5-悪夢の旅路・中編
駆け出したベルの目に映るのは、洞窟の時と同じく様々な魔獣が暴れ回り、人々が逃げ惑う光景だ。
すべてではないにしろ、獲物がいなければ家にも飛び込んでいくため、本当に逃げ場はない。
室内で追い詰められた者は抵抗できず、外に逃げた者もすぐ無数の魔獣に囲まれて、蹂躙されてしまっていた。
表情を険しくするベルは、まだフラついているにも関わらずスピードを上げ、1番近い群れの中に飛び込んでいく。
「どっけぇ!! おい、大丈夫か!?」
「はぁ、はぁ……ゆ、勇者さま? っ、助けてください!!
村が魔物の群れに襲われてしまって!!」
「わかってる。全力で守るから」
魔獣たちに囲まれていたのは、寝間着姿のまま飛び出してきたと思しき女性だ。彼女に縋りつかれたベルは、苦しそうな顔をしながらも魔導書を構えている。
(師匠は言ってた。魔力が足りていないって。魔導書があれば、神秘を魔力に変えなくても力を出せるけど……
外付けより自分自身の方が使いやすいに決まってる。
だけど、その量を増やすのがすぐにはできないんだったら、細かな操作をできるようになるしかない。
神秘を取り入れて順応させる効率も、魔力として放つ出力の調整も。この大自然を、より身近なものに感じて)
ページがめくれている魔導書は、いつもより弱々しくも安定した輝きを放つ。飛び込んだ時に放った炎はあくまでも牽制に過ぎず、もう消えかけて魔獣はにじり寄って来ているが……
スピードが上がったりすぐに止めたり、輝きを増したりする様子はない。全力を発揮するために、周りに影響されずに力を溜めているようだった。
しかし、それはつまり、魔獣たちが迫ってきているのに全然身を守れる雰囲気ではないということで……
ベルが自分よりも小さな男の子だと気付いた女性は、不安げに問いかける。
「あ、あのっ! これ、大丈夫なの……? ですか?」
「だ、だいじょーぶだいじょーぶ!! ちゃんとイメージが固まればいけるはず。そう、イメージが」
(魔術を使うためのイメージ――精神力は、神秘的な力が現実に及ぼす変化に方向性を定めること……なんだよな?
超常現象を発生させる、現実を上書きする、敵に勝つ。
だったら、やっぱりシンプルにこういうのが)
痺れを切らしたらしく飛びかかってきた狼を、思い切り蹴り飛ばしながらベルはキッと敵を睨む。
直前まで悪戦苦闘していたが、どうやら上手くコントロールする方法を思いついたらしい。
悲鳴を上げる女性を下がらせながら、めくれていたページを止めて言葉を紡いでいく。
「燃え上がれ、咲き誇れ、遍くすべてを飲み込み輝け。
温もりの具現、惑わしの灯火、根源的な恐怖の遊び手よ」
言葉にすることで、それはより明確なイメージとして現実になる。ふわりと振るった左腕に沿うように、穏やかながらも十分な力を秘めた火の粉の波が現れた。
"ファルファデ"
「キャンキャン!?」
「ピピィ……!!」
火の粉の波と言いつつも、密接に集まっているのだからその実態はほとんど炎の波だ。火はすべての生物を恐れさせるので、彼らを囲んでいた魔獣たちはひとたまりもない。
体を焼かれ、体毛に燃え移られ、逃げても逃げられないまま苦しんでいる。初めて0から魔術を成功させたベルは、それを見て嬉しそうに追撃を行っていた。
「よっし! 踊れ火の妖精、無理なく逃さず焼き殺せ!」
彼が放った魔術は火の粉の波だが、本質は完璧に操ることである。威力や範囲を抑えている代わりに、手足のように自在に、遊んでいるかのように手軽に力を使っていた。
片手を下から上に、すくい上げるように動かせば、炎の波は噴き上がるように波打つ。上から下に、押さえつけるように動かせば、覆いかぶさるように炎は爆ぜる。
横向きに薙ぎ払えば、すべてを洗い流すように炎は魔獣たちを飲み込んでいくといった具合だ。
この場には魔王種もいなかったため、ベルは瞬く間に敵を倒してしまう。
「ふぅー……このやり方なら、無茶せず戦えそうだ」
「ありがとう、勇者さま。でもその、このままだとまたすぐに襲われちゃうと思うから、全部倒してもらえませんか?」
「当たり前だろ。任せといてよ」
どうにか魔力操作を成功させ、一息ついていたベルだったが、もちろん休んでいる時間はない。
女性の頼みに急かされる形で顔を上げ、笑顔を貼り付けながら次の戦場へと向かうことになる。
実際、今助けられたのはたった1人だ。
すぐ近くでも、複数人の悲鳴が聞こえていた。
「それから、私は戦えないのだけど、安全な場所って……」
「うん。炎の壁を作っておくから、中にいて。
外が安全になるまで、出入りはできないけど」
「本当にありがとう! 流石は勇者さまね」
女性の周りに炎の防壁を作ってから、ベルは次の人の救出に向かう。消して再度燃やすのは大変なので、その間常に周囲には炎の波が漂いうねっている状態だ。
時々驚かれ、逆に悲鳴を上げて逃げられながらも、彼は必死に助け続ける。助ける度に、その人達を守るために炎の防壁を作り、負担を増やしながら。
「はぁ、はぁ……」
その数が10を優に超えた頃。流石に炎の波を安定させられずに揺らしているベルは、巨大な蛇の前で膝に手をついて息を切らしていた。
(コントロールできる出力に抑えてても、流石に10個以上にわけて維持するのはしんどいな……)
