28-視界はかすみ、死影を映す
赤い世界に火花が弾け、視界を無数の物が埋める。
ここは吸血鬼の国カルミンブルク。
しかして現在、一帯を支配しているのは――
「あなたを本気で殺すわ。足止めに残るって、別に殺す気がないって意味じゃないもの」
アズールを吹き飛ばしたクーリエは、どうにも攻め切れない相手を鋭い眼光で射抜く。彼女の意思に呼応するように、宙を浮く商品たちは震え出していた。
それらはもはや、視界を遮るためだけのものではない。
決して油断できない、敵性個体へと変貌している。
「できるものなら」
しかし、ふわりと着地するアズールは平静そのものだ。
実質、世界が敵になったと言える状況においても、欠片も取り乱さない。鎌で華麗な弧を描き、片手で優雅にカーテシーをして見せている。
当然だ。攻め切れていないのは、限界があるのは、クーリエの方なのだから。苦虫を噛み潰したような顔をした彼女は、振るった斧で空気を揺るがせながら言葉を紡ぐ。
「才無きものに道はない。知らず、わからず、選べず。
伸ばした手はただ虚空を泳ぐ」
瞬間、消えたアズールは彼女の背後に。
青白い凶刃が、音もなく首を狙う。
「故にこそ、必要以上の重責を担おう。
道なき道を私は進む。
背負え、比類なき偉業を。繋げ、弱き者の意志を」
「……?」
迫る刃は、奇妙な浮遊感を以て空を切る。
空飛ぶ品はぶつかっていない。巨大な斧も阻んでいない。
だがその刃先には、見覚えのない魔法陣が張り付いていた。
「我は希望を運ぶ商い人。世界の重みを止める肩」
それを飛ばしたであろう指先を鎌に向け、クーリエは告げる。不完全な魔法陣は形を結んだ。より強力な重力変化を受けた鎌は、腕を持ち上げ無防備な胴体を曝け出していた。
「軽いと言うより、飛び立っている。
けれどこの程度、やろうと思えば簡単に‥」
「力尽くで引き寄せられる? でも残念。
矮小な人間相手でも、隙を見せれば斬られるのよ」
逆向きの重力に抗おうとしたアズールだったが、伸び切った腕をすぐに戻すことはできない。曲げられたのは途中まで。
中途半端な位置にある腕を掻い潜り、斧は素早く彼女の首を切り裂いている。
「神秘に寿命はなく、ただの攻撃ではダメージもない。
たとえ首が飛んだとしても、消耗なく再生してしまう」
「……」
とはいえ、両断まではいかなかった。
深く切り裂くことには成功したが、首は繋がっている。
血は溢れ出しているものの、アズールは軽さを利用して飛び退ってしまう。
その時にはもう血は止まり、傷もゆっくりと治り始めていた。窪んではいるが、この暗がりではケガの名残りは地面に滴る血痕だけだ。
クーリエも深追いはしない。気を抜けない。
さっと斧を払うと、淡々と言葉を投げかけ続ける。
「でも、攻撃が神秘によるものだった場合。神秘でなくとも、宿っていた場合。人並み以上の自己治癒能力はあれど、治りは遅く、相応の傷が残る。また、再生できたとしても、ダメージに応じた消耗もある」
「……詳しいの、ね」
なかなか治らない傷を押さえ、アズールは呟く。
手に中にある鎌は、時に浮かび時に沈み込み、不規則に彼女の手を振り回していた。
その原因は張り付けられた魔法陣だ。
魔術師ではない以上、アズールに解除はできず、直接付いているため削りでもしなければ取れもしない。
有利な状況にもっていけたことで、クーリエは満足そうに唇の端を持ち上げていた。
「私を誰だと思っているの?
世界を旅する以上、それなりに学んでいるわ。
そもそもの話、私アビゲイル魔術学院の卒業生だし」
話の合間にも、攻撃は止まらない。
クーリエが指を向けると、鎌どころか空中を浮かぶ物すら意思を持ったかのように飛び始める。
品物には本や雑貨から家具、武器まであった。
生物であれば、それだけで危険な環境だが……
神秘であるアズールには、それらがぶつかった程度で大した意味はない。物は神秘をまとっているが、当たるのはあくまでも重力ではなく物なのだ。
殴打されても切り傷ができても、たちまち治ってしまう。
だが、まったくの無意味なのかといえば、そんなこともなかった。
より視界が不確かになることに加えて、少なからず入るダメージや行動への影響。かすかに鈍る動きを見逃さず、クーリエは斧を振るう。
「神秘はどのように殺せばいいのか。
悔しいけど、そんなものに答えはない。ただ、目安はあるの。私たちはそれを、存在値と仮称している」
ブレる鎌を躱して腕を切る。後退する背にタンスが当たり道を阻む。追撃と同時に飛ぶ長剣を操り、挟撃を行う。
触れさえすれば必殺の力を持つアズールだが、そこまでの道筋はすべて己の技量次第だ。擬似的に世界を変えたクーリエを前に、為す術はない。チクチクと削られ、ただ再生で凌いでいた。
「山はどれだけ崩せば山でなくなる?
