僕はイケメン社長さん
歌舞伎町を歩けば必ず出くわすのが、いわゆる「客引き」だ。
客引きにもいくつかの種類があるが、大きくふたつに分けると、お店専属の客引きとフリーの客引きとなる。お店専属の客引きは、概ね店舗の前を守備範囲として活動し、一定のラインを越えると引き下がる。お店間の縄張りがあるので、物理的に「このラインまで」が客引きをして良いライン、そこを越えると他店の縄張りになるので声かけ不可といった具合だ。面白いのが、客引きと歩きながら話していると「お兄さん、ちょっとその看板を越えてしまいますと、私そこから一歩も先へ進めませんので、可能性がありましたら二分でいいので立ち止まっていただけませんか」と、実際にライン瀬戸際のところでの攻防が始まったりもする点だ。実際、可能性があれば僕らも止まるし、一周回って他に惹かれる店舗がなければ、戻ってきて再びラインを攻めることもある。歌舞伎町だけではなく繁華街ではよく見る風景だ。
フリーの客引きは、どちらかというと、「キャッチ」と呼ばれることの方が多いかもしれない。悪質なのは、基本的にフリーのキャッチの方である。
フリーの客引きは、居酒屋であれ、キャバクラであれ、性風俗であれ、とにかく強引である。また、全てとは言わないが、トークのかなりの割合が嘘で構成されている。某有名店が話題になっていたような時期だと「どこかお決まりですか?」というトークにその有名店の名前を出してしまうと、「ちょうどよかったです。私そこの店のスタッフなんですよ。本店は今満員でして、姉妹店ならすぐにご案内できるんですがいかがでしょう? すぐお連れできますよ」などと調子の良いことを言い、いざ行ってみると全く関係のないぼったくりキャバクラだったみたいなことが当たり前のように行われている。本家の方も「当店に姉妹店はありません」みたいなアナウンスデカデカとしているようだったが、お上りさんらは知る由もなく、平気で引っかかるので、そういう行為はなくならないのだろう。
ちなみにフリーのキャッチにも、ごくごく少数ではあるが良識的なキャッチも存在する。某Sもっちゃんには、歌舞伎町で散々お世話になった。困った時のSもっちゃん。紹介してもらった店で一緒に飲むこともあれば、プライベートでも何度か飲みに行ったが、彼の話はおいておこう。
閑話休題。さて、遊び慣れてくると迂闊にキャッチに捕まることはないのだけれど、しかしながら、いつも通りの展開ではさすがにマンネリ化してくるわけである。そうなってくると酔っ払いとはバカなもので、「今日はちょっと攻めちゃう?」なんてノリで、キャッチチャレンジが開始される。
この日もいつもの男子メンツ六名ほどで軽く飲んだ後、軽くといっても三時間ぐらい、二桁以上の杯を乾かしたのちではあるが、次の店も決めずに歌舞伎町をふらふらと歩いていた。そうしながらも、「このあとどうしようか会議」は行っているのだけれど、あえて隙も見せつつではあるので多数のキャッチが入れ食い状態でやってくる。それに対して、僕らはあえてのノーガード戦法なので、来るキャッチ来るキャッチと分け隔てなく会話する。基本的にその後のサービスに期待はしておらず、彼らのトーク力を試していて、面白ければゴーサインになることが多い。もちろん「どうせ嘘でしょう? どうせぼったくりでしょう?」と何度も念入りに確認はしつつだ。しつつではあるが、あえて罠にかかりに行くチャレンジ精神のみを懐に携えている僕たち。不可解な行動ではあるのだけれど、実際そうなってしまうのだから万人に理解してもらえるようには解説のしようがない。
「どうですか。この後はお決まりですか? 女の子、おっぱい、本番。なんでもご用意できますよ!」
実母が横にいたら卒倒しそうな文句を声高らかに投げかけてくるキャッチのお兄さんたち。
