4-彼に必要なもの
洞窟内とは真逆で明るい森に、殺伐として血なまぐさい戦闘の残り香を押し流すような、爽やかな風が吹く。
少し前までは、平時でもやや重苦しい空気が漂っていたが、今ではすっかり本来の穏やかな場所だ。
その雰囲気はもちろん、同じ地域にある村にも影響を及ぼしていて……
拐われた人々が助け出された村は、ところどころ建物が壊れた中でも、いつになく明るいお祭りムードになっていた。
「よかった、生きて戻ってこられたわ!」
「死ぬかと思った……喋る猛獣とか、怖すぎだ」
「今まで拐われて戻ってこれたやつはいないから、もう無理かと思ってたよ、おかえりなさい」
「ははは、まさか命拾いするなんてね」
拐われていて死を覚悟した人たち、もう会えることはないと悲しんでいた人たち。彼らは広場に集まって、抱擁し合ったり肩を組んだりとワイワイ過ごしている。
少し離れたベンチでは、全身に火傷を負っているリチャードが無表情でそれを眺めていた。
「……」
「まさか、本当に拐われた者まで助けていただけるとは。
心から感謝いたします、勇者様」
彼の周りにいるのは、村を守り村人を落ち着かせていた仲間の少女と、2人にベルを助けてほしいと依頼した村長だ。
彼女はほんのりと不機嫌そうな様子だったが、村長は全員を救ってもらってまた深々と頭を下げていた。
リチャードは対応してくれない少女をぼんやり見ると、少し遅れてから淡々と言葉を紡ぐ。
「頼まれたから、助けただけだ。
俺は治療してもらうから、あんたも混ざってくるといい」
「えぇ、そうします。何か必要なものがありましたら、私共ですべてご用意させていただきますので申し付けください」
沈黙に若干の戸惑いを見せていた村長は、何かを察した様子で下がっていく。周りに人がいなくなると、少女は辛うじて保っていた澄まし顔を崩して眉を吊り上げていた。
「リチャード、あたし無茶はしないでって言ったよね。
こんな酷いケガをして帰ってくるなんて、何考えてるの?」
「求められたことを実行するのは、悪いことじゃないはずだ。それに……これはお前が言ったことでもある」
「名目上の話だし、お前じゃないでしょ〜!」
「頭をグリグリしても、俺に痛覚はないぞ姉」
リチャードの言い草にキレる少女だったが、冷静に指摘されるとすぐに脱力して隣に座り直す。
どうやら、仲間との会話でも薄い反応しかしないらしい。
彼女はすっかり慣れてしまっているようで、すぐに諦めると虚空から一冊の本を呼び出した。
勝手にページがめくれるそれは、魔法の本のようだ。
薄っすらと神秘的な文字が浮かび上がっており、ページが変わるごとに文字も切り替わっている。
「ケガは火傷と……刺し傷も結構あるのね?
傷跡は小さいし、騒ぎにならないよう水で包もうかな」
少女は治療方法を決めると、ページをめくるのをやめる。
次の瞬間、ぼんやりと青い文字を浮かべいる魔導書から呼び出されたのは、リチャードの体を包めるだけの水だ。
目立ちすぎても困るため、大きな水球に浮かぶようなものではないが、特に火傷の酷い腹部はしっかり覆われていた。
手足の刺し傷なども、水で形作られた小さな人型のナニカによって泡で癒やされている。
「なんか、いつもより少ないな」
「ここじゃ目立つからね。これでも十分カバーできてるし、燃えたりするよりいいでしょ? お話もできる」
「……」
「うん。見ていたい子がいるなら、話さなくてもいいよ」
元々あまり話をしないリチャードは、少女の言葉を無視してぼんやりと助けた村の様子を眺め続ける。
その視線はしばらくの間、何を捉えることもなかったが……
やがて唯一血だらけになった少年へと吸い寄せられ、彼らのやり取りを観察していた。
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「ベル! あなた何であんなことしたの!?
心配したじゃない!」
多くの村人たちが歓喜に打ち震えている傍らで、1人の女性がベルを叱りつける。口振りから察するに、おそらくは彼の保護者なのだろう。
勇者への依頼は村長が行っていたが、無事に帰ってきてからは彼女が面倒を見ているようだ。ベルにも危険なことをした自覚はあるため、逃げられずに俯いていた。
「だって、たくさんの人が拐われてたじゃんか。
オレはよそ者なのに、ずっとこの村に住んでて家族もいる人たちばかりが身代わりみたいに。大切にしてもらってるのはわかるし、感謝もしてるけど……子どもだからって以上にオレは危険から遠ざけられてただろ?
オレは守られるだけの穀潰しでいたくなかったんだ」
「あんたっ!! ばか……」
よそ者や身代わりという言葉に顔色を変えていた女性だが、その後の言葉を聞くとすぐに表情を和らげた。
彼にそっと近づくと、血や土で汚れているのも構わずに抱きしめる。
「ごめんなさい、おばさん」
「たとえ血が繋がってなくてもね、家族になったなら他の人よりもその人を優先するもんさ。そうじゃなきゃ、どうして妻が夫を助けようとする? 夫が妻を守ろうとする?
