26-ゴーイングマイウェイ
シスイが刀を手にしたことにより、場の緊張感は一気に高まる。敵は3人、同格は1人。しかしそれでも、これでどうにかなると、気を抜けないと、お互いが思っているようだ。
吸血鬼3人は殺意と神経を研ぎ澄まし、先へ進むベルたちもそれを感じ取って身構えている。攻撃も離脱も、すぐにできはしない。わずかに均衡が崩れるだけで、趨勢が決まるのだと思わせる雰囲気だった。
ピリリとした空気は張り詰め、生ぬるい風が頬を撫でる。
誰も動けず、誰も音すら立てられず、世界は決壊の時を待っていた。
「ちょっとシスイ。うちの商品をなまくら扱いなんていい度胸ね? ただでさえ貴重で、扱ってる店なんてそうそうない代物よ? せっかく提供してあげたのにどういうつもり?」
その、わずか数秒後。唐突に沈黙は破られる。
意識外からのクーリエの詰問に、シスイはギョッとした顔で目を白黒させていた。
「……え? いや、今追求することかい? それ」
「もう機会がないかもしれないじゃない。
話が終わるまで待ってあげただけ感謝なさい」
驚いたのはシスイだけではない。
ベルたちはもちろん、対峙しているクレアたちすらも、硬直したまま目を丸くしていた。
注目を一身に集めても止まらないクーリエに、シスイはため息をついている。
「はぁ、仕方ないな……」
とはいえ、硬直もすぐに解ける。
シスイもクーリエに視線を向けているため、隙だらけだ。
他の4人を歯牙にもかけないクレアたちは、大鎌、双剣、造物と、各々の武器を以て襲いかかっていく。
「なまくらと言ったのは申し訳ない。ただ、元の刀に比べると、やはりどうしても見劣りはしてしまうんだ」
前を向いているベルたちだが、強襲がわかってもいきなりでは目で追いきれない。体が追いつかない。一瞬で距離は詰められ、その切っ先はシスイを引き裂いて――
"天坂流-止水"
「だからまぁ、できて足止めくらいかな」
燐光を放つ大鎌、錆びついた双剣、荘厳な造物。
そのすべてはピタリと止まり、それ以上先に進めない。
触れるか触れないか、といった距離まで迫ってはいる。
獲物であるシスイは目と鼻の先だ。
しかし、たった数センチをそれらは越えられずにいた。
理由は不明。原理も不明。だが、原因は明らかだ。
納刀したままの刀が、軽く振るわれた。
一瞬だけ煌めいた剣閃に、武器や爪が触れた。
たったそれだけで、威力が丸ごと殺されていた。
「それだけは保障する。決して君たちを追わせはしない」
凶刃が至近距離にあっても、シスイは気楽に告げる。
静止しているとはいえ、殺意は健在。恐ろしいほどの胆力だ。彼女は固まるベルたちに微笑みかけると、流れるような動きで抜刀し、敵を突く。
"天坂流-死水"
「っ……!!」
波紋の中央を抜くような突きは、的確に死点を穿つ。
アズールだけは鎌を軸に避け、掠るだけにとどめているが、他の者ではそうはいかない。
造物は尽くが砕け散り、カーボンも心臓を貫かれ、血をまき散らしながら吹き飛んでいた。
「……ふーん。やっぱり手強いな、アズール・ファス・キュルヴィ。能力は大味で使いにくいのに、素が強い」
カーボンの煤けた血を払いながら、シスイは独り言ちる。
ふわりと着地し、優雅にステップを踏むアズールは、指先で触れた流血を瞬時に飲み干し追撃の構えだ。
「当たり前でしょう? 触れなければならないのだから。
アズールは確殺の力があるからと傲りはしないの」
前回も早々に切り上げたアズールだ。
彼女に油断や傲りは一切ない。瞬きもせずに隙を窺っているため、常に必殺となる接触を警戒しなければならなかった。
それでも、シスイは肩を竦めると、安心させるように微笑みながらそっと目配せしている。
「という訳だから、行っていいよベルくん。女王と戦えるのが僕だけでも、みんなが足止めにならないなら不利になるだけだからね。サクッと処理して追いつくさ」
意識から外れた瞬間を、アズールは見逃さない。彼女は霧のように溶け消えると、斜め上から大鎌を振り下ろす。
「っ、邪魔をしないでほしいのだけど」
しかし、鎌がシスイの首を刈り取ることはなかった。
なぜなら、重力を感じさせないクーリエが、軽やかに大斧で弾き返しているから。
すとんと着地した彼女は、道を塞ぐように斧を持つ手を横に伸ばす。
「横槍を入れるなんて野暮ってものよ。あなたは私が相手をしてあげる。その方が彼女も早く進めるわ」
「……あなたの顔は、抜け殻みたいに青白い」
標的はクーリエに移った。殺意を集約するかのように瞳孔を縮めたアズールは、形を失って彼女に襲いかかっていく。
「やっぱ、全員でやると気が散るか?」
「そうだね。クレアは攻撃範囲が広いし」
その戦いを尻目に、ベルたちは会話を続ける。
フレイはクーリエに準じて銃で迎撃しているが、アリババは飛び散った金塊を集めていた。
「オレたちは女王に介入されないようにしてる。
絶対あいつら消して、すぐ来いよ」
「もちろんだとも」
ニコリと笑いかけられて、ベルは表情を和らげる。
ミイラ状態からも復活したシスイだ。生き残ることに関しての信頼はひとしおである。
「お前もだからなー、クーリエ!! 利益とか関係なく、泣きじゃくるぞオレは! だから死ぬんじゃねーぞ!!」
「あなた家族がいないからって、すぐ人に懐きすぎよ!
