男爵
* * *
バロンは思い出す。
百年前の日々を。
向こうの世界では、男爵という変な名前で、よくからかわれた。
普通の両親、普通の姉妹、普通の友達に囲まれながらも、高校卒業までを向こうの世界で過ごした。
あの日。トラックに轢かれそうな女の子を助けるまでは。
トラックに轢かれた瞬間、真っ白な空間にとばされ、誰かの気配を感じた。
それが何者だったのかを確かめる間もなく、バロンは、この異世界に転移していた。
酷いスタートだった。
その貧民街──アラム地区は機属の襲撃を再三にわたって被り、壊滅状態に近かった。
街は荒廃し、法規は無視され、略奪と暴力が日常的に行われる無法地帯で、バロンはなんとか生き抜いた。
それもこれも、バロンだけが視認できる“ステータスウィンドウ”──ゲームのようなシステムのおかげであった。
バロンは初期の称号“異世界転移者”という特性を利用し、ある日『機神ベヒモス』を特異戦装として獲得。
青銅の機体──機神ベヒモスの力をもって、貧民街を機属共の襲撃から守り通し、その過程で“貧民街の英雄”や“機神騎乗者”、“弱者救済”、“機属を狩る者”、“顔役のお気に入り”、“アラム地区の裏ボス”、“機属1000体殺し”、“名無し”、“救世主”、“一匹狼”など、数多くの称号や固有スキル、および魔力を有するようになった。
そして、ある日──
噂を聞きつけてやってきた使徒──蒼氷色の十字架を背負う聖女──黒髪に褐色肌の男装の麗人・ヤヒールに出会った。
* * *
「よぉ。久しぶりじゃないか──ハムダン」
焦茶色の髪の青年は、〈タホール〉の積層防壁を突破しかけた黄金の機体に、秘匿通信を試みた。
返信は即座に返ってくる。
《……百年ぶりだね──バロンくん》
百年ぶりでも変わることのない童女の様子に、バロンは親しみをこめた声色で聞いてみる。
「まことに申し訳ないが、邪魔しないでもらえるか? こっちは要救助者を二人もかかえていて、先を急いでるんでな」
《……そういうわけにはいかないんだよ、バロンくん》
ハムダンの声は黄金よりも硬く響いた。
《君らが『機神ジズ』を、内藤ナイトの身柄を渡してくれるのなら、こっちも大人しく引き下がれるけど》
「まぁ。そうは問屋が卸さない、よな?」
くつくつと微苦笑を浮かべるバロンは、反重力機関を総動員して、敵である使徒たちの猛攻をはねのけ続ける。
「〈タホール〉、援護射撃は任せるぞ」
バロンは慣れたように使徒たち五人の機銃掃射を躱し、ミサイルを蹴り墜とし、鋼の拳でビームソードを殴打して、空中戦を展開。
そして、黄金の機体を守るように鎮座していた蒼氷色のパワードスーツに蹴りかかった。
バロンの蹴りに、蒼氷色の機体は強化装甲を盾にして防ぎきる。
《──そこをどいて、バロン》
秘匿通信に、新たな声が静かに紛れ込む。
「ヤヒールか──相変わらず、元気そうで何よりだ」
《聞きたいことは山ほどあるけど。お願い、どいて》
「どけないね」
《どいてよ》
「どかない」
《どいてったら!》
「じゃあ、どかしてみろよ!」
百年前ぶりの再会を喜ぶ間もなく、二人は空中機動戦を青空に刻みだす。
* * *
百年前のこと。
バロンはヤヒールと出会い、完膚なきまでに惨敗した。
機神ベヒモスを使うまでもなく、腕っぷしだけで貧民街を渡り歩けるほどの力を獲得していたバロンに、ヤヒールは完全勝利をおさめた。
『これが噂に聞いてた貧民街の英雄? 大したことないね?』
『おまえ。いったい、何者だ?』
『私はシスター・ヤヒール。天使教団の聖女、って言ってもわからないか、異世界転移者サマには?』
どうしてそれを知っている!
