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酒罵微忘碌  作者: 久世
22/26

モテ期

 歌舞伎町も随分と遊び慣れた頃のお噺。


 とある女性から一年ぶりぐらいに連絡をもらった。韓国人なのだけど日本の方が長く、ちょっと喋ったぐらいでは国籍は判別できない。僕らが行きつけだった夜のお店に姉妹で勤めていて、姉妹でナンバーワン・ツーをよく飾っていたような、いわゆる完全なる「プロ」夜職のお嬢さん。そんなことはわかっている。最初から。


「久しぶり、元気にしてる? 今度、ご飯いかない?」


 唐突なメールに少し驚きつつ


「久しぶり。元気だけど、どうしたの? 急に。何かあった?」


 と、ごく自然な言葉をお返しする。


「特に何にもないよ。会いたいなって思って。私、前の店もう辞めたんだ。でね、最近割と暇だから、ご飯でもどうかなって思って」


 なるほど。以前の店を辞めた。つまり今はきっと新しいお店にいて、そっちに古くからの客を引っ張ってこようとしているんだね。ふむふむ。営業努力だね。それぐらいは僕でもわかるよ。


「そうなんだ。いついつなら空いてるよ。お寿司とかどうかな。新宿でいい?」


 罠だとわかっていても、そこに首を突っ込むのが歌舞伎町紳士というものだ。あくまで平静を装って対応する。

 

 かくして、一年ぶりの再会となった僕らは、休日の昼下がりに新宿のとあるデパートのレストラン街で待ち合わせをするに至った。割とお高くはあるがチェーンの高級寿司屋さんあたりが妥当かなと思い、適当に場所を指定した。


 久しぶりの彼女、また初めて昼間に見る彼女は、相変わらず抜群のプロポーションで、抑えきれない女性のそれが溢れ出している。さすが長年ナンバーを張っているだけあって、プライベートでもさすがのオーラだと感心するばかりだ。相手はプロ夜職ではあるが、ひとりの女性でもある。もしかしたら、もしかしたら、僕にモテ期が到来しているのかもしれない。そんな淡い気持ちも抱かないではない。いつだって、夢や希望は捨ててはいけない。全国の少年諸君の憧れになるんだ!


 会話は特になんということもなく進む。プロ相手とはいえ、隙あらばという強い信念を常に懐に携えている僕は、普通に会いたくてご飯に誘われたのかもしれないという可能性を無限に大きく受け止めて、ポジティブ思考で楽しく時間を堪能する。

 ご飯を食べ終わったあとどうしようかな。一旦、ホームのゴールデン街にでも連れていって延長戦かな。こういう子は、ああいう小汚い場所も割と馴染んだりするし、きっと距離も縮まるだろう。そして、そのあとは野となれ山となれ。まあ次回に続くでもよいし……などと、頭の中で色々とシミュレーションをしながら、寿司をつまみにごくりごくりとビールを流し込む。

 普通に近況報告もしあった。


「今はどこのお店にいるの?」


 いろいろとポジティブな展開も考えたが、プロを相手にしているということは忘れてはいない。今日じゃなくても、そのうちどうせ連れて行かれるならば心構えも必要だ。先に聞いておこう。そうしよう。


「今は普通の居酒屋さんでバイトしてるよ。実はね、今日もこの後バイト入っちゃってね。飲みにくる?」


 普通の居酒屋でバイト。たしか今日は一日空いていると言っていたはずだが、急遽この後に仕事。そして居酒屋に飲みに来い、と。


 なんとも要領を得ない発言ではあるが、この時点ではいまだプロ仕様のお誘い七割、本当に居酒屋バイト三割ぐらいの可能性を考えていた。すでに家を出てきているという現実があるので、今振り返ってみても大甘裁定である。このような状況で三割もまだ信じているのだ。我ながらに思う。頭お花畑のノータリン。


 かくして、僕らは彼女の言う「居酒屋」へと足を向けたのだった。


「今日はお姉ちゃんもバイト出てるからね。あとで会えるね」


 などという情報も入れられながら、歌舞伎町の奥の方へと侵入する。普段あまり馴染みのない路地だ。


「ここだよ。さ、入って」


 目の前には重厚で煌びやかな扉が静かに存在している。この扉を一人で開けるには、相当な勇気を必要とする。はたして、どんな世界が待ち構えているのか……。ここにいたっては三割の可能性に賭けるノータリンなどはすでに存在しない。しかと意を決した歌舞伎町紳士の表情に、確かに切り替わり、いざ、入店。


「いらっしゃいませ〜」


 七、八名ぐらいのドレスアップした美女たちに迎えられ、さすがの僕も一瞬目を丸くした。

 あたりを見まわすと、店内にはほかの客はおらず、僕一人のために全キャスト総出でお出迎えという状況。艶やかな韓国語の歌が静かに流れる店内は、韓国人、中国人、日本人の女性らで構成される高級アジアンクラブのような雰囲気だ。


