2-吸血の影に牙光り
血が滴り、鉄臭い匂いを吐き出している城塞都市。
周囲の景色から明らかに浮いている、異質な街の前で、彼らはさり気なく立ち止まる。
街に入ってしまえば、もう女王の領域だ。
その前に、ベルは不自然にならない程度に壁を触って、これから挑む神秘を確認していた。
「これが、カルミンブルク……神秘が上書きした世界か」
他に訪問者はいない。見たところ、門番すらもいないが……
女王は一挙手一投足を把握できるらしいので、たとえ外でも、怪しい行動をしていれば流石に気付かれるだろう。
しかし、だからこそ世界を上書きするという力をじっくり見る機会は他にない。どれほどの精度で把握されるかも不明なので、街中での行動を最低限にするため、さり気なく探っている。
「魔道書を使う時と同じ感覚で視ればいいんじゃないかな。
僕は魔術を使わないから、君の感覚はわからないけど」
神秘であるシスイは、自分では使えなくとも、こういった力は何度も体験しているのだろう。
彼女は流れている血に驚いたという表情を作り、壁ではなく地面を見つめていた。
壁に触れるベルも、血が流れている箇所に触れているため、細かく監視されていなければ誤魔化せるはずだ。
彼が今回初めてこの力を知ったように、魔術を習っていても神秘の極致まで知るとは限らない。同様に、神秘であっても成ったばかりでそこまで理解できはしない。
アリババの目的が不明で、これから何に巻き込まれるかもわからないのだ。侮ってもらえるのなら、侮ってもらえた方が断然得というものだった。
「そうだな。何となくは感じるよ」
「うん。なら速く入ろう。僕の神秘は感知されているだろうけど、気配だけで本質を見透かされはしない。
既に警戒されてて、会話まで把握してるなら無駄だけど……
どうせなら、愚者を演じてみようじゃないか」
来るまでは嫌がっていたはずのシスイだが、避けられないとなると打って変わってノリノリだ。
明らかに演技ではなく本心から街に興味を示し、自然と街に踏み入るタイミングを作っていた。
数秒で壁から離れていたベルも、軽く頷いて彼女に続く。
門をくぐる前から、脳を揺さぶるほど濃密な血の香りが漂っていたが……薄膜を隔てた先は話にならない。
境界を越えた瞬間、匂いは水中にいるかのように全身にまとわりつき、世界のすべてとなる。
同時に、張り付くような空気――神秘の威圧感が、誰の領域かを示して彼らを赤い空の街に閉じていた。
「……重い、場所だな」
門を越えて、たったの一歩。まだそれだけしか進んでいないのに、ベルは青い顔をして膝をつく。
うまく呼吸ができていない様子で、どうやら神秘の重圧に押し潰されているようだ。
「そうだね。ここの女王は他の魔王種を従えている。
実質魔王と言っていい強さだろうし、相応のオーラだよ」
神秘であるシスイに、変化はない。
膝をつくどころか、足を止めることすらなく、何食わぬ顔でスタスタ先に進んでいる。
埋め合わせのために来たはずなのに、立ち上がれないベルもお構い無しだ。彼は歯を食い縛って立ち上がると、懸命にその後を追っていく。
「前に戦ったやつは、ここまでじゃなかったんだけど。
少なくとも、低い体勢でなら普通に動けたしすぐに慣れた」
「ふーん。なら、格が低かったんじゃないかい?」
「大魔王って、名乗ってたんだけどな……」
「なんだいそれ? 奴らを区別するとしたら、神秘に成った敵対者の魔王種と、それを従える魔王だけだよ?」
ベル達は話しながら街を歩くが、そうやって動いていても、重圧には中々慣れることがなかった。
彼は絶えず数メートル後ろを歩き、たまに倒れたり壁にぶつかったりしている。
ケガこそしていないものの……
城壁と同様に、街中もところどころが血で濡れているため、コケる度に赤が染み付き、ひどい有様だ。
無理に動いているが、状態は変わりそうにない。
ただその代わり、シスイも流石に彼を慮って時々立ち止まるようになっている。
「……うーん、盗賊王を探すどころじゃないね。
街の人が気にしていないのが救いだけど」
「いや、むしろヤバいだろ。余所者だって一発でバレる」
門番も訪問者もいない、ほとんど異界のような城塞都市だが、都市――生産区なのだからもちろん住民はいる。
ただ単に、こういった光景は見慣れているらしく、まったく騒いでいないだけだ。
この規模にしては活気が少ないものの、人々は明らかに体調の優れないベルを気にせず、各々の生活を営んでいた。
「おぉー、たしかに。街の人は平気そうだね。みんなが首に着けてる、牙みたいなチョーカーのお陰なのかな?
