4-倒れていた彼は
突然動きを止めたシエルはいつになく厳しい表情で、とても初対面の人に向ける態度には思えない。明らかに以前会ったことがあるか、少なくとも心当たりがある様子だ。
しかし、彼女は難しい顔をするばかりで、それ以上何も言わなかった。長く無言が続いたことで、ベルは不思議そうに首を傾げている。
「……? また知り合いなのか、師匠?」
「いいえ。実際に顔を合わせたのは初めてよ。ただ……
ううん、詳しいことはこの人が起きてからにしましょう。
あたしの勘違いかもしれないし」
「ん、わかった」
顔を合わせたことがないのなら、有名な人なのだろうか。
何にせよ、結論は彼が目覚めてからだ。
とても気になっている様子のベルだったが、いつも通り好奇心を飲み込み我慢している。
話し合う彼らの前で、男はリチャードによって、微妙に丁寧ながら思いやりなく――悪く言えば雑に寝かされていた。
「あ、頭打った。
あいつ、助ける過程あんま気にしないよな」
「あはは……ちょうどいいし、ひとまず修行しよっか」
男が放り投げられたのは、特に草が茂っている場所だ。
柔らかな植物に埋まった彼の姿は見えないが、嫌な音が響いたことで頭を打ったとわかる。
周りに無関心なリチャードなら、意図的にやりかねない。
だが、きっと故意ではないだろう。シエルはそう信じるように目を逸らしながら、修行を促していく。
「さて、炎はある程度使えるようになったということで、次は水に挑戦してみましょう」
改めて水辺に歩み寄ったシエルは、ブーツとタイツを脱いで足首までを川に浸ける。今回杖は使わないのか、辺りの景色に溶けるように消えていた。
隣では、同じく靴を脱いだベルが川岸に腰かけている。
バシャバシャと水を蹴っていて、実に楽しそうだ。
「火と同じように身近に感じてればいいのか?」
「えっとね、水の場合は危険が少ないし、こうして触れられてるでしょ? だから、直接操ってみて。こんな感じで……」
彼らがいる川は、それなりに幅が広くて流れも速い。
決して泳げないほどではないが、水に浸かっている2人の足は、意識せずとも自然にプラプラと揺れていた。
だが、シエルが修行方法を伝えて息を吐いた瞬間、川の環境は激変する。
「……!! な、なんだなんだ!?」
当たり前に川下へ流れていた水は、彼女の周りだけピタリと止まる。床板のように微動だにせず凪いでおり、もしかして歩けるのでは……?と錯覚させる程だ。
ベルは驚いて身を引くも、その揺れすら水には伝わらない。
一定の範囲を抜ければ普通の川だが……
だからこそ、その境目を見れば異変は一目瞭然だろう。
川の流れは陸地にぶつかっているかのようで、同じ水のはずなのに、水は飛沫を上げて逸れていた。
急に穏やかになった水中では、魚たちが混乱して右往左往している。泳いでいた個体はぐるぐると回っているし、穴などに隠れていた個体も何事かと顔を出していた。
「あたしは、川の流れを止めて固定した。
立ちたければ立ってみてもいいよ」
「おぉ、すげぇ……!!」
「既にある物質を利用する場合なら、まずはこれ。
水に意識を流して根を張る感じで、支配する。それができたら、次に操作する。水を川から出して、好きな形に変える」
「うおぉ……!!」
川に立ったベルの頭上で、持ち上げられた水の球体はさらに変化していく。最初はお城のような形に。次は杖や魔導書。
それから、制服、ドラゴン、スイーツと続いて、最終的にはリチャードそっくりな人影になっていた。
「おっ、魔術の修行してるのか。お嬢ーちゃん」
突然、快活な男の声が響く。声の主がいるのは、水と戯れるシエルの真横だ。彼はあろうことか、勝手に彼女と肩を組み、耳元で囁いている。
岸の方を向いていたはずなのに接近に気付けなかったベルは、ギョッとして身構えていた。
足元を支えている水は、この状況においても揺るがない。
だが、様々な形をとっていた水は、一瞬でやる気をなくしたように崩れ落ちていく。その動きが表す通り、死んだ表情をするシエルは、隣に腰掛ける不埒者に冷徹な視線を向ける。
「無断で女性に触れるなんて、失礼じゃありません?」
「美女を愛でない方が失礼だと、俺は思うね。
あんたもイケメンに抱かれて嬉しいだろ?」
「心っっっ底……!!」
非難されてなおしれっとのたまう男は、少し前まで行き倒れていたのが信じられないくらい生き生きとしている。
つまるところ、シエルを触る手は止まらない。
彼女は表情をみるみる嫌悪に染めると、空中に現れた長杖を迷わず突きつけた。
「気持ち悪い!!」
杖の先から迸るのは、岩すら両断するほどの水流だ。
至近距離から放たれたそれを、男は座った状態のままで軽く避け、勢いを使ってバク転で立ち上がっている。
「ふぅん。そりゃ悪かった。俺は欲しいもんはなんでも手に入れる主義でね。つい癖でとっちまった」
怒りに任せていきなり発動した事もあり、水の斬撃はすべてが刃の形状をしている訳ではない。
周囲には、まとめきれなかった水滴が飛んでいた。
だというのに、男は一切体を濡らすことなく微笑んでいる。
挙げ句の果てには、髪を掻き上げて魅せるという余裕ぶりだ。
「癖、ですか。あなたがナンパ魔だとは初めて聞きました」
「ほう? 君、俺を知ってんのかい?」
「あなた、盗賊王ですよね?」
保留していた正体の断定を、シエルは問いかけるように告げる。異名だったことでベルは首を傾げていたが、当の本人はニヤリと笑い、それが真実だと認めていた。
「盗賊、王……?」
「各地のギルドで指名手配されてる、有名な犯罪者だよ。
値段はギルドによってまちまちだけど、平均額はおよそ80億。蓄えている盗品も含めての額のようだけれど……
どちらにせよ、厄介な人物であることに変わりはないわ」
80億ほどの賞金を懸けられた、指名手配犯。
ギルドや魔術など、まだそういった存在程度しかこの世界をベルにも分かりやすい指標に、彼は言葉を失ってしまう。
仰々しい紹介をされた男――盗賊王は、今すぐ命を狙われてもおかしくない状況になってもなお、輝かんばかりの笑顔だ。
「あっははは!! 犯罪者呼ばわりなんて酷いなぁ。
俺は俺の生き方をしてるだけだぜ?」
「その生き方が、泥棒……なんだろ?
