7-時を同じく徒は集う
「ひ、ひぃぃっ……!! 街が、街が燃える……!!」
吸血鬼から身を守るために、ベルたちがフレイの仲間の元へ向かっていた頃。延焼しない炎で錯乱していた人々は、血に染まった街を走り回っていた。
実際には、アズールが暴れたこと以外、被害はない。
しかし、普通の人からすれば燃えなくても炎は炎だ。
彼らからすれば火元も不明なため、遠くまで来ても冷静さを取り戻せずにいる。
「おい、落ち着けよ。何があったか知らないが、いつも通りスカーレット様や側近の方々がどうにかしてくださる。
あの方々に、血さえ差し出していれば」
燃え広がらない以上、取り乱すのはその場にいた者のみだ。
逃げた先にいる人々は、被害者たちも最初そうだったように、淡々としている。
どこかぼんやりとした目で、すべてを主に委ねている様子で、生気なく不気味な笑みを浮かべていた。
「……そ、そうだよな。なんで、慌ててたんだろう。
血で消えるような炎と、あんな華奢な侍を見ただけで」
この場にいる全員の首には、吸血鬼の牙を模したチョーカーが付けられている。それを起点に血管が浮き出ているため、ちょうど血を吸われているところのようだ。
血圧が下がっているからか、数秒前まで錯乱していた者たちもすっかり大人しくなっていた。たしかにあったはずの恐怖は消え失せ、過去の自分すら信じていない。
「そうそう、怖がる必要はないよ。管理している食料を、私たちが手放すことはないからね。フフッ」
それをさらに補強するように、人々の頭上からはよく通る声が響く。声の主がいるのは、一番近い塔の上。
下等な人間を見下せる高みで、スーツ姿の紳士的な吸血鬼が、同性すら魅了する笑みを浮かべて座っていた。
彼女の姿を見た者たちは、さらに気を緩めて脱力する。
恍惚とした表情で手を合わせる様は、信仰対象を崇めているかのようだ。それを証明するように、街中からは『クレア様だ』『クレア様』という声が寄せられていた。
「腹を空かせた魔獣共や、手頃な農場を求めてきた魔王種が寄ってきた時と何も変わらない。さぁ、教えてくれ給え。
いったい誰が、君たちを怯えさせているのかを」
ふわりと宙に飛び出した吸血鬼――クレアは、キラキラとした黄金の粒となり、消える。次の瞬間、彼女は人混みの真っ只中に出現し、居合わせた女性2人の肩を抱いていた。
その装いはまさに、男装の麗人。
カプリと牙を突き立てられた女性は、喜びに打ち震えながら艶やかな声を漏らしている。
「んっ……」
「甘美な蜜を味あわせてくれる代価だ。
すぐにでも私が、無害な家畜にしてあげるよ」
どうにかアズールを撃退したのも束の間。
金色の瞳によって、哀れベルたちは標的に見定められる。
当然目の届く範囲にはおらず、まだ一度も出会ってすらいないが、そんなことは関係ない。
この街において、吸血鬼とは絶対的な捕食者なのだから。
すぐにでも居場所は探知され、クレアという新手の追撃を受けることになるだろう。魔王種が支配する生産区に、安全な場所など1つもない。
「……バッカみたい」
その様子をこっそりと眺めていた影が1つ。
建物の裏から抜け出して、騒ぎがあった方へと向かう。
他の者がみんなしているチョーカーも外し、家畜とは違って確かな意思が宿る瞳を輝かせていた。
「ちょっとブライヤ! あんたどこ行くの!?」
その少女――ブライヤは、どうやら母親との買い物中にこの騒動に出会したらしい。カバンを腕に引っ掛け、通りで手を合わせていた女性に見つかると、不貞腐れた顔で振り返る。
「どこって、落ち着ける場所? ここ、うるさいし」
「それにあんた、また首輪も外して……
誰のお陰で生きていられるのか、わかってんの?」
吸血鬼の支配に否定的なブライヤとは違って、母親は正しくカルミンブルクの住民だった。
何も付いていない綺麗な首を見ると、糾弾まではいかずとも、ほんのり非難が混じった声色で問いかける。
大きな声ではないため、クレアに夢中になっている周りの人はほとんど気付いていない。
それでも、人混みの上吸血鬼の1人までいる中でこんな話題など、普通なら恐怖で萎縮してしまう。
だが、ブライヤはやましいことなど1つもないといった態度だ。人目を気にせず、堂々と意見を述べていく。
「朝昼晩の吸血には従ってる。分担してるから少ないし。
でも、それ以外の時は差し出す義務ないじゃん。
さっきみたいな気まぐれ吸血も、あの人みたいに1人で直接吸われるのも、あたしは絶対いや」
「まったく……12歳にもなって、まだ血を吸われるのが怖いの? その割にはやたら利口だけど……はぁ、好きにしなさい。だけど、くれぐれも吸血鬼様方の気を損ねるようなことはしないようにね。恩があるんだから」
完全な拒絶、叛意の表明ではないからか、母親は単に吸血が怖いだけと判断しているようだ。いつも通りでもあるため、軽く咎めただけですぐに自由にさせる。
