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エターナルブレイバー  作者: 榛原朔
3幕 誰にとっての悪なりや

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36-女王は詠う、英雄の詩篇を

玉座が主を迎える、数分前。

かすかに震えるシスイの目の前に、それはいた。


「……」


空に立つシスイは、無言で眼下を睨む。

揺らめいているのは、漂う血液が生み出す影だ。

段々と人型になるそれを、彼女はただ見ていることしかできなかった。


「あれ、が……」


最初、それは黒かった。まさに影であると一目で分かる姿をしていた。だが、形を持ってからは違う。

虚構でなくなった以上に、本質からして別物だ。


――曰く、其は血である。己自身として人々の血を支配し、生きた魔城を築き上げた。命ある場所すべてに遍在し、生者である限りその目からは逃れられない。


「いや、君が……?」


街中から、鮮血が螺旋状に揺蕩う。空を覆う銀河のように、中央に集まり脈打っている。

それは、赤。何よりも赤い、生命の根源たる恐怖。

本能を呼び起こし、興奮を煽る、獣たちを生かす法。


それらは笑う。靭やかな肉体を形作って。

荘厳なドレスを揺らめかせて。


それは立つ。最初からここにいたかのように。

街が形を持ったかのように。


――もう一度言おう。其は、血である。

生死を司る血命の具現にして、生命の法。

生物の死因にして、生存を許す命の支配者。


「こんにちは、御機嫌よう。気分はいかが?」


其は笑う。名君のような微笑みを湛えて。

真っ赤なドレスの裾を持ち、人よりも人らしく。


「最高、かな」


地上に降り立ち、シスイも口の端を持ち上げる。

目の前にいるのは魔王種か? いや違う。

では、魔王種を従える実質的な魔王? それも違う。


立場だけではない。規格自体、十分過ぎるほどだ。

故に――其は、紛れもなく魔王そのものである。


十二の暗雲にならず、人界で気ままに生きる血の魔王。

女王スカーレット・ヴァン・ルージュは、今この瞬間、遂に地上へ顕現した。


それでもなお、シスイは不敵に笑う。

この街に来て初めての重圧を受けて、膝を曲げているが。

心屈せず、正面からその姿を見続けていた。


「あぁ、絶望しているのね?」


にも関わらず、スカーレットは断言する。

直前のセリフとは、その姿とは、真逆としか思えない心情を。


目を丸くしたシスイは、さらに深く膝を折り、地面につく。

弱々しく目を細め、覆しようのない現実に笑みが漏れる。


「ふは……」


――これは、だめだ。本当にどうしょうもない。

ベルくんが、シャノンが、クーリエたちが、誰一人相手にならない……以上に。僕ですら、話にならない。


相性の問題はある。戦場の不利もある。

けど、仮に対等な立場で戦ったとしても、多分無理だ。


「ははは……」


笑う。笑う。笑う。それ以外の感情を忘れたように。

他にできることがないかのように。

シスイは壊れたように笑い続ける。


神秘とは……人を超えた者とは思えない姿に、スカーレットは憐憫の視線を向けていた。命を刈り取るように手を伸ばし、血が集まり――それらすべては、斬り伏せられる。


「あぁ、やっと死ねる」


シスイは笑う。絶望ではなく、喜びを瞳に湛えて。

無言で小首を傾げていたスカーレットは、心底不思議そうだ。


「おかしな子。死にそうな場所へ向かえど、実際に死ぬような場所へは行かないのではなかったの?」

「聞いていたのかい?」

「中だけ把握していても守れないでしょう?

城の眼前でしていた話くらい、把握していますわ」


【一度足を踏み入れれば、誰であれ彼女の目を逃れることはできない。一挙手一投足が把握され、血命を握られる】


なんてことはないといった様子で、スカーレットは噂を真実だと知らしめる。より深い絶望を突き付けられるシスイだが、洗練された動きで納刀し、ゆっくり立ち上がっていた。


「あの子の手前、あんな事を言っただけだよ。

色々と、責任があったからね。

実際はただ、本当に何があっても死ねなかったんだ」


なおも怪訝そうなスカーレットに、攻撃してくる気配はない。地面から生えてきた血の椅子に座り、頬杖をついて歓談の構えだ。


「誰よりも死を願い、死地へ向かい、それでも生き残り続けている。巻き込む人がいなければ」

「あら意外。死なんてものを望むのに、気遣いはあるのね」


故にシスイも、対話に応じる。

遠慮なく踏み込んでくるスカーレットに、眉尻を下げながら言葉を紡ぐ。


「なんて、と君は言うけれど。死そのものは悪ではないし、自死も否定されるべきものじゃない。他人にとって害がある訳でもないしね。たとえ家族だって、悲しく思ったとしても危害を加えられる訳じゃないんだ。