「いやあ、普通に飲みたいだけで行くところも決まってますんで」
そっけないふりを装ってみる僕たちに食い下がるキャッチの兄ちゃん。
「どちらですか? 可愛い子つけて、だいぶお安くしておきますよ」
そんな入りから、多少話を広げてみる。
「たとえば、何か変わった、面白いお店とかある?」
「えー面白いというとどんな形でしょうね。えっと、例えばハプ系とかどうでしょう」
「ハプニングバーってこと? どんなハプニング起きるの?」
「どんなハプニングが起きるかは行ってのお楽しみじゃないですか! ささ、いきましょうよ。すごいハプニングが待ってますよ」
「えー」
頭の悪い会話だ。
こんな時、僕らはたいていキャッチに対してひとり、ふたりぐらいが交渉をし、その二、三歩離れたところあたりで、残りのメンツは会話にも入らずに普通にバカ話をしていることが多い。こいつらはただ飲めれば良いだけなので、その過程やどこへ行くかなどはあまり興味がないのだ。結論だけ伝えればそれで良い。
「いくら? 前金にしてもらえる?」
「わかりました。この金額でこの時間で、前金で飲み放題で。これでいいかがでしょうか。問題ないですね。ついてきてください」
この時は、「何かしらのハプニングが起こる」ということと、前金での支払いという点について念入りに確認し、とはいえ半分は野となれ山となれの精神で、その「ハプ系」と呼ばれる店へ向かうことにした。
「店決まったから、行くぞ」
「どこ行くんですか?」
「ハプ形の店だ。何かハプニングが起こるってさ」
「ハプニングバーなの? じゃないの? どっち?」
「分からん。とりあえずハプニングが起こるらしい。値段は……」
「オッケー。行ってみっか」
そんな適当な説明で店に向かう。
それほど遠くない場所にあったが、もちろん知らない店だ。扉を開けると、それほど狭くはない中型店舗ぐらいの広さの薄暗いホールが広がる。席は半分ほどは埋まっているだろうか。少なくとも他にも客がそれなりにいるという安心感はあった。
「六名様ご来店でーす」
事前の約束通り、ぼったくり対策として前金でとしていた料金を支払い席に通される。これ以降、何があっても追加料金は支払いません、女の子のドリンクなんて全て拒否しますよという覚悟だ。もちろんこういう時に断りきれずにキャスト用ドリンクの注文や場内指名をしてしまうやつは出てくるのだが、それは自己責任。各々の会計となる。
程なくしてキャストの女の子も到着する。最初から僕らお客ひとりに対してキャストも一名つきキャストの容姿もそれなりに見えた。サービスはそれなりによいのかな? とも思ったが、しゃべればすぐにわかる、全員中国人だ。
自己紹介をされ、名刺をもらい、飲み物を聞かれ、みんなで乾杯。と、そこまでは良かったが、早々に方々からこんな声が聞こえてくる。
「アナタカッコイイネ」
「マダワカイデショ」
「ワタシタイプダヨ」
「イケメン、モテルデショウ」
「スキニナリソウ」
六名についた六名のキャストの皆様は、それぞれ歯の浮くような、そしてほぼ同じセリフを繰り出し始める。
「……ロボットか、この子達は?」
機械的かつ同じ褒め文句を全員が一様に発する。本当に台本を丸暗記しているようで、それはそれで滑稽な光景だった。しかしながら、酔っ払って幼児化している男性というのは非常に単純な生き物なもので、そんな大根役者どものセリフであっても悪い気はしない。
開始十五分ほど経ったタイミングだった。中国美人ロボットたちのモードがこれまた一斉に切り替わる。
「シャチョウ、ソトイコ」
「シャチョウトワタシ、ソトイク、シャチョウ、イイコトデキルヨ」
「イッパイイイコト、シテアゲル」
接客タイプ変換。連れ出しモード、オン!