犯罪者じゃなくて、なんだってんだ」
ヘラヘラと笑い飛ばす盗賊王に、ベルはドン引きした様子で言葉を紡ぐ。盗賊王はここでようやく彼に目をやり、小馬鹿にした様子で鼻を鳴らす。
「ハハァ……頭が固いねぇ坊主。
これが人の世なら、そりゃあ俺は大悪党だろう。
だが、今は人外の闊歩する世界。そのほとんどが奴らの支配下にある世界だぜ? 奴らが人間食ってる中で、お前は俺を大罪人だとして誹るのか? 人を殺してる訳でもねぇただの盗みに、どれほどの罪がある?」
「それ、は……」
「耳を貸す必要はないよ、ベルくん。
罪は人と比べるものじゃない。悪は悪。個人のものだ」
思わずたじろぐベルだったが、シエルの言葉を聞くと迷いはなくなった。後退った以上に踏み出すと、正面から盗賊王の目を射抜く。
しかし、同じ言葉を聞いたはずの盗賊王は、堂々とその視線を受け止めている。まったく動じていないどころか、むしろ強気な姿勢だ。
「そりゃそうだ。しかしだとしたら、なおさらお前らに批判される謂れはなくなったなぁ」
「は? 悪だって認めるなら‥」
「確かに俺は、ギルドに指名手配されてる」
呆れたようなベルの呟きを、盗賊王は大声を出すこともなく抑え込む。カリスマ、とでも言うのだろうか。
自然な声量で話しているのに、彼の言葉には最後まで遮らずに聞かなければならないという重みがあった。
「捕まえれば褒賞をもらえる獲物だ、というのは認めるさ。
だが、それは誰にとっての悪だって話よ。
指名手配されるってのには、ちゃんと理由がある。
世界の誰かにとっちゃ、俺は許せねぇやつだろう。
で、お前にとってはどうなんだ? 絶対に許せねぇほど、俺は邪悪か? お前になにかしたか? 裁く資格でもあるってのか? 俺だって悪事を働いてる自覚はあるんだ。指名手配は受け入れる。けどな、見ず知らずのガキに責め立てられる謂れはねぇんだよ」
悪であっても、罪があっても、決して生理的な嫌悪感を抱かせるものではないのだから、部外者の攻撃は受け入れない。
ちゃんとした理由もなしの批判など、認めない。
ここまではっきり開き直られてしまうと、ベルはもちろん、シエルもこれ以上批判できなかった。
2人して黙り込み、目を伏せてしまう。
「ま、これから俺はお前らに悪事を働くが……な」
シエル達の視界から外れた、コンマ数秒後。
ダラリと体を曲げた盗賊王は、その整った顔を意地悪く歪めていた。
違和感に気付いても、今さら動ける間などない。ハッと顔を上げた時には、もう彼の手にはどうあっても見過ごせない物があったのだから。
「ッ!! あなたいつの間にそれを!?」
「あっは! 言い直そうか。つい癖で盗っちまった」
反射で手を伸ばしたシエルを煽るように、盗賊王は先ほどの台詞を繰り返す。その手に握られていたのは、小さくも強い輝きを放つペンダントだ。
「あーっはっはっは!! ま、警戒するべきやつって意味なら、そりゃその通りだ。なんにも間違っちゃいねぇ!
今から俺は、お前らにとっても悪になろう」
「今すぐにそれを、返しなさいッ!!」
短いやり取りだけでも、あれがシエルにとって大切なものであるということはわかる。状況を察したベルは魔導書を取り出し、シエルと2人がかりで攻撃していた。
だが、盗賊王はそれすらも嘲笑うように、ひらりひらりと余力を見せつつ避けてしまう。踊り舞う炎も、無数に襲い来るビームじみた水流も、歯牙にもかけない。
初めて聞くようなシエルの怒号に、地面が砕ける音。
どれほど鈍感でも、異常に気付く動乱の中にあって。
自分こそが盗賊の王なのだと、騒乱も猛攻も支配下にあるのだと、この世界に知らしめるような威厳ある姿だった。




