夜の酒場の披露宴
恋をしていた。うん、恋をしていた。
会社の社長のプライベートなイベントをきっかけに知り合った女性だった。
ずいぶんと年下の彼女にほぼ一目惚れだった僕は、一泊のイベントの解散までになんとか連絡先をゲットせねばという野心に溢れていた。けれども、いざ恋をすると6年間男子校で純粋培養された純情ボーイ魂が爆発するもので、その時はそれすら叶わず、儚い一瞬の恋だったのかな、なんておセンチな気持ちになったものだ。
その1年後ぐらいだろうか。これもまたひょんなきっかけで再会することになる。よく社長に連れられて通っていた歌舞伎町の夜のお店に、ある日唐突に、彼女がいた。びっくりしながらも、社長は普通に彼女のことも指名していたので、僕らのテーブルには自然といた。
「え、いつから? ってか覚えてます?」
おそるおそる丁寧語で話しかける僕に
「もちろん。元気?」
というごく普通の会話から始まったのだけれど、僕はテンションマックス。あの時は「連絡先教えてください」の一言すら言えなかったけれど、ここは夜のお店。余程の木偶の坊でもなければどうやったって連絡先は入手できる。
そのうちに、プライベートで二人で飲みに出かける間柄になった。
彼女は割とフェティシズムの世界に生きていて、結構というか、なかなかに尖った女性で、どちらかというまでもなくSだった。M気質な僕は、彼女に振り回されながらも、そこに心地よさを感じ、傍目にもワンコのように付き纏っていた。誕生日だと言われれば、共に伊勢丹に出向き、僕からしたらそこそこの値段ののする彼女指定のお品物を上納した。
「これとこれ、どっちが似合うかしら?」
正直どっちが似合うとかではなく、どっちがいくらなのかに左右される。
ぶっちゃけ安い方を……と思うのだけれど、しかしこれは上納品であり、献上品であり、貢物だ。
一応、「どっちが似合うかな〜」とつぶやきながら比較検討しているふりをして、「やっぱ、こっちかな」とおそるおそる値段の張る方を選ぶ。
安い方を選んでも良いし、そんなことを思うような女性でもないのだけれど、なんとなく値段で日和った雰囲気は自分でも嫌だし、ある程度の値段を超えてしまえば、そこでの1、2万円の価格差なんて誤差となるわけで、胃がキリキリしつつも高い方を選択する。
彼女の職業や交友関係的に、お高いものはもらい慣れているだろうけれど、気持ちの問題であり、自分なりの誠意だ。誠意大将軍なのだ。
ところで、夜のお店で支払う飲食代金は、それなりに高くても割とスパッと支払えるのに、形の残る物品の代金って、どうにも勇気がいるのはなぜなんだろうか。普通は「形の残るものにお金をかけた方が有意義だろう」という意識が働いて然るべきだ。これは呑兵衛あるあるかもしれないし、ただ酔っ払って脳がバカになっている証左なのかもしれない。
また、呼ばれればどんな場所へも行った。
ゲイバーやSMバー、フェティシズム系のイベント会場、果てはハプニングバーに呼ばれたこともある。
そういえばタイムリーな話だけれど、つい先日、新宿の老舗系列のハプバーが摘発されたニュースを目にした。その老舗のお店の名前自体はもちろん知っていた。歌舞伎町の世界も狭いもので、ちょっとだけ驚いた。
その時流れていたニュース記事の見出しから一文抜粋する。
>新宿・ハプニングバー摘発〉ダーツ中の全裸客も逮捕…店内ではいったい何が?
字面で吹き出すけど、まあ、大の大人が大真面目大はしゃぎで、こうやって楽しんでいる世界があるんだよね。
閑話休題。
そういうプレイ的なものを僕自身が多少なりとも体験したのかどうかは、ご想像にお任せするとして、少なくとも彼女と二人でそういうところへ行くということは、彼女とそういうお遊びをする目的で同伴しているわけではないということはご理解いただけるだろう。
まあとにかく、そういうお店にも通い慣れている彼女なわけで、普通のごく平凡な世の中に生きているひとびとからすると異世界の住人と言っても過言ではないし、そういう世界に半歩でも一歩でも珍歩でも? 踏み入れたという経験は、意外と大きな財産でもある。
もちろん普通の呑み屋に行くだけの時もあれば、彼女が呑み屋で働いているところに顔をだすこともあった。キャバクラや、キャバクラとはちょっと異なる夜のお店のキャストもやっていたので、そちらへお邪魔することもあった。同伴もするし、アフターに誘われて行きつけの呑み屋で飲み直すこともある。
ようするに、声さえかかれば、本当にどこにでも向かった。
頻繁に会っていた時期もあれば、しばらく疎遠だった時期もあり、波はありつつも数年間そういう付かず離れずの関係が続いていた。
ある日、あいも変わらず新宿ゴールデン街のホームのお店で一人で飲んでいると、夜中にふらっと彼女がやってきた。男を連れて。
まず、僕のホームのお店に、彼女が普通に通っていたことをその時初めて知って驚き。
そして、連れてきた男が、中高の同級生だった友達だったので重ねて驚き。
その友達もゴールデン街に店を構えていることを知って三度目の驚き。
一粒で三度美味しいびっくり話……と思っていたら、彼女が、その友達の店の結構前からの常連だと知って四度目の驚き。
そうなってくると、その友達が彼女のことを少しだけ狙っているだの、僕のホームのお店の店主がその友達のことを嫌っているだの、その他にもいろいろと出てきたお話はもうどうでもよくなっちゃった。まあとにかくびっくりが詰まった偶然の出来事だったのだ。
結果として、友達がその彼女に具体的にちょっかいを出すようなことはなく、また、僕は僕で、それまで同様にS女子にちょっとだけ恋焦がれるM男子という関係の呑み友達を維持し続けたので、失恋もしなければ、成就することもなく、なんともモヤっとした感じで、その後それなりに長い時間をかけて関係はフェードアウトしていった。
残ったのは、僕のホームのラインナップに友達の店が加わったという結果と、元祖(と区別のために付けておこう)ホームの店主は、あいも変わらずその友達のことは嫌っているという、少しだけ面倒くさい現状だけだ。
仮にその彼女と僕が結婚でもしてたとしたら、披露宴は誰がどのグループに割り振られるんだろう、という妄想は止めておこう。