蛇は体が長いとはいえ、首を伸ばしているだけで家屋を軽く超えているのは、とんでもない巨大さだと言える。
たとえ万全の状態だったとしても、ベルが勝てるとは思えなかった。
だが、いくら他の魔獣を倒せたとしても、最も強大な存在を放置していれば、村の人は全滅すること確実だ。
習得したばかりでも、戦う力があるのならば、勇者を目指すのであれば、立ち向かわなくてはならない。
逃げ出してしまえば、その憧れや夢は彼を蝕む毒と化す。
ここは悪夢の中で、現実にはまったく関係はないのだが……
勇者とは実績や行為ではなく、在り方の問題だ。
彼の意志がある限り、どこあっても変わらない。
そのためベルは、既に炎の波が消えかけている中でも、懸命に体を持ち上げて格上の敵を見上げる。
「シュー……」
「この感じ、もしかして魔王種か? はは、参ったな」
「シャァァァッ!!」
目が合った。それを契機として、蛇は荒ぶる。
太い体を前後に揺らしながら雄叫びを上げると、直後に地面から吹き出すのは、何本もの水の柱だった。
「うっ、これはマズすぎる……!!」
それまでの村は、外周を火の壁で囲われた上、そこら中に炎の塔的な防壁があって、火の海地獄といった様相だった。
ベルの操作によって、村に被害を出すような燃え広がり方はしていなかったが、火があるだけで攻撃手段になる。
地の利は彼にあったと言えるだろう。
しかし、噴火に近い勢いで噴き出した水流は、雨のように降る水は、上下からそれらをすべて押し流す。
村人を守っていた炎の塔は無理やり解かれ、村を守っていた火の壁も消えかけていた。
幸い、ほとんどの魔獣はベルが倒していたし、そうではないものも水流に止められているため、今のところ危険はない。
危険はないのだが……
「これじゃ村の人達を守れないし、何より火が使えねぇ。
たしか、神秘を染み込ませた的なこと言ってたよな?
つまりは1つの魔導書で1つの属性。オレがもらったこれは、炎しか使えない魔導書だっ……!!」
ベルにできることは、ほとんどなくなった。
みるみる消される炎や新たに出せない炎を確認し、歯を食いしばって俯いてしまっている。
だが、力が封じられたからといって状況は待ってくれない。
火は完全に沈黙し、人々はどうにかその場に留まりながら、口々に非情な言葉を紡ぎ出す。
「うわぁ!! 安全じゃなかったのかよ!?」
「助けてくれるって言ってたのに、嘘つき!!」
「っ!!」
非難を受けたベルは、多少無茶でも助けざるを得ない。
自分が受けてきた善性を、否定させられないから。
あの勇者のような姿に、光を見てしまったから。
彼は最も蛇の魔獣に狙われている者として、水弾や尾の攻撃を受け続けても止まることはなく。
むしろそれを利用して、ボロボロになりながら人々を屋根に避難させていった。
「悪いんだけど、なんか武器に使えるものってないか?」
「村に武器なんかないわよ!!」
「さっきまで魔物みたいな力で戦っていただろう!?」
「あの凄い力で戦えばいいじゃないか!!」
水圧で一部の肉が抉れたベルが聞いても、ほとんどの人々は非難するばかりだ。
普通の人間では使えない、魔獣と同じような高出力の神秘の力――魔術を使う姿を見ていたから。
彼が自分たちを助けてくれる存在――勇者であると認識していたから。
それを悟ったベルは、苦しげな表情を噛み殺して微笑む。
勇者はそう在るものだと、本当の意味で理解して。
「……そうだな。ごめん」
魔導書すら持っていないベルは、荒い息を吐きながらも屋根を伝って蛇の元へ向かう。
その目はまっすぐと敵だけを見ていたが……
「すごい力が使えても、万能になれる訳じゃないんだよ……」
無意識にか、口からは本音がこぼれ出ていた。
これは悪夢だ。多少誇張されている部分もあるのだろう。
しかし、現実でだって少なからずこういう部分はあるのだ。
実際にあるからこそ、勇者の道を並んで歩き始めたベルに、最初の試練のように悪夢は突き付けられた。
『お前は、この道を貫き通す覚悟を持っているか?』と。
(こんな理不尽な道を、歩いてきたんだな。
こんな辛く苦しい道を、辿ってきたんだな。
オレはこれを理解しても、前に進めるかな?
答えはまだ、すぐには出せないけど……)
「村のみんなは、最後まで他人のオレを案じ守ってくれた。
あいつは常に冷徹で、ただ助けるために生きていた。
それを知っている。わかっている。理解している。
なら、きっと大丈夫だ。せいぜい足掻いて目指してやるさ。
人は、憧れを夢見て歩んでいく生き物だから!!」
屋根を飛び出したベルは、まっすぐ蛇に飛びかかっていく。
なんの策もなしに、完全に無防備な状態で。
「みんなみたいに善良な人で在れるなら……
なってやるよ、勇者でもなんでもさぁ!!」
この場で唯一、自分を傷つけられる存在に襲いかかられた蛇だったが、それはまったく動じずにいる。
これ幸いとばかりにぱっくりと口を開けており、ベルはそのまま吸い込まれていった。
その様子を見ていた村人たちは、一斉に悲鳴を上げているが……飲み込まれたからといって、即死する訳ではない。
(オレが村を出たのは、守られるだけじゃなくて、みんなのように他人でも助けられる人になりたいからだって話ぃ!!)
水流や雨から逃れたベルは、再び虚空から魔導書を取り出して、四肢を丸めた形で胸に抱えていた。




