夢想
* * *
■■■は聖地エブスの裏町──貧民窟で育った。
父親は知らず、母親との二人暮らし。
質素だが十分に満ち足りた日々だった。
ボロボロの衣服。同じ境遇の友達。母の手料理。煙草の香り。
すべてが大切なものだった。
そんなある日。
十歳の誕生日のこと。
私は“神の啓示”とやらによって、聖騎士団に入隊することが決まった。
母親は喜んで私を送り出した──私が聖騎士団に入団すれば、褒賞が山のように手に入るからだ。
聖騎士団への入団は、誰しもができることではない。まさしく神に選ばれた名誉者の証であった。
名誉と大金が手に入る──極貧生活から抜け出せる──私はそのために聖騎士団に売られたのだ。
私は“見習い”として聖騎士団に入団し、神の御柱での生活が始まった。
厳しい修練の日々、容赦のない英才教育、神の教えに従うこと。
それらを徹底的に学び、鍛え、五年後には見習い騎士・筆頭にまでのぼりつめた。
母親が言ってくれたのだ。別れの日に。「立派な騎士になったら、また会えるから」と。
私はその言葉に従い、誰よりも研鑽し、誰よりも鍛錬し、誰よりも信仰に励み──そして、ある日。
私の前に“十字架”が授けられた。
噂には聞いていた──教団の中でも八人しかいないはずの戦闘者──“十字架”を背負う使徒の存在。
私は聖騎士団ではじめてとなる使徒──「九人目」の聖徒・“狂信”──洗礼名“カナイ”として、教団に受け入れられた。
同僚たちは泣いて私を讃えてくれた。「素晴らしい偉業だ」と。
団長も大いに喜んでくれた。「■■■は、私たちの誇りだ」と。
司教や大司教も誉めそやした。「君は教団きっての逸材だ」と。
私は真実、誇らしかった。
私は教団から願いをひとつ叶えてもらうことが決まった。
私は即座に願った。「五年前に別れた母に会いたい」と。
だが、その願いは叶えられなかった。
私は、その日はじめて、母が死んでいたことを知らされた。
* * *
「……夢?」
おかしなことを口にしたと、カナイは自分で自分を嘲笑う。
「この私が、夢なんて、な……」
使徒は夢を見ない。
カナイは無機質な鋼鉄の天井を眺めながら呟いた。
「──ここは」
どこだろうと思考を巡らせる。
〈タホール〉の中ではない。少なくとも、カナイの感知能力がそう判断を下す。
『お目覚めですか?』
怜悧な女性の声が聞こえる。
視線を向けると、鋼色の髪を肩先で切りそろえた、白衣の女性が微笑んでいる。
どうやらこの人物──否、機械だとカナイには解る──に、治療室と思しき鋼鉄の部屋で、カナイを看護してくれていたらしい。
カナイは訊ねた。
「ここは、いったい?」
『ここは機属領アシリア──あなた方はたどりついたのでございます、カナイ様』
「あなた方……ナイトとバロンは!」
起き上がろうとして眩暈に襲われるカナイ。
鋼髪の女性に『無理をなさらずに』とベッドに押し戻され、布団をかけ直される。
「私は確か──」
霞みがかった意識で思い出す。
ナイトを救い、バロンと知り合い、〈タホール〉に乗り込んで、ツァーカブたちと戦闘になり……そこから先の記憶がない。
「十字架は?」
純白の病院着の胸元を探るが、そこにはない。
『カナイ様の十字架でしたら、あそこに』
女性の声に視線をさまよわせる。
すると、銀台の上に固定された、半壊状態の十字架を見つける。ついでに、壁にかけられた修道服も発見できた。
ひとまず胸を撫で下ろすカナイ。彼女は次の蹴案事項に思い至る。
「──ナイトは、無事?」
『ナイト様でしたら、所用で出ております。おそらくすぐにお会いできるかと』
そうですかと安心の声をあげるカナイ。
それでも、今、彼はどこにいるのか気にかかる。
自分はどれだけの間、眠っていたのだろうか、女性に訊ねる。
『六日間と十九時間五十分──およそ一週間でございますね』
「一週間」
