6-悪夢の旅路・後編
蛇の体内に入ったベルは、魔導書を水気から切り離すように四肢を畳み、抱え込む。魔術は手から出していたので、それが濡れたことが発動できない原因とは限らないのだが……
どちらにせよ、乾いた部分は必要なので無駄ではない。
雨や水流から離れ、蛇の唾液からも守られている魔導書は、少しずつ輝きを強めていた。
その周囲には、チラチラと炎が揺らめいている。
ベルの目論見通り、消されることなく火種を維持することができているようだ。
「強められてる。消火されずにいる。これなら、いける!」
故郷の森で出会った熊とは違って、ベルの魔術は炎そのものになるものではない。扱う以上、多少の耐性はあるだろうが……普通の生物よりも高い出力を出せるだけで、あくまでも生身の生物のままの力だ。
そのため、丸まった内側で燃える炎は彼自身をも焼き焦がし、苛んでいる。あの時のリチャードと同じく、完全に捨て身の攻撃だった。
だが、こうでもしなければ結局壁は乗り越えられない。
助けてほしいと願う人々を救い、家族と同じように善良な人になることはできない。近くに止める者もいないため、彼はそのままどんどん火力を増していき……
「ぶっ飛べぇ!! 厄介な蛇野郎!!」
「キシャァァッ……!!」
ついには、噴火と見紛うほどの勢いと規模で、蛇の魔獣を内から焼き尽くしてしまう。
自分もろとも暴発したことで、ベル自身も勢いよく吹き飛び黒焦げになってしまっているが……
抵抗不可能だった蛇は、首から弾け飛び列断面から炎をこぼしていた。
「カフっ……こりゃ魔力がどうのってレベルじゃねーな……」
ろくに休息も挟まずに、3回もの暴発。
現実なら、とっくに死にかけているくらいの無茶だ。
ここは夢の中だが、それでも精神が活動しているのだから、負担は尋常なものではない。黒焦げになって宙を舞うベルは、心身ともに限界を迎えて無抵抗に地面に落ちた。
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「――!!」
意識を失ったベルの周りで、誰かの話し声が聞こえる。
かなりの人数が集まっている上に、どうやら揉めている様子だったが、夢の中とはいえ肉体も損傷した彼は目覚めない。
自身に宿る神秘を……やや誇張気味に言うと、この星で生きている証明を使い果たすという無茶をしていたのだ。
その意識は、暗黒の中に包まれて完全に沈黙していた。
「――」
意識を失ったベルの隣で、誰かが話しかける声が聞こえる。
どうやら1人しかいないらしく、静かな空間だった。
(……何か、聞こえる)
少し前と違って、とても起こす気の感じられない環境ではあるが、だからこそベルの精神は休めたのかも知れない。
再び悪夢の世界に浮上した彼は、ゆっくりと目を開けて苦難の道に現れる。
「……ここは」
彼が目を覚ましたのは、質素だが清潔感のある宿屋だ。
ベッドから体を起こすと、看病してくれていたと思しき人影が顔を上げる。
「起きたのね、勇者さま」
「あんたは、たしか村で助けた……」
目の前にいたのは、一番最初にベルが助けた女性だ。
あの時は寝間着姿だった彼女は、今はなぜかメイド服を着ている。
彼のつぶやきを聞くと、小さなホワイトブリムを付けた黒いミディアムの髪を揺らしながら頭を下げた。
「えぇ、村で助けていただいた者です。
あの時はありがとうございました」
「そっか。蛇が暴れて無茶苦茶になってたけど、みんな無事だったなら良かった」
「……はい」
普段は実際にプロとして働いているのか、単に恩を返すために粛々としているのか。女性はベルが笑うのを見ても、昨日ほどは表情に出していない。
それを気まずく思ったらしく、彼は少し戸惑った様子で目を泳がせながら、状況を聞き始める。
「それで、ここはどこ? どれくらい眠ってた?」
「勇者さまは数日間眠り続けていました。
だけど、村には大ケガを治せるだけの技術も設備もなくて……
治療のために、大きな街まで運んできたんです」
(……そういう設定で、この街にいるのか)
村の現状ははっきりとしないが、現在地が街なら、ひとまず今すぐに何か起こるなんてことはないだろう。
とはいえ、まだ悪夢の中にいるというのなら、勇者の試練はまだ終わっていない。
少し考え込んでいたベルは、この街でもイベントが起こるのだろうとベッドから滑り降りた。
「あ、もう起きて大丈夫なんですか?
