間話-虚ろなる箱の前で
ベルたちが逃げ回っていた数日間。
シャノンが眠っている棺桶の周囲は、安らぐ暇が無いほどに騒々しく動く。
運悪く見つかり、襲撃されたこともあった。その前に拠点を移すべく、慌ただしく移動していたこともあった。
だが、最もはっきりと届いていたのは、そばに寄り添う者の思いで。聞き手がいない言葉は、冷たい棺内で無情にもただ響いていた。
「……安心してって、言ってたじゃねぇか」
安置されている部屋は暗く、声の主の姿は見えない。
いや、そもそも棺桶の中から外は見えないし、見るべき英雄も、完全に目を閉じていた。
つまるところ、誰も話を聞く者はいない。
それでも……声の主は、思いを吐き出すように言葉を紡ぐ。
「オレだけ逃がして自分は死ぬとか、やめてくれよ。
結局今も、助けられるだけの人になるじゃんか……」
コツン、と。表面に頭がぶつかる音がする。
より近くなった声は、だからこそより届けまいと押さえつけられ、くぐもって聞こえていた。
掠れ、途切れ、断ち切られるように声が消えると、しばらくの間無音が続く。吐露すべき感情は、溢れた部分で十分だ。
飲み込み終わった思いは、数分後。
どこかすっきりした声色に乗って、形を変えている。
「……はぁ。ごめん、こういうのは違うよな。
お前は死んじまったけど、遺体はこうして回収できた。
この死は、血を貪られるためじゃなくて、また会うために……話をするためにできた。だからオレは、感謝を伝えるよ」
悲しみはある。やるせなさもある。それらすべて、押し殺すべきではないものである。しかし、何よりも……彼にはそれを上回る程に大きな、感謝があった。
「ありがとう。オレの師匠はシエルねーちゃんだけど、錬金術の師匠は、間違いなくシャノン・アマルガムだ。
もし良ければ、この剣……もらっていいか?
なんて、返事はもらえないんだから、勝手に持ってくことになるんだけどさ。……お前の輝きを、オレは忘れない。
これから先、いつまでも……オレがこの銀を証明してやる。
じゃあ、またな。戦いが終わって、墓ができたら……
そこにもたまには、顔を出すよ」
入ってきた時とは打って変わって、揺るぎない足音が外界へ向かう。彼は決して、内側に閉じこもりはしない。
助けられるだけなのは、いつものことだ。
それを嫌と言うほど理解しているからこそ、味わっているからこそ、前へ。誰かを助けられる人を目指して、世界へ飛び出していくのだ。
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語りかけられた声は、冷たい金属によく響く。
しかし、受け取るものがない以上、残響はすぐに掻き消え、欠片も残らない。残ることは、ないのだが……
「はーあ。何だよくっだらねぇ」
襲撃や移動の合間には、やはり寄り添う者があった。
前来た者と違って、足音はない。ドアが開く音も立てずに、いきなり悪態を響かせている。
「もし単なる重傷だったなら、嘲笑ってたんだけどなぁ」
普段ならよく通る快活な声も、今はこっそり来ているからか密やかだ。テンションが低いせいで、悲しんでいるとすら思える。居場所がよくわからない男は、距離を転々と変えながら愚痴のようにぼやき続けていた。
「こうなっちまうと、んな余裕はねぇな。この辺りじゃ1番強かったし、特に期待してたが……それでも、こうなっちまうんだもんなぁ。やってらんねぇぜ、あの化け物ども。
……まぁ、なんというか、あれだ。巻き込んで悪かった」
悪人ぶった言動をしているだけの本心なのか、本気で悲しんでいるように見せているだけの悪党なのか。
誰もいない暗所でもなお、秘めた思いは測れない。
不安定に動き、時にくぐもり、かと思えば棺を真っ直ぐ見ている様子で素っ気なく語りかける彼は――
「チッ、銀剣は誰かが持ってった後かよ。
しっかりしてんなー。油断も隙もねぇ」
結局のところ、どうしょうもない盗人だった。
油断も隙もないなど、どう考えてもベルたちのセリフ。
どの口でほざいているのやら、めぼしいお宝を盗めなかった盗賊は、何の未練もなさそうに荒々しく部屋を出ていった。
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さて、何人もの客人を迎え入れる暗室だったが、訪れるのは何も客人だけではない。その部屋の管理をしている者も、度々掃除やら様子見やらでやってきていた。
とりわけ、2人の中でも情報通である方の少女は、棺桶の主がどんな人物なのか、よく知っている。雑務はすべて任せる彼女だが、様子見にだけはやってきていた。
「……しょうもない人生ね。私も、あなたも」
コトリ、と。テーブルにカップを置く音がする。
椅子もカチャリと鳴っており、長居の準備がある様子。
少し話しに来ただけ、という訳ではなさそうだ。
それを証明するように、部屋にはすぐに沈黙が満ちる。
ゆっくりと紡がれた、重々しい語りからたっぷり数分後。
なんの前触れもなしに、ようやく続く言葉が棺桶に響く。
「一度は逃れたんじゃなかったの?