川はどれだけ埋めれば川でなくなる?
あなたは、どれだけ殺せばあなたでなくなるのかしら?」
地面スレスレから、あり得ない速度で巨斧が跳ねる。
逃げ場がないアズールは、異様な角度で迫る刃に胸を切り裂かれた。
「……」
頑丈な体は両断されない。すべての衝撃を受け止めたことで、彼女は力なく空に打ち上がる。
投げ出された四肢は無防備で、鎌はその上をクルクルと華麗に舞っていた。
一見、隙だらけ。このままいくと、アズールは地面に叩きつけられ、決して少なくない損傷を受けるだろう。
さらに追撃を加えれば、優位はさらに大きくなる。
にも関わらず、クーリエは動かなかった。
いや、動けなかった。巨斧を構え、駆け出す直前のまま硬直し、超常の存在を凝視している。
理屈などない。いわば直感。商人らしからぬ行動だ。
「アズールは死なないわ」
その感覚を証明するように、アズールは不死を言祝ぐ。
不安定に回転していたはずなのに、頭から落下した彼女は異様な流れで優雅に立つ。
極めつけには、回転でチャクラム化していた鎌を、見もせずに掴んでしまっていた。そのどちらにも、音はない。
しかし、確かにあった衝撃は風となり、空気を変えるように街を揺るがしている。
「あなたの命を奪うもの」
一瞬にして、空気が冷えた。
赤い空は青白く、その身を流れる血を失う。
同様に、若干青ざめるクーリエは、立ち眩みを起こした様子でふらつき、膝をついている。
「あなたの能力は、触れた相手の血をすべて抜き取ること。
触れることができなければ、何もできないはず」
「そうね。でも、別に無理してすべて抜く必要はないじゃない? 緩やかに、広く、触れることなく抜くことも可能よ。
そして、血の気が引いた世界は、熱を失うの」
「……!!」
血を吸ったアズールに、もう傷はない。
血を失ったクーリエに、まだ傷はない。
だが、戦局はたしかに動いた。青い世界は冷気を発し、今にも彼女を凍え死なせようとしている。
冷気は辺り一帯を包むもの。凍えた体で逃げ場はない。
「血を流さず失血死するか、寒くない街中で凍死するか。
あなた、賭けてみる?」
「論外よ! あなたを殺して、私は生きる!!」
それでもと。クーリエは斧を振るって勢いで立つ。
血を失っても関係ない。力が入らなくても関係ない。
商う彼女は、文明の重みを背負う者なのだから。
斧に、手に、足に、重力魔術の魔法陣を現し、襲い来る世界すべてを背負っていた。
「私こそが、人類の歩み!!
この足跡こそ、文明が拓く道標!!」
「けれどその偉大な顔は、抜け殻みたいに青白い」
冷えた空気は固まり、含まれる血を氷に変える。
浮かぶ荷物など目ではない。
無数の氷が、冷えた空気が、身を蝕む貧血が。
世界すべてがクーリエの敵だ。
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「う〜ん……」
刀を振るいながら、シスイは唸る。
その顔に緊張はない。リラックスした余裕の表情で、迫る錆や黄金の造物たちを捌いていた。
「こうも足止めに徹されると、剣士はどうにもならないね。まったく……創成物に紛れて気配もわからない」
カーボンの錆が牙を剥くと、コピーした錆の力で相殺する。
クレアの黄金生物たちが降ってくれば、銀剣からコピーした銀で剣壁を作り、受け止める。
気配を感じれば、風圧でこじ開け風穴を開ける。
重力を操り空を飛び、姿を探す。
水など、時として逆に金に侵食されているが、クレアたちが積極的に攻めてこないことで、決定的な瞬間は訪れない。
ただ様々な物質が渦巻く、魔境であり続けていた。
「けど、問答もなしとはクレアらしくない。
ベルくんたちが脅威ではないとしても……」
思考を深めれば深めるほど、錆と金の勢いは増していく。
考えて動くことを、やめさせたいかのように。
だが、死を恐れず、包囲攻撃も捌けるシスイが、そんなことで止まるものか。彼女は黄金生物たちを斬り伏せ、金と錆の波を相殺し、結論に辿り着く。
「他に目的でもあるのかな」
彼女は飛ぶ。身を縛る重力を払って。
彼女は見る。凍り付く街と、城を飲み込む金と錆を。
「僕は相手していられないって?」
敵がハリボテだと気付いたシスイは、凍てる大地に刀を向ける。先端から吹き出すは炎。仲間を巻き込まない程度に、熱を取り戻させるべく表面を炙る。
「っ!! これは……!?」
しかし、氷は溶けない。いや、そもそも届いてすらいない。
氷と彼女の間には、禍々しい血の塊があったから。
「……」
眼下を見る。血に塗れた、家畜と化した人の街を。
黄金は既にない。錆は既にない。
そこにはただ――
「あれ、が……?」
血液の生み出す黒い影が、揺らいでいた。
筆の進むまま書いていたら、本来の構想と順序が逆になっていたことに気付いたので少し休載するかもしれません