その席は、本当に大切な人のために取っておきなさい!」
逆に、ベルに呼びかけられたクーリエは、確約することなく話を逸らす。安心させようとするのか、誠実であろうとするのか。どちらが正しいかなど、ありはしない。
どちらともが相手を想う、優しさの発露だった。
「……さて」
ベル、アリババ、フレイの3人が走り去ったのを見送った後、シスイは改めて敵に目を向ける。
指先でシルクハットを回している、紳士的な吸血鬼を。
「別れの挨拶は終わったかい?」
「待ってくれたのかな? ありがとう。
お礼にサクッと殺してあげよう」
「ふふ。んー……できるものなら?」
シルクハットをかぶり直したクレアが、ステッキを打ち鳴らす。直後、広範囲に散らばっていた金粉は錆に変わり、周囲からはシスイを囲むように錆の波が押し寄せてきた。
「っ、これはカーボン!?」
屋根の上に退避したシスイは、特に高い波の上を仰ぎ見る。
するとそこにあったのは、貫かれた胸に自身の双剣を突き刺しているカーボンの姿だ。
「来いッ……ディアムス!!
我が心臓を代償に、顕現せよ!!」
波の上で叫ぶカーボンは、みるみるその身を変貌させる。
ただ汚れていただけで、ちゃんと生物の形は取っていた彼だが、もはや見る影もない。
シャノンの攻撃から生きながらえた強靭な肌を、錆びついた鉱石が突き破ってくる。疲れた顔を切り離すように、首がねじ切られる。
四肢を覆い尽くし、頭すら取り替え、それは立つ。
無機質の肉体。機械的な駆動。
錆だらけのゴーレムが、シスイの頭上には立っていた。
「Ugrrrrraaaaッ!!」
「勝つために命を投げ出してちゃ世話ないね」
異形化したことにより、錆の波はさらに勢いを増していく。
覆いかぶさるだけだった建物を粉砕し、黄金を飲み込み、尽くを破壊し尽くさんと街を咀嚼する。
シャノン戦など目ではない。最終的には芯まで錆びつかせたとはいえ、あの時の侵食は極一部。
辺り一帯を飲み込む底なし沼には、到底敵いはしない。
前回は離れていた人が巻き込まれ錆びる。
一角どころか、城壁内のすべての建物が錆びる。
道路どころか、さらに奥深くの地面まで錆びる。
街のすべてが今、死に絶えようとしていた。
飛沫を受けて錆びるシスイは、嵐に消えていく足場の中で、力なく佇んでいる。今にも折れそうな柳のように、掻き消えそうな亡霊のように。瞑目したまま、揺られている。
「まぁ、それでも僕には勝てないけれど」
目を開く。右手は柄に。姿勢は低く、天を見る。
「死とは自我の霧散である故に、私は万物に意識を溶かす」
瞳には、青く揺らめく万の冥火。
刀は静かに神秘を纏い、煌めく刃はもはや名刀。
それは迸る水流である。
それは血を抜き去る魔性である。
それは命を包む大気である。
それは闘志の如き火炎である。
それは汚れを弾く白銀である。
それは世を保つ重みである。
――其は、万物の終着点である。
"死は須らく我が延長"
朽ち果てた世界は、ここに新たなる人の形を取った。
シスイを固める錆は砕け散り、錆沼はすべて赤き空へ。
ふわふわと浮かせられ、欠片も残さず銀の粒と消えた。
「ふふ……6つ目かな?」
「7つ目、だよ」
答えるシスイが、逆手に握った刀を背後に向ける。
背中合わせに現れたクレアは、首筋に刀を突きつけられても構わず寄りかかっていた。
「あれは本能に体を明け渡した。錆の街は止まらないよ」
刃に撫でられ、血が滲む。トロリと溢れる甘露な蜜は、思わず手を伸ばしたくなる金色だ。
「君が割り込まなきゃもう斬ってる。
悪いけど、あの子に手を出させる訳にはいかなくてね」
流れる黄金は盾となり、それ以上の斬り込みを許さない。
背中合わせ、言葉を交わしながらでありながら、彼女たちはせめぎ合っていた。
その中間を狙うかのように、少し離れた場所にはカーボンが落ちてくる。シスイはあくまでも、掲げた刀で錆を浮かせただけだ。まだ何も斬っていない。
鉱石人形はけたたましい音を上げながら着地し、咆哮を上げた。同時に、状況が悪くなったシスイと巻き込まれたくないクレアは、示し合わせたかのように飛び退る。
標的になったのは、諸共を壊さんとする錆びた鉱石。
直前までいた屋根の建物が粉砕されたことが、決戦の合図であった。




