらず、音はない。
風の音も血が滴る音も、誰かの歩く足音やあなた以外の呼吸音すらも。
だからこそ、脳髄を走る悲鳴は鮮烈だ。
どこか遠く、水中にいるようにおぼろげで不確かな叫びは、小さく漏れ出た声を耐え難い騒音に変えてしまう。
『ッ――!!』
蒼銀がいた。肌を黄金色に変えたまま、虚ろな顔で壁にもたれかかっている。その顔は輝かんばかりの生気に満ち満ちており、故に生気を感じない。
血だ。
随所に黄金がコーティングされた彼の体からは、一滴の血も流れていなかった。死因が何であるのかさえ、理解できないくらいに。その彫像は、ただひたすらに美しい。
血が流れている。
視線が揺れる。体が震える。全身から嫌な汗が流れて止まらなくなる。だが、どれだけ否定しようとも、事実だけは変えられなくて。
『シャノン』
呆然とつぶやくその声が、あなたの脳を叩くように響いた。
流血がないなら死因はなんでしょうか?
今も広がる、この真っ赤な血は。
誰から、どこから、溢れたのでしょう?
駆け寄るあなたの目には、よりはっきりと惨状が焼き付く。
硬直した体。地面を隠す赤い絨毯。真っ白い顔は石みたい。
怪我はどこにも見当たらない。なのにもう、肉塊でしかないのだとわかる恐ろしさ。黄金は綺麗な死に化粧。
触ってわかる。これにはもう、きっと中身がないのだと。
持ち上げる。背負う。泣きたくなるほど軽い肉。
なのに固く張り詰めた矛盾。
硬直は死によるものか、黄金化によるものか。
では、重いはずの人体、黄金はなぜ軽いのか。
……それはただの抜け殻だ。
中身が奪われているから、皮の脆さを黄金が補っているから、人の形を保っているだけだ。
もはや人形としか呼べないそれを、あなたは黙々と運び続けた。隠れ家に向かって。引き返せない苦難へ向かって。
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また、嫌な夢を見た。その場にいなかったのに、実際どうかもわからないのに、クーリエがアズールに殺される夢を。
見てもないし、殺した訳でもない。
それなのに、手に感触が残るみたいだ。
転がる頭。風船のように弾けるグロい音。
細切れになった体は、一つ一つから赤が滲み出していて。
バラバラで不統一な欠片が、よりリアルな質感を感じさせる。気持ち悪い。
『――ん。――くん!』
あぁ、誰かがオレを呼んでいる。
高い声が耳障りだ。イライラする。
今すぐ黙らせたいくらいに。
でも、それは善いことじゃない。
みんなに石を投げられる行動だ。
だから、やらない。
向けられる嫌悪も、その行動自体も、あんまり好きじゃないから。でも、思うくらいは自由だろ?
人の助けになれば、オレは居場所はもらえるはずだ。
「ベルくん!」
「はっ!!」
目が覚めた。ぼんやりとした意識からも逃れた、本当の意味での目覚め。オレは、どうしたんだっけ。
視線を上げると、今にも泣きそうな師匠の顔があった。
苦しげに顔をゆがめて、悲しげに目と口の端を下げて、雫が満ちた瞳で見つめている。
あぁ、耳障りな声はこの人のもんだったのか。
……そうだ、オレは城から飛び降りたんだ。
ようやく、殺され続けるループから解放された。
いやだな。死にすぎて心が荒んでるのを実感する。
「モルジアナは?」
「え? 救出できたけど……そんなことより!
ベルくん、戦ってきたの!? クレアに言われたのは城に行くことだけ。敵から襲っては来なかったでしょ?
わざわざ危険を冒す必要はなかったのに……」
師匠は珍しく動揺している。いや、ペンダントを盗まれた時もだったし、そう珍しくはないのかもしれない。
まだ長い付き合いじゃないから、オレにはわからない。
どちらにしても、本気で悲しみ、怒り、感情を顕にしていることはわかる。わかるから、気付いた時には目を逸らしていた。
「……別に、あんたに止められてないし」
オレだって、もちろんそんなことわかってた。
でも、あの圧は、異物感は、どうにも落ち着かなくて。
街が、オレたち全員が、今にも殺される感覚を覚えて。
自分にできることを、したかったんだ。
だから、オレを信じて判断を任せたあんたに、何か言われる筋合いはない。そう思っていたのに、目の前で起きた変化につい視線が吸い寄せられる。
「あんたって、え? もしかして、あなたも酷い思いをしたの? あたし、また上手くできなかった……?」
オレを見つめていた目が、不安定に揺れ始める。
腰付近の下にある膝が、上体を支える腕が震える。
今まで、こうなった人を見たことはないけれど。あまり良くない状態だというのだけは、なんとなくわかった。
どうしていいかわからず、戸惑っていると、視界の端にいたモルジアナが落ち着いた声を投げかける。
「落ち着きなさい、シエルさん。
その子はあなたの弟じゃないでしょう?」
「でも、あたしは一番年上で、保護者で……」
なおも不安定な師匠は、声も泣く一歩手前みたいに震えていた。見てるこっちが、聞いてるこっちが苦しくなる。
どうやら、思っていたよりも負たんになっていたみたいだ。考えてみれば、当たり前。
リチャードみたいな問題児に、見ず知らずのガキの面倒まで見なくちゃいけないんだから。
師匠だって、イヤに決まっていた。
なんで、そんなことに気が付かなかったんだろう。
「子どもに負い目を感じさせてはダメよ」
また、モルジアナが何か言っている。
負い目……? 当たり前の、話じゃないか。
「あなただって、決して大人ではないんでしょうけど。
大きくなる前に植え付けられた悲しみは、成長の礎になってしまう。何か思うところがあるのなら、あなたは、この子たちが安心できる場所になってあげないといけない」
何を言っているか、わからない。
わからないから、思考を手放すことにした。
きっと、リチャードは来るから。
師匠と同じように、あいつを信じることにした。
その時、助けになれるように。オレは擦り減った心を……