何日も眠り続けるくらい消耗していたのに」
「うん、だいじょうぶ。それより、外に出たいな」
「なぜでしょう?」
「えーっと……まだやることがあるから?」
「……そうですか」
女性はあまり感情を顔に出さないが、どうやら心配しているようだ。ベルがあからさまにはぐらかすと、それ以上は追及しないまでも、有無を言わせずその後ろについていく。
当然、彼の家ではメイドを雇っておらず慣れていないため、豪邸の主になったかのような状況に困惑するばかりである。
(……この人、誰なんだぁ? 次の案内役かなんか?
その割には何も言わないし、なんでついてくるんだよ……)
女性の立ち位置は不明だが、まだ何も言ってこないのだから、外に出ること自体に問題はないのだろう。
ベルは首を傾げながらも、少しでも悪夢の進行度を進めようとそのまま廊下を進んでいった。
廊下も部屋と同じく、手入れが行き届いていて綺麗だ。
歩いているだけでも心躍るような過程を経て、彼らは宿屋のエントランス、そして外に踏み出していく。
「ゆ、勇者さまだ!!」
「私達を助けてください、勇者さま!!」
「あなた様にはその責任がある!!」
「勇者に選ばれたからには、我々を助けるべきなのだ!!」
「っ……」
瞬間、ベルに叩きつけられたのは、押し潰されてしまいそうなほどに叫び、役目を果たすことを求める人々の心だった。
1つ前に見たの村よりもよっぽど残酷な言葉に、彼は思わず表情を歪めている。
後ろから付いてきていたメイドも、心苦しそうに目を伏せていた。しかし、その様子を見ても集団の圧力は弱まらない。
むしろ、より一層悪化するばかりだ。
「聞きましたよ、村が1つ魔物に食い荒らされたと!!」
「一度助けられた者も、その後に放置されたせいで何人も亡くなってしまったとか!!」
「一時の希望を見せるなんて、なんて残酷なんだ!!」
「全員助けないなんて、それでも勇者か!!」
「せめて私達は助けなさいよ!!」
何十、何百と集った人々は、それぞれが不安を増幅させながら、より醜悪な様相を示す。声が反響し、姿が歪み、まさに悪夢といった光景だった。
それらをぶつけられるベルは、これもまた試練だとでもいうように、黙ったまま俯いて耐えている。
唯一正常なのは、隣まで来てくれたメイドさんだけで……
「行きましょう、勇者さま。あなたがここで経験すべきことなんて、もう残っていないでしょう?」
「……わかった」
彼女の呼びかけで、彼はようやく顔を上げる。
責任を与える王を見た、実際に助ける人を見た、広く浸透している民意を見た。
義務を理解して、万能ではないことを知り、願われることを思い知り、善良な勇者に憧れる少年は前を向く。
「この悪夢で求められてるのは、魔王の討伐。
あんたが、案内してくれると思っていいのかな」
「えぇ。僭越ながら、私が案内をさせていただきます。
大魔王が待ち受ける、魔王城まで」
「大魔王……」
メイドが宣言すると、直前まで騒がしかった人々は瞬く間に消え失せ、景色は一変する。
内の醜さはともかくとして、街並みや天候などは整っていて明るかったのが、暗く禍々しい光景に。
迎え入れるようにお辞儀をする彼女の背後には、棘々とした威圧的な魔王の居城が現れていた。




