5-勇者の旅立ち
「た、旅に出るぅ!?」
ベルが勇者に同行する意思を伝えた、その日の夜。
食後のテーブルでその話をしたことで、木で造られた暖かな家には、悲鳴に近い義母の声が響き渡っていた。
同居している家族には、他にも義父や義姉、義弟などもいるが、1人が派手な反応をしたことで落ち着いているようだ。
父親が席を立って母親をなだめている間に、神妙な面持ちで座る姉が彼から詳しく話を聞こうとしている。
「えっと、ずいぶん急じゃない? きっかけはあの勇者くんが来たからだろうけど……今日だって、危ない目にあってきたのよね? なのにどうして旅に出たいの?」
「誰かを助けられる、善良な人になりたいから」
「それは、旅に出ないとなれないかな?」
落ち着いてしっかり話を聞いてくれているからか、ベルも居住まいを正して家族に向き合う。
特に反抗されず、きちんとした理由もあると察せられたことで、姉も心なしかホッとしたように表情を和らげていた。
「この村の人達は、両親がいないオレにもこんなに良くしてくれる。そのことには、すっごい感謝してるんだ。
けど、だからこそ他の人より守られちゃってるとも思う。
このまま大人になったとしても、誰かの力になれることなんてそうそうないんじゃないかな。魔物には勝てないし、他の集落とだってほとんど交流できない。
というか、オレは今回初めて他所の人を見た。こんな世界で誰かを助けるには、勇気を持って閉じた場所から飛び出し、力をつけないといけないんだ」
「そっか……覚悟は変わらなそうだね」
父親になだめられ、テーブルから離されていた母親は、まだ不服そうにしていたが……
最後まで話を聞いていた姉は、納得した様子で目を閉じる。
2人の間で視線を彷徨わせていた弟も、寂しそうにしているものの、仕方ないなぁといった表情だ。
家族の大多数に認められ、ベルも悲しく微笑みながら改めて決意を言葉にしていた。
「うん。この村にいる限り、オレは守られるか、なんとなく日々を過ごして身代わりになることくらいしかできない。
けどオレがなりたいのは、少しの優しさを持つ人じゃないんだ。みんなみたいに手を伸ばして守り、あの勇者みたいに何があっても助ける人なんだから」
「なれるといいね、そんなヒーローみたいな人に。
でも、たまには家にも帰ってきなさいよ」
決意を聞き届けた姉は、優しく頭をポンと撫でてから自室に消える。母親と一緒にテーブルに戻ってきた父親も、驚く程に肯定的で、座りながら明確にベルの味方をしていた。
「うん、僕も反対はしないよ。男なら誰しも一度はそういうことに憧れるものだ。あの子と一緒なら、心配もない。
精いっぱい、夢を追いかけるといい。僕達も村のみんなも、いつでもまた君を歓迎するよ。ね、母さん」
「……まぁ、勇者様と一緒なら」
「ありがとう、おじ……父さん、母さん」
最終的に、家族全員からの同意を得ることができたベルは、涙ぐみながらみんなを抱き締める。
旅に出てしまえば、いつ帰ってこられるかはわからない。
しかし、この家はきっと、この先どんな状況になっても彼の帰る場所になるだろう。
血縁がなくても、自分たちが厳しい状況でも、彼を守り続けてくれたこの家が、夢のルーツなのだから。
~~~~~~~~~~
ベルが温かな家庭で、家族に旅にでることを認めてもらっていた頃。村に唯一ある宿屋の窓辺では、相変わらず無表情で座るリチャードが、1人ぼんやりと夜の村を眺めていた。
「……」
昼間なら人助けができるが、夜には……それもこんな田舎の村では、困っている人など誰もいない。
彼のそばにいる者はなく、何もすることがない勇者の少年は、ただぼんやりと時間を潰している。
「リチャード、また明かりもつけずにこんな暗闇で」
しばらくすると、部屋のドアが開いて外から光が差し込んでくる。誰が入ってきたのかなど、見て確認するまでもない。
彼の近くにいて話しかけてくれるのは、旅の仲間である少女――シエルだけだ。風呂に入ってきたらしい彼女は、湿った髪を拭きながら歩み寄ってくる。
だが、リチャードは顔を向けないどころか視線すら向けない。方足を伸ばして座ったまま、より暗さを求めるように村を眺め、言葉を返していた。
「暗い方が、落ち着く」
「慣れた方がいいよ、明るい所にも。
今回、村に来てよかったでしょ?」
無言になるリチャードを見ると、シエルは肩を竦め仕方なくドアを閉める。彼女は彼ほど目が良くないが、呼び出した杖で目に何か魔術でも施したようだ。
月明かりしかない暗闇の中でも、テーブルなどにぶつからずにトレイに乗せて持ってきた料理を運んでいた。
「じゃあ、とりあえずご飯を食べよう?」
「エネルギーは足りている」
「でも、多いに越したことはない」
「……」
またもや否定的だったリチャードだが、今回はシエルが言い負かした。渋々外の景色から目を離すと、テーブルについて一緒に食事を摂り始める。
