10-ナイトメア
燃え盛る戦場に、彼はいた。また、息の詰まるような街に、刺すような視線を向けてくる群衆の中に。
怒りや悲しみ、苦しげな声と策謀が渦巻く中に、彼はいた。
それでも、歩いて、歩いて、歩き続けて。
彼は今、何も見えない暗闇の中に、立っている。
「……さて」
ようやく標的を見つけたリチャードは、無感情な視線を上空に向ける。構えてはいないが、隙がある訳でもない。
まだ剣を抜いてもいないのに、目の前にいたら死を悟るほどの重圧を放っていた。
「そろそろ終わりにしてもらうぞ、ナイトメア」
視線の先にあるのは、周囲の暗闇に紛れるような、真っ黒い服を着ている人型のナニカだ。どうやら道化師のような装いをしているそれは、呼ばれてくるりと振り返る。
すると、顔に当たる部分にあったのは、月のような曲線を描く目と口がある仮面。それから、その上部に鋭く輝く角だった。
「うわっはー♪ よくここまで来たねー?
まーさか、あの勇者様に追い詰められる日が来るだなんてっ……!! アタシ、感激!! でも悪夢みたいな状況じゃーん!
まぁここ、ほんとに悪夢なんだけどーっ!!」
ニタリと曲線を曲げた道化師――ナイトメアは、暗闇を吹き飛ばすかのように騒々しい声を上げる。
耳障りな声なのはもちろんのこと、過剰な言葉や感情を表現していてとにかく不快だ。
彼を見上げているリチャードも、珍しくわずかに眉をひそめていた。とはいえ、不愉快な相手にまともに取り合う必要はない。相変わらずな無表情を貫き、冷ややかな目を向けている。
「……」
「でも、君に俺様は殺せないんじゃなーいかーい?
だって、まだ悪夢は乗り越えられていないからっ!!」
「……寝ぼけてんのか? 魔王はもう、倒されただろ」
「ありゃ、バレちゃった☆」
彼の言葉を容赦なく切り捨てたリチャードは、問答無用で剣を抜く。目の前にいるナイトメアが、付近の村を悪夢で苦しめベルたちも閉じ込めている元凶なのだから、当たり前だ。
しかし、当の本人はそんなことを夢にも思っていないのか、地上に降りてきてなお笑う。
「でもでも、心優しい勇者様は、無力な僕を虐めたりしないよねー? だって、私はただ愉快なだけの善良な奇術師で、君は無差別に人を助ける英雄なんだから……サ♪
ほぅら、おいらを"助けて"?」
勇者の在り方に付け入るように、ナイトメアは吐き気を催すような命乞いをする。断れば悪者になるやり口で、これがベルなら動けなくなっているところだ。
だが、常に無感情なリチャードには関係ない。降りてきたのをいいことに、剣を構えてツカツカと歩み寄っていた。
「待って待って、待ーってよぅ!! あたしは無力よぅー?
無抵抗な弱者を、君は殺すってぇのかい!?
嘘、信じられない!! 君本当に勇者なの!?」
ピエロの仮面を被っているからか、彼に恥やプライドなんてものはないらしい。まったく止まらないリチャードに、彼は鬱陶しく手足をばたつかせながら泣き落としをしている。
もちろん、そんなものは一切効果がないが……
「くっ、どうしても君は止まらないようだ。
ならいいさっ! ぼくを殺したきゃ殺せばいい!!
だが、あなたはたかが悪夢で、無抵抗な人を殺すという外道に成り下がるのか? 私はお勧めしないゾ☆ 人は優しい生き物だ……きっとショックで寝込んでしまう。そんな姿、俺は見たくないっ!!」
ナイトメアは遂に、嘘泣きまで始めた。道化らしく演技力は高いようで、本当に涙を流していてもはや忌まわしいと思うレベルだ。それでも止まらないリチャードに、彼はため息をついて観念した様子を見せる。
「……はぁ。仕方なーいなぁ。そんなに悪夢が見たいのなら、今すぐ魅せてあげちゃうよ! なにせ私は夢の専門家。
地獄はこれでもかってほど見てきたんだから、サ☆ 勇者の殺意がなんだってんだ。へい、道化師は動じなーい♪」
プワプワと数センチほどまで浮かんだナイトメアは、両手を広げてその周囲を霞ませていく。手は確かにそこにあるのに、ノイズが走っていて上手く見えない感じだ。
ここが悪夢の中だからこそ、できるのかもしれないが……
その光景は、世界を書き換えているかのようで、あまりにも規格外だった。
「箱庭に訪れてくださった観客のお方、どうぞあっしの世界をお楽しみくだせぇ。夢に夢見る時間は終わり、今こそ現実を楽園に変える時なのであーる♪ 起きたらバッチリ夢の中? ノーノー、我らは今の中。強制だなんて言わないでっ。夢は勝手に見るものだから、常に私は無っかんけーい! せめて起きたら笑かしてやろう。それこそピエロ、我らが道化。夢を魅せるが此方奇術師の本分サ☆」
書き換えられた世界からは、無数の悪夢が顔を出す。
段々と強まる嵐、鬼のような角を持つ巨人、大地を砕く黒い雷。それらが触れた地面にも悪夢は伝染し、地上は濁流や地割れが埋め尽くしていた。
しかし、リチャードはそのすべてを無視する。嵐に腕を引き裂かれても、巨人に押し潰されても、濁流に飲まれても。
真っ直ぐと奇術師を見据え、言葉を紡いでいた。
「お前の能力は、悪夢を見せること。そんなもの、この世界にいる時点で見ているし、その悪夢もあのガキが壊した。
今のお前に、戦う力なんて欠片もないだろう」
「……!!」
リチャードが看破した瞬間、悪夢はすぐさま溶けて消える。
傷ついていた体も、崩壊していた世界も、最初のような暗闇に戻っていた。
今にも斬撃を受けようとしているナイトメアは、静かに空を見上げる。さっきまで何も映していなかった夜空には――
「それでも、私を照らすスポットライトはあったんだよ」
斬り飛ばされたナイトメアの首は、一切血を撒き散らすことなく宙を舞う。その瞳には、キラキラと散りばめられた星々の光が、反射していて。すべてを引き込むほどの煌めきが広がっていた。
「どれだけ凄惨な殺し合いの中でも。星空は、変わらず私を見てくれていたんだ。そうだろう? 勇者くん」
夜空を見ていた。いつもいつも、変わらない星空を。
地上でどれだけ血みどろの戦いが起こっても、一方的な蹂躙が起こっても。ただひたすらに、唯一暗闇で輝く光を――
「私たちは、その光を見続けていた」




