38-ブラッディナイトメア
同刻。ベルとアリババは、城の最上階に舞い戻る。
扉の前に立ち尽くし、先ほどとは比べものにならない圧迫感に震え、顔色を悪くしていた。
「……フレイ連れてこなくてよかった」
「そりゃそうだ。時間置いて殺されてねぇなら、あいつには殺す価値がないってことだぜ。弱ってんのに連れてくる方が寿命が縮むってもんだ」
階段を登っていた時点で、彼らの足は着実に重くなっていた。明らかに、疲れ以外で呼吸が乱れ、時折膝もついていたくらいだ。
負傷者を連れてきては、それだけで死んでしまう。
そこまでいかずとも、最も危険な場所に間違いはない。
強がるアリババに頷き、ベルは呼吸を整える。
「助けるだけが正しい訳じゃないってことか。取りあえず今は玉座に集中よう。この感じだと、女王は絶対中にいるぞ」
戻ってきたクレアに殺されるかもしれない。
戦いの余波で城が倒壊し、巻き込まれるかもしれない。
不安要素は無数にあるが、考えても仕方がないし、この状況でどうにかできもしない。ベルは迷いを振り払うように断言し、思考を自らの生存に切り替える。
「クレアは迎撃準備、カーボンは蹴り落としてどっか行った、アズールは……あいつはなんだ?
……あー、まぁよくわかんねぇけど追ってこねぇ。
絶対とまでは言えねぇが、ほぼ確ってとこかァ」
どれだけ楽観的に考えても、女王はいる。
一度は立ち向かおうと攻め入ったベルだが、いざ直面すると尻込みしているようだった。
『生き残れば勝ちだ』『なら戦う意味はあるのか?』
『何のために剣を取っているのだろう?』
『誰を助けようとしている?』
――ブライヤ以外、誰も望んでいなかったのに
振り払おうとした迷いは断ち切れず、浮かぶ思考に心が陰る。前を見据えた視線は落ちて、親とはぐれた子どものようだ。
「この部屋に戻れ、とは言われてないけど。
下にいたら、リチャードが来るのを待ってくんないのかな」
「いや、別に待ってくれてる訳じゃねぇだろ。潜伏中も散々追い回されたぞ? まだ生き残れてんのは、クーリエが隠れ家を用意してくれてたからだ。それに……
今まではコイツがいなかった。どの道もう無理だ」
勇ましく笑うアリババが、ガンギマっている目を見開き宣告する。その先にそびえ立つ扉は、何も変化していないのに中から血が滲み出てくるように見えた。
「わかってるよ。聞いてみただけ。覚悟はいいか?」
「なきゃ盗みに入んねぇだろ」
なぜさっきはいなかったのだろう?
どうしていきなり現れたのだろう?
いくつも浮かぶ疑問を飲み込み、ベルたちは禍々しく荘厳な扉を開けた。炭酸飲料のように、破裂音と共に液体を吹き出しながら。
~~~~~~~~~~
辺りは暗く、建物の類いは見えない。
ざわざわと揺れる木々だけが、不気味な呼吸を鳴らしている。
――夢を見ている。
木々は倒れ、それを踏みしめ踊るは炎。軽やかに木っ端に燃え移り、逃げ場を奪っていた。
――夢を、見ている。
城の最上階にいたはずのベルは、気付いたときには見覚えのある森のなかにいた。他に生き物はいない。
アリババすらどこにも見当たらず、1人で立ち尽くしている。
「この感じ、またあの悪夢か……?」
見回してみても、あるのは木々と炎、あとは照らされ生まれる影のみだ。炎は際限なく手を伸ばし、付随した影もそこら中を駆け回っていた。そのうちの1つが、唐突に肥大化し、光源に反して目の前に降ってくる。
「殺されうなされバンババーン!
俺様はナイトメア。よろしくちょ」
正真正銘の鬼を思わせる角に、月のような曲線を描く目と口をした仮面。黒い道化師のような服装で、コミカルな動きをするその姿……チラッと見かけただけでも脳に焼き付く衝撃だ。忘れられるはずもない。魔王種、ナイトメアが現れた。
「お前、この前の変な夢の!」
「ナイトメアTV、はっじまっるよー!