お願いだから、もうこんなことはしないでちょうだい」
「そうだね。でも、もうしないかはまだわかんないかな……」
「何がわかんないだ、心配させんじゃないよバカ息子」
保護者に抱きしめられ、叱られながらも、ベルの目はベンチで少女と座るリチャードを見つけ出す。
やや不気味な言動をしているが、結局あんな大ケガをしてまで自分たちを助けてくれた善良な人を。
(意思がなさそうに見えたし、底が知れなくてすげー不気味なとこあるけど……なんだかんだ良いやつだよな、あいつ。
あんなに献身的で、善良じゃない訳が無いし。村のみんなも孤児なのに大切にしてくれるし、オレもみんなみたいな良い人になりたい。誰かを、助けたい)
しばらく抱き合っていた2人は、少しすると照れくさそうに離れて移動し始める。
空洞での戦闘に居合わせたベルは、ケガの治療こそ終えたものの、拐われていた人たちよりも服がボロボロだ。邪魔になる上に汚れも酷いため、着替えにでも戻るらしい。
彼とは違って目線にまで気が付いていたリチャードは、その様子を見て首を傾げていた。
(……あれが、家族)
彼はスペックが常人のそれではないため、2人の行動も会話もすべて把握している。だが、正確に知ることができるからといって、必ずしもちゃんと理解できる訳では無い。
見比べてもわからない程微かだが、彼は珍しく不思議そうにしていた。もしもその変化に気付けるとしたら、仲間の少女だけだろう。実際、彼が隣を見上げると、彼女は憂いを帯びた表情で小首を傾げていた。
(シエルに聞かれたら、悲しいと言うんだろうな)
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「あ、よう勇者」
「……?」
しばらくして、服を着替えて戻ってきたベルは、1人ベンチに残ってボーっとしている戦友を見つけて話しかける。
どうやら探してまっすぐ歩いてきたらしいのだが、肝心の彼はピンときていない様子で首を傾げていた。
それも、話しかけた理由などではなく、少年が誰なのかが。
「お前、誰?」
「だ、誰ぇ!? え、森で助けてもらったよな!? それも、何人かいて覚えにくいとかない、1人の時に!! おこがましいかもだけど、洞窟では一緒に戦ったりもしたのに忘れたのか!?」
誰?とまで言われたベルは、当然目を剥いて叫ぶ。
これが数週間、数ヶ月経ってから再会したというのならまだしも、別れたのはほんの数十分だ。
いくら勇者といえど、あまりにも常識がなく失礼だろう。
おまけに、これだけ細かく説明したというのに、彼はぼんやりとした表情で曖昧に頷くだけだった。
「あぁ、あの時のやつか」
「ベルだよベル!! ったく、失礼なやつだな」
とはいえ、彼の無表情や無関心さに関しては、もともと普段からそうなので今さらだ。
ベルは不機嫌そうにしていながらも、それ以上追及することなく怒りを収めている。
「それで、俺に何か用か?」
「あぁ、えっと……お前とあのねーちゃん、旅してるんだよな? 勇者なら、やっぱたくさんの人を助けてるのか?」
「……そうだな。人里に降りる時は」
「降りない時は?」
「魔王たちと、戦ってる」
「魔王……」
「この話に、何か意味が‥」
「でも、誰かを助けてることには変わりないよな。
何よりも多くの人のためになって、良いことだよな」
会話を面倒くさがっている様子のリチャードだったが、ベルはその言葉を遮ってさらに問いかける。
きっと彼は、その言葉の意味などほとんど理解できてはいない。しかし、どれだけ大切なことなのか、真剣に聞いているのかは、薄っすらと感じ取ることができたようだ。
間抜けに口を開けたままだった彼は、ようやく虚空を見つめていた目をベルに向けていた。
「助けてほしいと言われたら、助ける。
だから誰かを助けているのはそうなんだろう。
良いことかどうかは、興味がないから知らない」
「そっか。なぁ、オレもお前らの旅に付いてっていいか?」
「勝手にすればいい。旅をするのに資格なんか必要ない。
旅をするのは、俺ではなくお前自身なんだから。
もし許可がいるとすれば、それは家族のものだ」
ごく自然に聞かれた質問に、リチャードは一瞬の迷いもなく即答する。目も表情も、これまで通りにまるで感情を見いだせない冷たいものだったが、言葉だけは誠実だ。親切に助言してもらい、ベルはあどけない笑みを浮かべる。
「そうだな、ありがとう」
旅に出られるかどうかは、養母次第なのでまだわからない。
だが、ただ守られることしかできなかった少年は、今日この日、勇者と出会ったことでたしかにその一歩を踏み出した。
まだ見ぬ誰かを助けるために、多くの人を救うために。
身を削って育ててくれた村人たちや、助けてくれた勇者のように、善良な人であることを決意したのだ。
「ところで、お前の名前って‥」
「名前に意味があるのか?」
「そういうところだぞ、お前」
「……?」
無事に旅に出られたとして、果たしてこの勇者と分かり合うことができるのか。ベルの目指す道は前途多難である。