 ここに辿り着く前、そう、まだ僕の中にノータリンが生き残っていた頃、何気なく聞いてみたはずだ。


「居酒屋って言うけど、いくらぐらいするの?」

「えー、普通だよ。前の店みたいに高いところじゃないよ」


 この返答の時点で普通の居酒屋ではないということを認定すべきだったが、とりあえず前にいた夜の店より安い、でもおそらく居酒屋価格ではなさそうだということぐらいまでを想定し、意図的に思考をシャットダウンしていた。見たくないものには、蓋だ。

 しかしながら、この店内の状況を鑑みると、到底少しお高いレベルでは済まなそうなことは受け入れざるを得ない。なにせ、空っぽの店内にあって、全キャスト、全スタッフが僕についているのだ。

 簡単にシステムは聞いたが、そんなものあってないようなものになることは承知の上。僕は、再度心を奮い立たせた。


「よし。ここで、呑む!」


 清水の舞台から飛び降り……た。

 そこからの流れは走馬灯のごとくはやい。ワインを何本も開け、キャストさんたちはもちろん、割と序盤の段階でボーイの若い男の子も捕まえて散々と飲ませる。両サイドは、その姉妹ががっちりホールド。お姉さんも美女なんだよね。七、八名のキャストさんたちは、常に周りにいてくださって、ワイワイと賑やかし、もてはやしてくれる。おそらく、僕の滞在時間中、他の客は一人も来ていなかったから完全にリソースの集中投下となっている。


 男の歌舞伎町での夢を体現したかのような空間が出来上がる。こういうつくられたモテ期もいいんじゃないの?


 そんなふうに思っていても、楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。光陰矢の如し。どの程度の時間いたのか記憶は定かではないが、そこまでだらだらと長時間いたわけでもないはずだ。


 お会計伝票を渡される。ちらっとその数字を見て、しかし見て見ぬふりをして、僕はクレジットカードを手渡す。デートではあるので、多少は多めに現金も入れてきていたが、そんなものでは到底支払えない。カードは無駄にゴールドにしてあるものの、利用可能額はあまり高く設定していなかったので決済できるかどうか若干不安だったが、なんとか通ったようだ。落とせもしない領収書を受け取り、記載された金額は確認しないまま財布に放り込む。にこやかな女性陣にエントランスまでいざなわれ、気持ちの良いお礼と共に送り出され店を後にする。

 嵐が過ぎ去った後に訪れる静寂。


 ……やっちまった。


 路上のキャッチに捕まったわけではない。多少の嘘はあったが、知っている女の子と食事に行き、その後バイト先に顔を出しただけだ。また、ビール一杯で一万円などという法外な値段をふっかけられたわけでもない。きっちり高そうなワインボトルを何本も開けた。僕自身の指示で、何本も開けた。いちいちメニュー表など確認していないが、それ相応の値段なのは当たり前だ。


 ぼったくられたわけではないし、自分の意思で同行し、受け入れて呑んだ。楽しく呑んだ。男の夢も体現した。ポジティブに考えれば、どこにも敗者はいない。しかし、どう考えてもやっちまっている。

 散々呑んだはずだが、一気に酔いはさめる。この気持ちをどこかで誰かに伝えねばと、その足でゴールデン街のホームへ向かう。その日は朝方まで呑んだ。最初はやけ酒気味ではあったが、来る客来る客に話しているとだんだんと話芸としては洗練されていくもので、そういうお噺に仕上がっていった。


《♪♬♫♪♫♫♬♬♪♪♪♪……》


 帰宅後、泥のように眠っている僕のスマートフォンから陽気な着信ミュージックが鳴りひびく。夢と現実を区別できていない目をこすりながら、それを手に取る。知らない番号からだ。


「○○様でお間違いないでしょうか。こちらクレジットカードの●●、担当の……」


 クレジットカード会社?


「お客様のクレジットカードが不正に利用された可能性がございまして、お電話差し上げました。昨日なのですが、東京都新宿区歌舞伎町……で、三十五万円ほどの決済が発生しております。こちらご自身でお支払いされた記憶はございますか?」

「ああ、あまり記憶はないんですけどね、それは間違いなく僕です。記憶はありませんし適正利用かどうかもわかりませんが、他人による不正利用ではありませんので、お支払いします。リボるかもしれませんが。ははは、おやすみなさい」


 男の夢、モテ期の代償は三十五万円成り。


 クレジットカードの不正利用に対してはカード会社側でも敏感で、普段の決済金額を逸脱するような額を決済すると、こうやって確認のお電話が入る。早朝からのご心配、痛み入ります。

 身の丈にあった遊び方をしよう。 

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