幸い1人ではないものの、まともな人が見れば大多数が哀愁を感じる真っ暗闇の中で。
「明日には出発するけど、あの子とは話せた?」
「あの子って、誰のことだ?」
「……そっか」
予想通りでも悲しくなるセリフに、シエルは眉尻を下げる。
彼女は毎回色々なことを気遣っているものの、リチャードはすべてにおいて無関心だ。
今目の前に並んでいる食事も、ハンバーグ、スパゲッティ、からあげなど人気のものばかりなのだが……
彼はまったく表情を変えず、作業のように消費していた。
効率のためか、所作だけは機械のようにひたすら綺麗なのが逆に痛々しい。孤食でも個食でもないのに、とても冷たい夕食だった。
~~~~~~~~~~
翌朝。リチャードたちが出発するタイミングになって、村が少し騒がしくなる。視線を向けると、建物の向こう側からわらわらと現れたのは、十数人の若者たちだ。
「ベルちゃん、旅に出るんだって?」
「お姉さん悲しいな〜」
「お前みたいなチビが大丈夫なのか?」
話を聞くに、どうやらベルが旅に出ることを知った村の友人や姉の友人たちが、彼を見送るために集まったらしい。
先頭を歩いている本人や家族の周りで、口々に思い思いの言葉を投げかけていた。
しかし、見世物のようになっているベルは、もちろんご立腹だ。何も知らずに驚いているシエルと、なぜか不思議そうにしているリチャードの前で、大声で抗議している。
「うるさいうるさい! 誰も悲しませないために行くんだ!
これから成長して強くなるために行くんだ!
いちいち野次飛ばしてくんなよ、兄ちゃん姉ちゃんたち!!」
ベルが強めに文句を言っても、みんな面白がって笑うだけで何も変わらない。その騒動は結局、彼らがリチャードたちの所に辿り着くまで続けられた。
ようやく静かになり、道を開けてもらえると、ベルが家族に見守られながら進み出てくる。
「お待たせ、勇者! ねーちゃん!」
「……」
「えっと……?」
だが、シエルは何も聞いていないし、リチャードが反応する訳もない。元気に手をあげて挨拶をしたベルは、不思議そうにしている2人を見て固まることになった。
「……あれ? 昨日、オレも一緒に行くって話を……」
「そんな話聞いてないんだけど、あたし!
旅に出るって、あたし達とって意味だったの!?」
はっきりと言葉にされたことで、ようやくシエルにも状況が理解できたようだ。新しい仲間が増える。
そんな大事な話をしていなかったリチャードを睨み、段々と表情を怒りに変えていた。肝心の彼はというと、まだ不思議そうにベルをぼんやり見つめている。
「一応、オレはそのつもりで……
そいつにも、勝手にすればいいと言われたんだけど」
「っ……!! そういうことは、ちゃんとお姉ちゃんにお話してねっていつも言ってるでしょ!? なんで直せないかなー!」
「……このガキ、昨日森で助けたやつか?
それなら、昨日の時点ではまだ決まっていなかった。
許可がもらえたなら自由だ。勝手に来ればいい」
シエルが叱るのもなんのその。リチャードは旅の仲間が全員揃ったと見るやいなや、すぐ村に背を向けて歩き出す。
彼のことを多少でも知っている面々は、呆れた様子でため息をついたり苦笑したりしていたが……
そうではない面々――集まっていた友人たちなどは唖然として背中を目で追っていた。
「ごめんなさい、皆さん! あの子は社交性に難があって……
でも、決して悪気がある訳ではないんです!」
「悪気、悪気なぁ……むしろ何もなさそう」
リチャードの言動は非常識なものだが、この村は昨日助けてもらった人々だ。シエルが全力で謝ると、仕方ねぇなぁ……といった様子で苦笑している。
最も一緒にいた時間が長いベルは、それ以上の理解を示して笑っていた。その顔を寂し気に見つめてから、ベルの母親は真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。
「昨日見かけた時も感じたけど、やっぱり大変そうね。
まぁ、頼りにはなるのでしょうけど。
息子のこと、よろしくお願いします」
「は、はい。若輩者ではありますが、パーティの保護者としてしっかり守り、鍛えていきたいと思います」
ベルが少し面映ゆそうにしている中、家族への挨拶は手短に終わった。もう既にリチャードが出発していることもあり、これ以上お別れの時間をとっている暇はない。
シエルが顔にかかる髪を耳にかけながら頭を上げると、2人は急いで荷物をまとめて彼を追い始める。
「それじゃ、またなー!!」
他の人にかけられるのは、振り返っての一言だけ。
村全体に元気な声だけが響く、慌ただしい旅立ちだ――
「あの、ちょっと今さらになるんだけどさ。
2人の名前を教えてもらってもいいか……?」
「それもまだなのリチャード!?」
大変な旅を、少しでも快適に過ごすために。
可及速やかに勇者を知ることが必要だ。
序章、完結です。この先は章ごとに書き終わったら投稿するので、しばらくかかります。