救えないなら、縛り付けるのはむごいだろう」

「人間らしい、面倒くさいエゴ」


他人事のように、小馬鹿にしたように。スカーレットは餌の思想を面白がって笑う。身構えても、気を張ってもいないのに、隙はどこにもない。


「そうかもね。だから、自分で選んだ道じゃない死を、人は否定する。僕を知る者なら、どの口が、と言うかもしれないけどね。他者に害された死、選ばされた死は正しくない」

「それが、私たちを悪とする理由?」


ピン、と。緊張の糸が張る。

穏やかに微笑むスカーレットに変化はない。


前屈みに頬杖をつき、優雅に在り続けている。

それなのに、どうしようもない淀みを、シスイは感じていた。


「血を失うことは危険で、血を奪うことは害することだ。

己一人で完結するならばまだしも、他者に被害がある時点でそれを正しいなどと言えるものか」


空気中の血が、増している。より赤く、重く、停滞しているそれらに屈さず、シスイは真剣な面持ちで断言する。


「家畜だ食事だと君は言うけれど、対等に話せる時点で弱肉強食からは外れている。生存競争だなんて言えまいよ。

故に……君たちの食事は、悪事だ。

少なくとも、餌たる我ら人類にとっては」


重圧を断ち切るように、シスイは刀を抜いた。

半月状に伸びていく斬撃は、女王の世界を切り裂き澄み渡る水面を映す。


真っ二つにされた赤の中で、スカーレットはその境界を指でつついて小首を傾げていた。


「餌、ね……それならあなた、大人しく食べられてくれたらいいのに。死にたいのでしょう?」

「抵抗しなければいい、と思うのかい?

残念だけど、君も知っての通りそんな簡単な話じゃない。

神秘に成った以上、自分で自分を殺すことはできない。

誰かに殺してもらうしかないんだから。

そして、誰かに命を奪われるためには、戦わないと」


だから、大人しくしていれば殺してあげられるのに。

無言で眺め続けるスカーレットは、そう言わんばかりの表情だ。


そんな女王を前に、シスイは目を閉じる。

彼女は水。彼女は炎。血を抜き錆びさせる蒼銀の重み。


「生き物っていうのはさ、結局のところ、どれだけ死にたいと願っても苦しければ手を伸ばしてしまうんだ。

だから、僕は生き残り続けるのさ。誰よりも、何よりも」


彼女という神秘は、(よろず)の火を持つ無限の刃。

複雑な圧を放ち、空気を歪ませ敵を見据える。


「あら、おしゃべりはもうおしまい?」

「死は須らく我が延長に。故に僕は、手を伸ばすんだ。

その果てにある死を、生を、掴むために」


相も変わらず、スカーレットは動かない。優雅に座り、頬杖をつき、微笑みを湛えて英傑を見る。


それは、勇士と呼ばれるもの。人を超え、けれど魔王に立ち向かわないはずだったもの。しかして現在、シスイは魔王に相対す。重圧が高まり、意識が研ぎ澄まされる、極限の中に立つ。


「……」


ゆらりと。水面がさざめくように自然と彼女は走り出す。

その背には水龍。口元に炎を揺らしながら、銀の鱗に覆われた体で重力を掴む。


――僕はついに、死ねる。ここでなら、この相手なら、今までとは違って、ちゃんと死ねる。


――何十年も彷徨った。何百年も生き長らえた。

それらすべてを、覚えている訳ではないけれど。

始まりだけは、鮮烈だ。


波は広く揺らぎ渡る。水のある場所、隅から隅まで。

この街でそれを遮るのは、ドロリとした血塊のみだ。

その理を示す血の権化は今、目の前にいる。

禍々しくも麗しい、血の女王が。


――僕はただ、この世界を愛していたんだ。

美しいこの世界が、愛おしくてたまらない。

たとえ僕を傷付けるようなものであっても、この世に生まれた時点で美しい。僕はそれを悪と断じず、受け入れるだろう。故に僕は、あらゆる殺意でこの身を染める。


迫る。すべての獣を愛するモノに。

向ける。命を損なうための凶器を。


――願わくば、どうか僕も自然に生まれた生き物として、世界に寄り添い眠りにつけますように。


ではその願い、わたくしが叶えて差し上げますわ。


「……!?」


驚きと共に刀を振り抜く。軌道はブレていたが、軸は変わらない。それなのに、刀はスカーレットをすり抜けていた。

彼女は血の蝙蝠となって霧散している。当然手応えはない。


だが、もはやシスイに意識を向ける余裕はなかった。

うちから響いた声に硬直し、頭を押さえて立ち尽くしているから。


「体の、中から……!!」

「わたくしは血、わたくしは命。ずいぶん驚いているようだけれど、あなたの中に血は流れていないの?」


内側から語りかけるなんて、当たり前のことよ。

あなたの中にも、わたくしはいるのだから。そうでしょう?


「だけど、能力なら僕はコピーでき‥」

「死んでいないのに?」


顔を上げて反論するも、すべて見透かしたような目によって制される。赤く、底知れず、遍く命を感じる瞳。

それは脈打つ。螺旋を描くように、吸い込まれるような幾何学を描いて。ドクン、ドクンと命が揺れる。


「ぐっ、あ……!!」


同時に、シスイはボコボコと波打つ体を抱いて、苦しみ悶え始める。攻撃は受けていない。外傷は一切ない。

しかし、その内側が。動物では逃れようのない血の暴力が、彼女を苛んでいた。


安心して? わたくしが殺してあげる。

望みを叶えられるように。神秘が染み込むように。


「だ、まれッ……!!」


"あなたは赤く(レアリテ・)染まった名画(オドゥラ)"


言葉を遮れないように、抵抗もできはしない。

不可解に蠢いた体は、やがて一気に弾けて鮮烈な赤を世界に塗りたくる。暴発したのはあくまで血。

残りカスの肉体は、動力を失い地面に転がっていた。


「あぁ、とても美しいわ。英傑の散る様は、こんなにも」


だから――


「次の挑戦者を、お待ちしております。

吸血鬼という悪を、打倒せんとする勇者を……ね」


溶けるように、景色が変わる。

赤い霧が取り払われた後、街は玉座の間へと変貌していた。

コツコツ……と。玉座についた女王の足元には、血まみれで干からびるシスイ。魔王は、勇者の訪れを心待ちにしている。



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