君子どもなのにやるじゃないか」
「あんたが気にしなすぎなだけだ。
てか、気にすりゃわかるんじゃねぇか……
見る余裕なかったけど、そういうカラクリかよ」
パチクリとまばたきをして見回すと、町人の首にはいかにもなアクセサリーが付けられているのが見えた。
店番をしているおじさんの首にも、買い物中の女性の首にも、駆け回る子ども達の首にも。
カルミンブルクで飼われている人には全員、牙を突き立てられたようなチョーカーが付けられている。
住民全員に付いている、という不自然な点を除けば、それは小さくて目立ちはしない。しかし、シスイは意外にも目敏く気付き、彼らに影響がない謎を明かしていた。
「ともかく、今のままじゃ不味い。これで体調不良だと思われないってことは、下手すりゃ判断基準になってる。
女王ってのが血の気の多いやつなら、速攻で部下がこーげきしてくるぞ。おまけになんか、どんどん意しきがうすれていくし……どうにか、だかいさくを……」
「んー」
段々と進むスピードが落ち、遂にはズリズリと壁伝いに倒れ込むベルを尻目に、シスイはうなる。
ギョッとするくらいベシャっと潰れているのに、相変わらずお構い無しだ。腕を組み、うーんうーんと首を傾げ、時々なにやら指を立てたり手を振ったりして、不思議な行動を繰り返している。
「お、これかな」
やがて、何かしらで満足する結果は出せたらしい。
シスイはニコッと微笑むと、動物が威嚇する時のような、爪を突き立てるポーズを取った。
がおー、と効果音が聞こえてきそうなポーズだ。
もちろん、いきなりそんなポーズをして終わりではない。
ベルの元へ歩み寄ると、彼の周りの空気を引っ掻くように手を動かしていく。
「そうら、悪い空気はここかーい。
……僕はこうだったけど、まさか女王もこんなポーズする訳じゃないよね? 地味に恥ずかしいぞ」
「あぐ……」
端から見れば、ただの奇行。だが、実際に効果はかなりあるようだ。すぐには目覚めなかったベルは、数分もすると意識を取り戻してのそのそと起き出す。
「……オレ、意識失ってた?」
「そうだね」
「で、あんた何してんの?」
「んー、治療行為?」
「そのわさわさしてんのが?」
「僕だって恥ずかしいんだ。言わないでくれよ」
回復した直後だからか、会話は短く淡々としたものだ。
とはいえ、いくら頭が働かなくても、仲間が変な動きをしていれば気になる。
何度も場所を変えて虚空を引っ掻いているシスイに、ベルは困惑を隠せずにいた。その行動のお陰かは定かではないが、実際に体調が回復したのは間違いない。
触れてもいないが、たしかに治療行為はしているのだろう。
彼は無理やり納得すると、早急にこの状況を変えるべく問い質す。とっくに血だらけなので、体を起こしただけで座ったままだ。
「よくわかんねぇけど……その感じだと、オレが倒れた原因も治った理由もわかってそうだな? 教えてよ」
「血だよ。ここは空が赤いだろう? 空気に混ぜられているのさ。多分、女王の血がね。能力は血を操ること……なのかな? 君も血を抜かれてたから、意識を失った。貧血でね」
「なるほど。つまり、それが『一度足を踏み入れれば、誰であれ彼女の目を逃れることはできない。一挙手一投足が把握され、血命を握られる』ってやつか。
いやよくわかったな……ん? じゃあ治せた理由は?」
良いことなのか悪いことなのか。シスイは1番重要な話だけに答えてくれたが、一応は解決している部分だ。
起きてから1番気になった挙動不審については、依然として謎である。
本当に奇行が治療行為なのだとしたら、もちろん気にならない訳がない。ベルはさらに追求していき、なおもがおがおしている彼女はふっと視線を逸らす。
「色々試してみた結果、僕も血を操れるっぽかったからさ。
血を抜いてた血の主導権を握って、弾いたんだ」
「はぁ? なんだってそんなことできるんだ!?
あんたの能力って、血を操ることなのか!?」
疑問は行動から能力に移される。
血を操るなど、いかにも吸血鬼が使うような力なのだから、無理もない。思わずギョッとしているベルは、珍しくやや頓珍漢な問いを投げかけていた。
「別にそういう訳じゃないけど……なんというか、一言でいうとコピー能力なんだよね。僕が神秘として持ってる力は」
「なんつーもん持ってんだ……なんでもできるってヤベー」
「大した力じゃないよ。コピーできるのは、僕が受けた神秘の能力だからね。体がその神秘に慣れるだけ」
「神秘の普通がわかんねぇけど、絶対誰でもできることじゃないからな? 今回だって、血を抜かれてたのに素で耐えてたってことだろ? タフさ込みで、異常ですげー力だよ」
盗賊王にはしてやられたシスイだったが、こうして聞いた感じ、どうやらちゃんと強い人物のようだ。リスクはあれど、使い方によってはかなり万能に立ち回れる。
「んー、それはそうと……」
しかし、当の本人はどうとも思ってなさそうだった。
直前までは変な動きばかりしていたのに、澄まし顔で優雅に体を揺らしている。
スラリとした立ち姿は、どんな醜態を見た後でも見惚れてしまうほどに美しい。刀は盗まれたままで丸腰だが、そうしているとまさしく侍といった風に見えた。
「死にたくなければ、横になった方がいいよ」
「は……?」
唐突な言葉に、ベルはすぐに反応できない。
怪訝な表情で首を傾げ、直後シスイに蹴られて地べたに叩きつけられる。
「うぐっ……!!」
「僕は今、刀を持っていないからね」
ベルが強制的に横たえられた直後、彼の首があった辺りは何かに切り裂かれる。つんざくような音が響き、飛んだ破片が体に突き刺さっていた。
「っ、一体何が……!?」
「まだ見えていない? なら、意識するといい。
君は首を狙われた。死にかけた。であればそれは、そこらにある自然ではない。命に関わる天災だ」
シスイの言葉、刃物の軌道、何者かが着地したような音。
様々な情報と、もはや自然ではない対象の存在感によって、ベルの目にも段々とその影が見え始める。
「目を凝らせ。神秘を宿せ。存在を知覚しろ。
君は未だ人の身なれど、魔術師として神秘を扱える。
目の前に潜むモノは、もう見られるはずだよ」
「……!!」
悩みが解決できたかのように、ス……ッと視界が晴れる。
血濡れた街を見上げるベルの目には、自分の体よりも大きな鎌を担いだ、華奢な少女の姿が映っていた。