異世界転移者という情報を、バロンは街の者にも教えていない。教えたところで理解されない情報だったからだ。
ヤヒールは目だけで驚愕を露わにする“一匹狼”だったバロンに、ある提案をする。
『君、元の世界へ帰りたくない?』
なにをふざけたことを言っているのか!
驚きながら途方に暮れるバロンに対し、シスター・ヤヒールは握手を求める。
『君に与えられたベヒモスの力、この地区だけで独占していていいものじゃない……私と一緒に、世界を見て回ろうよ!』
バロンは黒髪を揺らして楽し気に微笑む聖女……男装の麗人に手を伸ばした。
『君、名前は?』
『……名乗りたくない』
『ん、なんで?』
『……恥ずかしいから』
この貧民街では“名無し”で通してきた。
圧倒的な力を顕示するモノの素性を、あれこれ詮索する物好きもいなかった。
しかし、ついに少年は口を割った。
『……バロン』
それに対してヤヒールは屈託なく笑う。
『いい名前じゃないか。よろしくね、バロン』
こうして、二人の旅が始まった。
* * *
「〈タホール〉、主砲ビーム砲、撃て!」
バロンの号令に、浮遊要塞は即応するように主砲を撃ち込んだ。
回避行動を取らざるを得ないヤヒールをはじめとした使徒たち。
その僅かの隙に、バロンは容赦なく付け込む。
(まずは万能型──指揮官機であるハムダンを墜とす!)
そうはさせじと紅玉の戦闘機や色とりどりの機体から援護射撃が殺到する。それを反重力の壁で無力化するバロン。
鋼鉄の拳を、ハッキングに集中している黄金の機体に振り下ろしかけ、
《させない!》
ヤヒールのビームソードに阻まれる。
他の使徒たちも加勢に加わろうとするが、〈タホール〉の戦闘用端末機のボール群に邪魔される。
攻防は一進一退を極めた。
しかし、状況は極めてバロンたち〈タホール〉の方が優位に立っている。
〈タホール〉の防壁は健在のまま。しかも、浮遊要塞は戦闘の間も目的地に向けて徐々に移動しており、機属領まで五時間圏内に入り込んだ。
(このまま逃げに徹すれば、おのずとこちらは勝利条件が揃うわけだ)
しかし、バロンは腑に落ちないものを感じる。
(ヤヒールとハムダンが、無策でいるわけがない……何か秘策でもあるのか?)
そう思った矢先。
〈タホール〉の真下の大地が爆ぜた──大量のミサイルとビーム兵器群が、砂漠の一帯を吹き飛ばして、浮遊要塞を突き上げたのだ。
(しまった!)
敵は移動する〈タホール〉の軌道を予測し、事前に兵器群を敷設し準備していた。バロンたちは猟犬たる使徒らに追われ、まんまと罠の在り処にまで誘い込まれてしまった!
〈タホール〉下部の積層防壁が喰いちぎられる結果に、バロンは歯噛みする。
油断も慢心もしていなかったが、さすがに敵の周到さの方が上手であった。
《今だ! 飛び込め!》
ヤヒールを先頭に、侵入部隊が浮遊要塞に取りつき、破壊の限りを尽くそうとした瞬間。
《ッ! 全軍回避!》
紅玉の戦闘機が、膨大なエネルギーを観測した。
それは、先日ツァーカブを撃ち落とした砲門から発せられたもの。
カアスの警告によって、被弾し墜落した使徒は一人もいなかった。
荷電粒子砲の光が潰え去るのと同時に、バロンは思わず舌を打つ。
「あの馬鹿!」
出てくるなと言ったのに!
巨大な砲身・荷電粒子砲を戦闘端末機の下部に積載させた少年──ナイトが、〈タホール〉の戦闘端末機に乗って戦場に現れたのだ。