よい子のみんなー? 泣き叫ぶ準備はできたかなぁ?」
揺らめくダンサーに囲まれて、ナイトメアは全身を波打たせて呼びかける。明るい口調、子ども向けな語彙とは裏腹に、内容は残酷だ。
「は……!?」
「さぁ、レッツパーリィ!! fuuuu〜!!」
戸惑うベルを置き去りに、悪夢の世界が始まった。
「なぁっ!? お前は!!」
影は集まり1つの影に。毛穴から火を吹き出す熊が現れる。
始まりの試練。故郷の村で立ち向かった魔獣。
ある意味、旅に出るきっかけとなった炎が、彼の目の前にそそり立っていた。
「オスハ、クイゴタエアル」
「試練の時間だぜ、チェリーボーイ」
煽りながら跳躍するナイトメアが、開戦のゴングだ。
口元から炎をこぼす熊は、初っ端から体を炎に変えてベルに迫る。巨体による不利はない。
元より素早い移動は、蛇の如く間を縫い進む繊細さを得ていた。障害物など、なぎ倒すまでもなくすり抜けている。
あらゆる場所が熊の道だ。見失うことは期待できない。
狙いもまた正確で、実体化した凶暴な腕が小さなベルを真っ直ぐ捉える。
「? コイツ、ナンダ?」
首を消し飛ばすかに思えた熊の爪だったが、それがベルまで届くことはなかった。なぜなら、彼らの間に銀の盾が生成されていたから。
「"汚れなき蒼銀"
お前の攻撃なんて、もうこれっぽっちも受けねぇよ」
ベルは左肩に触れた右手を伸ばし、盾を錬成する。
強度は十分。炎と化した熊の腕を完璧に防いでいた。
もちろん、防いだだけで満足はしない。反対の手で魔導書を開くと、両足に炎を灯して思いっ切り屈む。
動きを止められたなら、盾への意識は不要だ。
掲げていた右手を背中に回すと、銀剣の柄に手をかける。
「"イグニッション"
今さらお前に苦戦するかっての!」
炎の爆発を推進力に、ベルは盾を突き破り熊へ斬りかかる。
肩口を大きく斬り裂かれ、傷口を銀へと変えられた熊は、火をかき消すほどの悲鳴を上げた。
この隙を逃さんと、ベルは爆炎を利用し空中を蹴る。
辺り一帯が彼の足場だ。あり得ない動きで舞い戻った少年に、熊は反応できない。傷の反対側から斬られ、大木のような太い首は呆気なく宙を舞った。
「キャー、すごいすごい! 人が魔獣を容易く殺しちゃうなんてねーえ。それも1人で。あたしが褒めてあげちゃうゾ☆
てーことで、ほい次ぃー」
「はぁ!?」
巨体は倒れ、首は落ちる。試練は突破だ。
しかし、ここは何でもありの夢の中。
重い音が響くと同時に、飛び散った肉片からは先ほどの熊が十数頭に分裂して現れた。
着地したベルは、驚愕に目を剥きながらも、爆発で体を支えて瞬時に身構えている。
「ズルだろそんなの!!」
「おいおい、試練があの熊と僕は言ったかい?
苦難を乗り越えたからって、明るい未来が来ると誰が保証できる? 現実は非情なものだよ少年」
現れた熊は、やはりすぐさま炎に変わる。
不安定に揺れ動き、複数が重なることで、もうベルには実体など捉えられようはずがない。
「てことで、バっハハーイ!」
目口の三日月を怪しく光らせ、ナイトメアは大仰に手を振り笑う。渦を巻く炎に逃げ場はない。無数の爪を防げはしない。盾も足りず、間に合わず、ベルは全身をズタズタに焼き裂かれて悪夢で死んだ。
~~~~~~~~~~
「はッ!!」
痛いほど鳴る心臓を押さえ、飛び起きる。
夢から醒めた。それでも胸の早鐘は収まらない。
嫌な汗を流し、荒い呼吸を繰り返し、隣に倒れ伏すアリババを、そして目の前の玉座に座るモノを、呆然と見上げる。
見えない。わからない。捉えられない。
いるとわかっているのに、明らかに危害を加えられているのに。それは、1つの芸術品のように部屋と調和し、穏やかな存在感を放っていた。
「こんにちは、御機嫌よう。気分はいかが?」
体を支える手に、ドロリとした感触が残る。
重く、濃厚な鉄の臭い。血だ。床に敷かれたカーペットは、すべて彼ら自身の。
「オレたち、たしか爆散して……この血……
なんで、生きてんだ……?」
「うふふ、立ち上がったってことでいいのよね?」
「ッ……!!」
全身が泡立つ。魂から警告を発する。
混乱などしている場合ではない。今から迫るのは、再びの死――
「あなたは何回、わたくしを楽しませてくれるのかしら」
真っ赤な目が射抜く。ベルの全身を、内側の肉を、その身に流れる血流を。
「――!!」
皮膚が波打つ。骨が軋む。
筋肉を引き裂く血の爆発が、最後、かすむ視界に噴き出していた。