鋼髪の女性『失礼します』と告げて、カナイのバイタルチェックを行う。
どうやら動いても問題ないと判断してくれて、双方ともに安堵の息をつく。
「ありがとう」
そう言って、カナイは身を起こした。再びベッドへ戻そうとする女性の申し出を固辞し、鋼鉄の床に裸足で降り立つ。
若干の眩暈と格闘しつつ、修道服の方へ歩みを進める。今はとにかく、ナイトの顔を見たくてたまらなかった。そうしなければ真に安心することができない。
壁にかかった修道服へ着替えようと、病院着を床に脱ぎ落とした、瞬間だった。
「失礼します、カナイさ……あ」
「え、ナイト?」
自動扉を開けて現れたのは、カナイが探しに行こうとした少年だった。
「ナイト! 無事だったのか!」
「すすす、すいません!」
呼びかけに応じず、神速で背を向けるナイトの行動に、カナイは首を傾げた。
何故、彼は自分に謝っているのか、本気で理解できなかったが、
「? なに、が……あ?」
カナイは、一糸纏わぬ褐色の肢体──果実のごとく揺れる胸──引き締まった腰つき──鼠径部の極上のライン──剥き出しの全身を眺め、頬が異常に紅潮するのを感じる。
「~~~~~ッ!」
絹を裂いて裂いて裂きまくったような叫び声が、病室の中にやかましく響き渡った。
「っ、ナイト~!」
「す、すいません、でも、別にわざとじゃ」
二の句を継がせる前に、カナイは修道服を羽織り、裸足で少年に歩み寄る。
「っ!」
ひっ叩かれる気配に身を硬直させる少年の様子を眺めたカナイは、
「……まったく」
別の感慨に浸ることができた。振りあげた掌を下ろして、修道服で胸元を隠す。
「無事でよかったよ。本当に」
修道服の前掛けを止めて、少年の両手を──肌色の右手と黒色の左手を取り、ギュッと握る。
「こっちこそ。ご心配をおかけしてすいません」
二人は笑い合った。
笑って再会を喜び合えた。
「あ~、ご歓談中のところ悪いんだが、入っても大丈夫かね?」
ナイトの後から贈れるように、焦茶色の髪のサイボーグ──バロンが背中を見せつつ、入室の許可を求めた。
カナイは急いでスカートを履き、身支度を整えた。
そして訊ねる。
「バ、バロンも無事だったのか、よかった」
「まぁ、義体のひとつは今も修繕中だがな。ジズを追ってきた使徒と聖騎士団、それに大司教の追撃を受けてな」
「だ、大司教の!」
カナイは背筋が凍りかけた。
あの大司教に追われ、よくぞ無事に逃げ果せたものだと感心さえ覚える。
「いや、本当に大変だったよな、ナイト?」
「ええ。でも機属王と、何よりタホールさんのおかげで、無事にここまで来れました。ね、タホールさん」
『はい。もうどうなることかと』
「機属王と……タホールさん?」
おかしな会話を聞いた気がした。
カナイは鋼髪の女性を見つめる。
彼女は今さら思い立った様子で手を打ち鳴らした。
『自己紹介がまだでしたね。私、二等機属〈タホール〉の原型である機人、タホールと申します、カナイ様』
「ちょ、待、えええっ!?」
にこやかに握手を求める女性タホールに応じるように、カナイは彼女の手をおそるおそる手に取った。
鋼鉄の感触が伝わってくる。
「あなたが、二等機属の?」
『ええ。その原型素体です』
言っていることを飲み込むのに時間を要するカナイ。
「こ、ここは機属領だと、聞いたけど?」
修道女は視線を巡らせた。バロンが窓のブラインドを開けてみせてくれる。
「これが……」
圧巻の一言だった。
絵物語や夢幻、伝聞にしか聞かされたことのない、機属の領域。
鋼色の建造物が立ち並び、数多くの機械類──機属が横行闊歩している。その賑わいぶりは、聖地エブスにも引けを取らない。
「これが、機属領……」
言葉もなく圧倒されるカナイであったが、バロンの咳払いに意識を引き戻される。
「ナイト。そしてシスター・カナイ。我等の“機属王”が、お呼びだ」




