1-試練の夜
夜空を見ていた。いつもいつも、変わらない星空を。
地上でどれだけ血みどろの戦いが起こっても、一方的な蹂躙が起こっても。ただひたすらに、唯一暗闇で輝く光を――
「……」
――夢を見ている。
「ここは……」
――夢を、見ている。
ゆっくりと目を開いたベルは、見覚えのない場所で立ち尽くしながら、冷静に現状を分析していた。
「城の、中?」
目の前に広がっているのは、この世のものとは思えないほど綺麗で広々とした、城の大広間的な空間だ。
木造ではない時点で村とは雲泥の差だが、派手すぎない程度に装飾品もあり、目が潰れそうな程に眩しい。
しかも見回してみると、周囲には村の人口よりも多いのではと思ってしまうくらいの人が集まっていた。
おまけに、その誰もが貴族なのでは……?と感じられるような綺麗な服に身を包んでいる。
魔獣の食料庫と化していた、貧しい村の孤児であるベルからすれば、もはや天上人のような人々だ。
「……変な夢だな。はっきりと自分の意識がある。
夢だってわかる。なんとなく、不安に心が掻き立てられる。これが、悪夢……? リチャードは……夢だしいる訳ないか」
なぜ、こんな夢を見ているのか。ちゃんと目覚められるのか。ベルには何もわからない。しかし、このまま何もせずに突っ立っていても、状況が動くことはないだろう。
今わかることを確認し、最低限を理解した彼は、ひとまず他の場所を探索してみるべく一歩踏み出していく。
その瞬間、静止画のようにただあるだけだった世界は、騒々しく動き出した。
「どうかお助けください勇者様!!」
「人類は滅亡一歩手前です!!」
「国王様すらも亡くなられた今、頼れるのは貴方様だけ!!」
「ここは、唯一まともに機能している人類最後の国!!」
「決して我らが滅ぶ訳にはいかないのです!!」
「世界を!!!!」
「「世界を!!」」
「「「世界を!!」」」
「「「「世界を!!」」」」
「「「「「お救いください、勇者様!!」」」」」
何十、何百人もの人々から発せられる言葉は、たった1人のベルに容赦なく浴びせかけられる。
その音圧や期待、視線は、鋭く突き刺さる剣のようだ。
一歩足を踏み出しただけの彼は、そのあまりの変化や重圧に叩き潰され、表情を歪めて膝をついていた。
「っ……!? なん、だ……この悪夢!?
全身が重い。息苦しい。体が、震える……」
ついには両手までついたベルは、ここにきてようやく自分の体に意識を向ける。地面についた手はまだ柔らかいのにボロボロで、とても城に住む者とは思えない。
身に纏っている服も、本来なら勇者らしく威厳を感じられる質のいいものなのだろうが、すっかり汚れきっていた。
おまけに、その手や服はどこかで見た覚えのあるもので……
「っ、まさかこの体……」
さらなる異常に気がついたベルは、渾身の力で立ち上がり、近くのテーブルに置いてあった鏡の元へ向かう。
目的の場所まではほんの数メートルだが、そんな短距離でも人々の圧力によってかなりの労力が必要だ。
彼は殺し合いのさなかであるかのように息を切らしながら、震える足で一歩一歩ゆっくりと進んでいた。
声は延々と響き、身を打ち、倒れ込むようにテーブルに辿り着く。懸命に手を伸ばして鏡を見ると、そこにはこの夢中で唯一見覚えのあるものが映っている。
「はぁ、はぁ……リチャードの、体だ」
わからないことだらけの夢中だが、これでなんとなくの内容や方向性は確定した。勇者であること。それがこの悪夢だ。
直後、世界は声にかき混ぜられるように揺れ動き、目の前には燃え盛る街が広がる。
「うっ、景色が変わった。ここは、都市の中?」
フラつきながら頭を押さえるベルが立っているのは、先程の城同様、村よりも遥かに栄えている街だ。しかし、今は魔獣に襲撃でもされているのか、そこら中で人々が倒れている。
立派な建物も、次々に倒壊していて危険極まりなかった。
もっとも、ここは夢の中なのでベルに危険はない。
襲われている人々も、実際に死にかけている訳ではないので、わざわざ背負いこむ必要はないだろう。
だが、誰かを助けたいというのが、彼の旅立った理由だ。
たとえ夢だろうと、見過ごすことはできなかった。
まだリチャードの体を自由に動かせないというのに、彼の剣を抜いて必死に駆け出していく。
「うまく動けない。まるで力が入らない。けど、人を見捨てるなんていやだっ! オレは助けてもらったのに。
みんなの善良さを、踏みにじるような行為なんて!!」
不安定な身体を、無理やり動かして少年は駆ける。
まっすぐ走れておらず、何度もコケそうになっているが。
みっともなくても、全力で誰かのために走る。
「アギピャっ……」