こんなにあっさり死んじゃって……まるで私たちの宿命を証明しているみたいじゃない。所詮英雄なんて、我が身を犠牲にしなければ何も成せない凡人なんだ……って」
優しく、悲しげに、苦しそうに。柔らかな声が、眠る英雄に語りかけられる。他の者に対して同様、返事はない。
いや、そもそも返事は求められていない。
「あなたは一度自治区を取り戻したから、私は戦いとは関係ない商人として名が売れたから、お互いに生きながら、再起不能にもならず、英雄と呼ばれるようになったけれど……
そこで止まらなければ、行き着く先は変わらないみたいね」
多くの想いと、確かな誇りと、一匙の諦観。
これは、いかなる時にも己を貫く、覚悟の詩。
「あなたは意味を残せたのでしょう? シャノン。
あの銀剣は、あの子が預かるように促しておいたわよ。
最後まで本当に、どうしょうもないくらい英雄ね。……私も、その頑張りを無駄にしないよう、せいぜい足掻くとするわ」
誰にともなく告げられる、平凡なる決意の叙事詩。
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カルミンブルクの空は赤く、人なき所は常に暗い。
意図的な暗所以外にも、街中に闇は満ちている。
それは、街の中央に立つ城も同じで。
「ごめんなさい、スカーレット様。
アズールたちでは敵を飲み干せなかったわ。
武のシスイに知のクーリエ、おまけに目障りな技のアリババと、敵はかなりバランスがいいみたい。
攻めて来るのも、時間の問題……ね」
玉座だけがぼんやりと浮かんで見える暗闇の中、抑揚のない声だけが冷たく響いていた。周りに人影はない。
返事も特に聞こえない。一方通行の声だけが、城の中に虚しく響く。
「ごめんよ、スカーレットちゃん」
呼びかける人が変わっても、それは同じだ。
周りに誰もいない中、弾むような声が玉座を前に佇む吸血鬼の口から奏でられている。
「何度かついつい敵を見逃しちゃった。でも別にいいよね?
だって、君は自分の手で血を撒きたいだろうから。
多分アズールちゃんも言ってたと思うけど、もう直彼女たちはここに来るよ。楽しみにしててね」
拡がる声に感化され、空気は金色に輝く。
世界が書き換わるような景色の真ん中で、禍々しい玉座だけがただ存在感を放っている。
「申し訳ありません、女王様」
意志を、殺意を、忠誠を、限界まで研ぐように。
疲れ切った低い声が、それでも真っ直ぐ玉座を貫く。
「奴らを取り逃すどころか、俺は一度負けちまいました。
役割的に、仕方ねぇことではあるんですがね。
その後の暗殺も失敗するようじゃ、言い訳はできねぇ。
はぁ……ただまぁ、次は上手いことやりますよ。隙間なく毒で満たして、戦いになる前にサクッとね」
サラサラと、錆びた空気が地面に落ちる。
いかな作戦があろうとも、決して油断することなかれ。
人智を越えた自然とは、時として不可視の暗殺者になるのだから。




