30-吸血鬼の女王は
「……!! なん、で……!?」
思いも寄らない光景に、音が漏れる。
街とは違う、血痕の1つもない清潔な玉座の間。
その最奥に鎮座しているべきものは、誰もいない。
主不在の空の玉座を前に、ベルたちの思考は止まっていた。
「んー、こいつはおかしいぜ。
女王はなぜいねぇ?」
「玉座の間であることは、疑いようもないと思うけど」
敵がいないのなら、身構えているだけ体力の無駄だ。
警戒はしつつも、アリババとフレイは力を抜いて奥へ進む。
未だ動かぬはベルだけだ。彼だけはその場から動かず、何事か必死に考え込んでいる。
『まずは情報共有といこうか』
思い起こされるのは、地元民だと言うシャノンの言葉。
カーボン、アズール、クレアの情報が、あの時彼の口からは伝えられた。
――錆山は街中から生まれ、銀を砕く。
錬金術で創り変えている銀はともかく、街を濡らしていた血なんて限りがあるはずなのに、勢いが衰える気配はない。
『いや、これは彼だけの力じゃないんだ。
彼自身の力は、ただ血を固める……錆びさせるだけ。
多分、この街の空気には血が混じっているから、範囲がおかしくなってるだけだよ』
1つ、ベル自身の目で見た錆の街。
――一瞬にして、空気が冷えた。
赤い空は青白く、その身を流れる血を失う。
同様に、若干青ざめるクーリエは、立ち眩みを起こした様子でふらつき、膝をついている。
「あなたの能力は、触れた相手の血をすべて抜き取ること。
触れることができなければ、何もできないはず」
「そうね。でも、別に無理してすべて抜く必要はないじゃない? 緩やかに、広く、触れることなく抜くことも可能よ。
そして、血の気が引いた世界は、熱を失うの」
1つ、ベル自身は知る前に見た、吸血の極致。また、もはや生きて詳細を知る者はいない、謎に包まれた冷気。
『あれ? スカーレットは?』
あの日、三吸傑の力を聞いたベルは、続けて聞いた。
多くの異名を持っている女王は、一体どんな力を持っているのかと。
『え? ……なんだったっけな』
『はぁ!?』
故郷やギルドで、多くの言い伝えや伝説を聞いてきたというシャノンは、答えられない。最も警戒しなければならない脅威のはずなのに、アルゲンギルド最強の術師が知らない。
能力も、顔も、姿形も。
「……」
どんどん顔が険しくなっていくベルは、玉座の間を漁るアリババを見る。現時点で、唯一女王と対峙したことがある男を。
「なぁ、アリババ!」
「あぁん?」
「お前、一回ここに盗みに入ったんだろ?
女王スカーレットって見たか? どんな奴だった?」
バタバタしていてタイミングがなかったが、アリババは以前盗みに入ったからこそモルジアナを捕らえられた。
伝聞よりも確かな情報を持つ数少ない人物だ。
真剣な声色で問うと、彼は物色をやめて考え込む。
顎に手を添え、首を傾げ、じっくりと思い返す。
「……見た。見たはずだ。けど、なんだろうな。
まるで思い出せねぇ。見た目も、どうやって劣勢になって、一度逃げたのかも」
「っ……」
シャノンの知識も、アリババの経験も、スカーレットの姿を映さない。徹底的な情報統制、もしくはその情報自体がわざと流されたものか。
――刃に撫でられ、血が滲む。トロリと溢れる甘露な蜜は、思わず手を伸ばしたくなる金色だ。
『君が割り込まなきゃもう斬ってる。
悪いけど、あの子に手を出させる訳にはいかなくてね』
流れる黄金は盾となり、それ以上の斬り込みを許さない。
背中合わせ、言葉を交わしながらでありながら、彼女たちはせめぎ合っていた。
1つ、ベルが伝え聞いた、その身に流れる黄金の血。また、万物を生む万能の源泉。
あり得る話だ。それを可能にするだけの力だ。最も捉えどころのない神秘の力を思い返し、ベルは言葉を絞り出す。
「……本当にいるのか? 女王スカーレットは」
――クレアがつまらなそうにステッキを鳴らすと、視界を占めていた数え切れないほどの黄金生物たちが動き出す。
人が太刀打ちできない黄金の濁流は、街を破壊しながらベルたちを飲み込まんとする。クレアの造物は命を持つ。意思を持つ。濁流に見えても、軌道など読めようものか。
2つ、その目で見たより精密な創造……人が生み出した錬金術。
ベル自身も、使い方だけ学んだ魔術の頂点に君臨する力が、玉座の間に吹き荒れる。
「っ!?」
玉座の間には、絵画などの芸術品はない。
あるのは玉座と、四方を囲む壁の隙間を埋める窓。
その窓から、押し寄せてくるまでもなく。壁が3方向から粉々に砕かれ、黄金と共に3つの色が部屋に染み込んだ。
「スカーレットちゃんはいない。この世界のどこにも。
どうしてかわかるかい?」
黄金のドラゴンに乗ったクレアが問う。
シスイと戦っていたはずなのに、スーツにもシルクハットにも、武器として使うステッキにすら汚れはない。
横向きで優雅に腰掛け、怪しげに微笑んでいた。
「答え言ってんじゃねぇか。女王はお前が創った虚像なんだろ? 答えは存在しないからいない、だ」
動揺しつつも、瞬時に臨戦態勢になるフレイは、黄金のペガサスにまたがるアズール。
アリババは黄金の鳥に乗るカーボンと対峙する。質問に答えるのはベルだ。その返答に、クレアは厳かに目を閉じる。
「残念ハズレ。答えはないけど、あえて言うなら……
どこにでもいるから、どこにもいない」
「……はぁ?」
「わからないなら、勝ち目はないね。下らない実験にも興味はない。蒼銀の錬成も、ここで幕引きにしようか」
立ち上がったクレアは、またも軽く頭を下げる。
シルクハットを握る手が、空気を揺らす。
その揺れにより、世界はじわじわと金に染まりゆく。
「この街は平和なんだ。
余計なお節介がなくてもね、侵入者」
床が金に染まる。壁が金に染まる。空気が金に染まる。
しかし、空気に含まれる血の赤と、女王の玉座だけは。
依然として、鮮烈な真紅を冠していた。




