残酷な天使のテーゼ 前編
まだ女性キャストが席についてくれるような夜のお店には慣れていない頃の話だ。
会社で飲み会があるたびに、1次会の場所がどこであろうと、基本的に2次会以降は歌舞伎町へ赴き馴染みのお店へと向かう。普通のキャバクラへ行くことは滅多になく、いわゆるキャバレーライクなお店や、ポールダンスなどのショウタイムがあるようなお店がお決まりだった。
僕はというと、ゴールデン街には入り浸っていたものの、そういった夜のお店経験はほとんどなく、まだ社長に無理やり連れて行かれている状態。彼女のいないシングル組にとっては、夜の社交場でのお遊戯も、ほとんど仕事の範疇であった。
「ただお酒を飲んで楽しませるだけのためにお前らを連れてきているんじゃない。金を無駄にするな」という威圧感を伴う「相手がプロであっても、その先に男女のお付き合いを見据えて行動しろ」という業務命令でもある。
つまりは、店に入れば指名するのは当然、連絡先ぐらいはもちろん聞き、その後のアクションに繋げることが第一目標となる。
夜のお店でのキャストさんの連絡先なんてものは、フリーで入れば入れ替わりの時にほとんど機械的に渡されるものだけれど、それは単なる営業行為であり、先につながるケースはほとんどない。指名して初めてスタートラインに立てるわけだし、その後、お互いに認識した状態で連絡先を交換しあった上で、さらに懇意にしいろいろなシーンで店も利用しながら、打ち解けてからが本番だ。
とまあ一般的な話はさておき、とにかく当時は「連絡先を聞く」というステップ自体が非常に難しく、僕はずっとまごついていた。今からでは想像だにできないが、そういう時代を経て今がある。
さて、行きつけだったお店の中の一つが、上述したキャバレー的なイメージのかなり老舗のお店だったのだけど、そこでは働く女の子たちを管理するのに「組」制度を敷いていた。宝塚歌劇団よろしく、「星組」「月組」のような名称の組が存在していて、キャストさんたちは、それぞれ6〜8名ぐらいずつ、いずれかの組に所属して活動をする。ショウタイムには、組ごとに異なる曲とダンスが割り当てられ、組のメンバー内で予定を調整して自主練に励む。キャストの欠勤や休みなども組のメンバー同士でカバーしあうという一風変わったシステムだ。
また、ひとりが指名されれば、他の客には基本的に、その女の子が属する組のメンバーが自動的に接客についてくれるので、代表者の社長が二、三名指名しておけば、あとはキャストさん側も無理に個別に指名を勝ち取ろうなんてことはしないので、普通のキャバクラみたいに女の子側から自動的に連絡先交換を求めるようなことが少ないのも特徴だったかもしれない。
そんなある夜、いつものように会社のメンバーでその店に入店した。それまで2回ほど指名していた女の子がいたのだけど、連絡先を聞くにはいたっておらず、向こうからも特にそういうそぶりもない。とはいえ、顔馴染みにはなっていたので、社長指名により組の他のキャストさんたちも席につくと、当然のように僕の隣に座ってくれていた。
楽しい時間はあっという間というが、僕も油断していたのがまずかったのだけど、気づけば時間も終わりに近づいていた頃、トイレ帰りの社長が僕の横に立ち止まった。
「ほんで、連絡先はもう交換したんやんな?」
ハッとした。
「ヤバい、見つかった」
胸がギュゥっとした。
僕はややテンパりながら、まだであることを伝える。
「お前、今日その子何回目なん? ここきてもう90分近くたってるやんな? 何してたん? ただ酒飲ますために連れてきてるんやないんけどなあ。まあ、ええわ」
大阪出身の社長は、大阪弁でそのように言い放ちながら自分の席に戻る。その後、少し遠くの席から、僕を指指し、おそらく何やら僕へのダメ出しと思われるものを笑い話に換え、キャストさんたちに聞かせていたようだ。
僕は僕で、そう言われても相変わらずすぐには行動にはうつせず、といってそのまま楽しく過ごせるはずもなく、早くこの時間が過ぎ去ることだけを願いながら、大の大人に似合わないほどのしょんぼり具合で俯き加減に酒をあおっていた。歌舞伎町の夜のお店で普通に楽しく飲んでいたら、怒られてしょんぼりする30代のおっさんって、どこに需要があるのだろうか。そんなことを考えながら悶々と、苦悶の表情を浮かべていたに違いない。
見るにみかねたのだろう。
「連絡先、交換しておかないとまずいんんでしょ? メアド、交換しとこっか」
そこに、天使が、舞い降りた。