どうやら連れ出しパブだったようだ。それにしてもトークが分単位で完全にマニュアル化されているようで、きっかり十五分だったのには感心するばかりだった。
「いや、今日はそういうつもりじゃないからごめんね。セット料金払っちゃってるから、すぐに出るのは勿体無いしね」
一応、やすやすとその手には乗らないぞという意思表示をする。
「シャチョウ、ソトツレテッテクレナイ、ワタシニ、オカネ。ハイラナイ」
「ココデノンデテモ、ワタシ、タダバタラキ、ソトイコ」
「オカネナンナイヨ、イイコトシテアゲルヨ、ソトニ、イッショイコ」
どうやら、この子達はここで飲んでいても一銭にもならず、外に連れ出して得られる対価からお給料をもらっているようだ。完全成果報酬なのか……。
可哀想には思ったが、女の子に伝えた通り、そんなつもりで来ていないばかりか、前金以外のお金を払うつもりもさらさらない。女の子たちが連れ出しモードなのならば、こちらは逆に払ったセット料金分だけ飲んで帰るモードに切り替える。臨機応変に立ち回らなければ損をするのは自分なのだ。弱肉強食。気持ちを強く持って毅然とした態度で対応する。
と思った矢先に隣の席から怒号が飛んだ。どうやら交渉担当だった連れがボーイの一人にキレたようだ。もちろん「ハプニング」を真に受けて来たわけでもないが、それにしても内容が違いすぎる上に払った料金分も飲ませようともしない半強制的なやり方に腹を立てたようで、醉いも深かったのもあり突っかかっていったようだ。
最初はニヤニヤしながら様子を眺めていたのだけれど、今にも殴りかからんばかりの勢いになってきたため重い腰を上げて仲裁にかかる。
仲裁といっても、もちろん店側に配慮する気はさらさらない。仲裁する雰囲気を見せつつ、払った金額分ものませようとしないお店側のやり方に対して苦言を申し上げる。
「申し訳ありませんね。こいつちょっと頭に血が昇っているみたいで。掴み掛かっちゃうのはよくなかったですね。それについてはお詫びいたします。ただ、おかしいなあ。僕らは前金と聞いて実際その料金を最初にお支払いしているんですが、何かお話が女の子たちにちゃんと通っていないようなんですよね。みなさん、どうも早く外へ外へって感じで。これどうなってるんですかねえ。店外で何が行われるのかの具体的な説明は聞いていないですし、お店側がどこまで関与しているのかも存じ上げませんが、売春的なことだとすると違法でしょうし、店が直接関与していなくても斡旋に近いですよね。また仮にそうでなくても、前金払わせておきながらセット時間無視して外への連れ出しを許容しているのもおかしいですし、僕らはただセット時間飲みたいといっているだけなんですが、これだと契約不履行ですよね。また、なんだか、女の子たちからは、店から出ないと給料がもらえない、一円にもならないなんて、僕らにはよくわからないこともおっしゃっているんですよね。不思議だなあ。外に出て何があるんですかねえ。よくわかりませんが、返金だけしていただければ、この場はおさめて、こいつは連れて店を出ようと思いますが……」
我ながらいやらしく、ねっとりと、長々とちくちく言葉でだいたいこのようなことを伝えただろうか。会計時に法外な料金を突きつけて支払わなければ裏から怖いお兄さんが出てきて、払うと言うまで軟禁される……ようなお店ではなかったからだろう、店側も面倒臭い客を相手にしても利益はないと判断したのか、すんなりと合意を得られた。
僕らは、おのおの返金処理をし、退店の流れとなった。
女の子たちの境遇をおもんぱかると、いろいろな想いも出てはくるが、それは僕らが堂々と違法行為に加担すれば解決する話でもなく、下手に深入りするべきところでもない。キッパリと忘れて、また次の面白い店を探そうじゃないか。歌舞伎町とはそういう場所だ。今回はハプニング系ということでお邪魔したが、まあ中国美女たちによる連れ出しまでの一糸乱れぬマニュアル接客にはびっくりした。ひとつのハプニングだ。結果、連れがブチギレるというハプニングもあったが、結果一円も搾取されることなく店を出れたのでよしとしよう。
「さー、気を取り直して、次の店行こうか。あれ? 一、二、三、四……一人足りない。あいつどこいった?」
一人一人返金処理をして全員出てきたものと思ったが、一人まだ店内にいるようだ。電話をかける。
「もしもし、何してるの。返金してもらった? みんなもう出てきてるよ」
「あ、俺、このままハプニングです。じゃあ、また後ほど」
一同目を見合わせた。
歌舞伎町には、いろんな店、サービスがあり、それに惹かれて集まるものそれぞれにまた各々の楽しみ方がある。彼がそのあとどこでなにをしてきたのかはさておき、泥酔した僕ら退店組と数時間後に再会した彼の表情は、いつになく晴れやかでもあったので、彼なりのプレジャーに出会えたのだろう。酔いお金の使い方だ。