しかし、その奮闘も虚しく目の前の誰かは噛み砕かれる。
伸ばした手は何も掴めず、ただ飛び散った血で赤く染まっていた。
「ッ……!! けど、まだ他にも……」
ベルが唇を噛み締めながら振り返ると、その瞬間、街の景色は爆散する。倒れている人、血を流している人、今にも死にそうな人。そのすべてが踏み潰されたようにグチャグチャになり、血の嵐が吹き荒んでいた。
赤で視界が塗り潰されたことで、建物もまた消える。
飲み込まれ、圧し潰され、周りの光景はすべて消されて暗闇になってしまった。
「……オレは」
旅に出ても、修行を始めても、変わらずベルは無力だ。
何もできず、ただ目の前で人を殺されてしまった。
彼は呆然と立っているが、悪夢が待ってくれることはない。
周りの光景は次々に移り変わっていく。
「誰かを、助けるためにっ……!!」
先程の城の中、平原で出会った旅人たちの目の前、旅の途中で立ち寄ったらしき村、人が打ち捨てられた洞窟の中。
どの光景の中でも、人が苦しんでいる。
今にも死にそうな人々が、助けを求めている。それなのに、いくら駆け回ってもベルには誰も救えず立ち尽くす。
「……オレは」
最終的に、未熟な少年は薄暗い地下室の中に。
茫然自失となって、無力感に打ちひしがれていた。
「あいつみたいな、勇者に」
ポツリとつぶやく言葉には、もう力がこもっていない。
空っぽになった体に染み込んでいるだけのものとして、座り込んだ彼から零れ落ちている。
「……」
洞窟のような地下室に太陽光など届かず、目の前もまともに見えはしない。辛うじてある光源は、天井に元々ある鉱石やぼんやりと光っている苔だけだ。
「お前は、勇者になりたいのか?」
「……?」
その光が、ギリギリ届くか届かないかといった奥にある、鉄格子の向こうから。突然、聞き覚えのある声がかけられる。
ゆっくり顔を上げたベルが、不思議そうに目を凝らして見ると、そこにあったのは鎖に繋がれた仲間の姿だった。
「え、お前……リチャード……!?」
なぜさっきまで気づかなかったのか。
どう見ても幽閉されているリチャードは、朧気に神秘的な光を放っていた。
驚いているベルは混乱した様子で名を呼ぶが、ここにいるのは本物だとでもいうのか、返事をしない。
興味なさげに彼を見つめながら、自分が言いたいことを吐き捨てる。
「なら、まずは俺の拘束を解いてみろ。
未熟なガキでも、これくらいはできるだろ」
「いや、ちょっと待ってくれ。なんでお前がここにいる?
この悪夢は何だ? 一体どうなってるんだよ!?」
リチャードから要求を聞いたベルだったが、すぐさま行動には移せず問い詰め始める。気付いたら夢の中と思しき場所に閉じ込められ、ひたすら悪夢を見せられていたのだ。
実質的なリーダーに助けを求めるのも、無理はない。
だが、普段からコミュニケーションの取りづらい彼が答えてくれないのも、また当たり前だった。
しばらく沈黙したリチャードは、一切熱を感じない瞳でベルを見据えながら言葉を紡ぐ。
「……未知を前に、他でもない俺に助けを求めると。
一つ聞くが、お前がなりたいのは俺そのものなのか?
お前自身が、そう在りたいんじゃなかったのか?」
「は……? なんの話だよ」
「お前は自分の姿を知っている。夢を知っている。
今の状況で、何も思わないのか?」
繰り返し問われるベルは、段々と全身に力が戻ってきていることを実感しながら、表情を引き締める。
彼は、ただの無力な村の孤児、ベルだ。
夢は、あの日の勇者のように人を助ける者になること。
悪夢とは、さっきまでのように誰も救えないこと。
(当たり前のことだった。考えるまでもないことだった)
夢の中とはいえ、なぜリチャードの姿になっていたのか。
今この場で、なぜ彼が自由を奪われているのか。
「ふるい立たせてもらった。助けられた。
面倒なやつではあるけど、その姿に憧れた。
だけど――」
気力を取り戻したベルは、虚空から魔導書を呼び出して魔術を発動する。この場合、必要なのは牢をぶち破る火力だ。
暴発しようが巻き込まれようが、人の魔法よりも強い力さえ発揮できればそれでいい。
勝手にめくれていくページを止めると、ベルは不安定に明滅する業火を前方に放つ。地下牢の暗闇は瞬時に輝きで満ち、リチャードごと呪縛は吹き飛んでいた。
「憧れとは、愚か者だけが持つものだ。
賢明な者が持つ場合、人はそれを目標と呼ぶ。
ならば、夢追い人が理想に心を縛られることはない。
お前はお前の戦い方で、それを目指せばいい」
地下牢を消し飛ばすほどの業火の中から、リチャードは事も無げに現れる。その隣に立つベルは、既に彼本来の姿を取り戻していた。