口では家畜を守ると言いつつも、気ままに食事を続けているクレアに拝謁するため、背を向けていた。
そんな母親の後姿を横目に、ブライヤは寂しげな表情で彼女たちから離れていく。幼いながら、悲壮感が漂う背中からは、魂の叫びがこぼれ落ちていた。
「何が、恩……あたしたちなんて、ただ血のために生かされてるだけじゃん。週に何人か、干からびるまで血を吸われてる人がいるの……ママが知らないわけないのに」
大人たちはすっかり飼い慣らされ、吸血鬼に否定的な者などいない。そんな彼らに育てられた子ども達も、そのほとんどが従順な家畜だ。
物心ついた頃からの当たり前。疑う方が異端である。
恐怖や拒絶感など、持ち合わせる余地もなかった。
だからこれは、単に彼女が異質だっただけだ。
本当にたまたま、ひょんなきっかけで違和感を覚えただけのことだ。
しかし、その唯一の1人が子どもだというのは、必然でもあるのだろう。良くも悪くも、大人は夢を見ない。
生きるために必死で、そのためだけに生きるのだから。
その世界の中で、他者よりも利益を得ようとするから。
夢を抱く純粋さを持つ者だけが、その具現である子どもだけが、今よりも良い未来を夢見られる。
その過程で潰えることもあるだろう。
実力や才能の壁により、光を失う者もあろう。
きっと、そういった者こそが大多数で、そうして人は大人に変わっていく。
それでも……己の夢を忘れない異常者は確かにいて、そんな彼らだけが世界を変えていけるのだ。
『12歳にもなって、まだ血を吸われるのが怖いの?
その割にはやたら利口だけど』
「……」
人は日々、夢を見る。
ある者は潰れ、ある者は諦め、そしてある者は手を伸ばす。
今の延長線ではなく、遠くにある幸せのために歩き出す。
生きること。それが生物としての本能だ。
たとえ最低限、自分の命が保障されているとしても、実際には他者の物になっていると気付けてしまうのなら。
「こんな環境なんだから、仕方ないじゃん」
子どもであろうと、立ち上がらねばならない。
いや、子どもだからこそ――
「油断してたら、委ねてたら……どうなるかわかったもんじゃない。だからあたしは、糸口を探す」
足りない力を、思考で補うのだ。
未成熟な心が、歪な成長で悲鳴を上げていても。
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吸血鬼以外、誰も他人を気にしない街の中、ベルたちは商人がいるという場所へ向かう。
騒動の付近では警戒している人もいたが、一度離れれば錯覚だったかのように平和な街だ。
と言っても、実際はその平和こそ錯覚なのだが……
何にせよ、彼らは何に邪魔されることもなく、目的地の付近にやってきていた。
「本当にこの辺りにいるのか?
さっきまでいた場所と変わらない気がするけど」
フレイの後を追うベルは、商人がいるとは思えない街並みを見て呟く。周囲にあるのは、戦闘があった区画とそう変わらない景色だ。
血に塗れた建物が並び、生気のない人々がいて、やや活気が足りないながらも店が開かれ、普通の街のような生活が営まれている。一応は潜んでいるらしいが、なぜここを選んだのかはよくわからない。
「そうだね。多分、違いはないと思うよ。
単に、運良く潜めた場所がここだったってだけ」
「なんだ……」
自分たちとは違って無事に潜めている商人が、どのように敵の目を盗めたのか。その秘訣を知ろうとしたベルは、肩透かしを食らってトーンを落とす。
一番後ろにいるシスイは、より詳しく、期待もしていなかったようで淡白だ。
「というか、この街に区画ごとの差異とかなくないかい?
全部が同じではないけど、特色がない。等しく血の街だ」
「吸血鬼からすれば、ただの農場だろうしね」
「生けにえを出してるってよりキツいなぁ……」
農場の機能に、隠れ家的なものは必要ない。
とはいえ、人が暮らしている以上、目の届かない場所くらいは生まれる訳で……
先導するフレイは、さり気ない素振りで人目につかない裏道に入り、奥へ進む。血で満ちているのは相変わらず。
だが、人が来ないのか表より乾いている道を通り、何の変哲もないありふれた家の扉を開いた。
「そんな感じで、こだわる理由はないし危なくなればすぐに移るよ。だからまぁ、あくまでも仮の拠点だけど」
くるりと髪を揺らしながら、振り返ったフレイは笑う。
手は踊っているように広げられ、仲間に呼びかけることもなくベルたちを招き入れていた。
瞬間、彼らの視界に飛び込んでくるのは、四方の壁を隠して天井近くまで積み上げられた、物、物、物。
同時に、視線はその指先に誘導されるがまま、簡易なデスクに座って騎士風の銀髪青年と話していた、ミドルヘアの少女へと移っていく。
「ようこそ、クーリエの臨時商会へ」
この場所こそ、大商人クーリエの築いた安全地帯。
そして、室内の品々すべての所有者たる少女は今――
「……は?」
フレイの紹介を受け、思いっ切り眉をひそめていた。




