予言
* * *
天にまで届く柱“神の御柱”のなかに通されたナイトは、カナイたちに見送られ、聖騎士団に引き渡される。
カナイと離れることに、一抹以上の不安はあったものの、聖騎士たち(面覆いで顔や年齢、容姿はわからないが少女のようだ)の懇切丁寧な案内と対応により、ナイトは程なくして、御柱内部の一室に招かれる。ノック音に対し「どうぞ」という紳士的な声音が、塵ひとつない城郭のような廊下にまで届いた。開いた扉の中は、図書館のように巨大な──しかし一個人用の執務室であった。両側の壁面を覆う分厚い装丁の本が幾千冊も並んでいる。
部屋の主は「ようこそ」と言って振り返る。
「お初にお目にかかります、異世界転移者──内藤ナイト殿。どうか、そちらにお掛け下さい」
太陽の光を燦々と浴びていたのは、丸眼鏡に白髪、白銀の顎髭が特徴の、五十代と思しき精悍な男性。
ナイトは勧められるまま、一脚の椅子に座る。
喫茶店のものとは柔らかさが違う一級品であった。
男は胸に教典を添えて告げる。
「不肖私、天使教団・大司教の席を占めさせております、シホンと申します」
お見知りおきを、そう唱える法衣の男に、ナイトは並々ならぬ存在感を感じる。
シホンは年相応の渋い低声で、慈愛のこもった言葉を吐き連ねた。
「ここまでの長旅、さぞやご苦労ご不便をおかけしたことでしょう。望むのであれば、今すぐ休息できる手筈を整えさせますが」
「いえ、それよりも先に、お訊きしたいことがひとつ」
「訊きたいこと、とは?」
ナイトはひとつ深呼吸する。
ほんの一瞬、胸の中で渦巻く葛藤。
訊いてよいことなのか、否か、ナイトには判断がつかないこと。
ここまでの旅路で、カナイが隠し、カアスもそれに同調し、ツアーは話そうとし、ハムダンは教団上位者に聞いた方が良いと言った、一個の問い。
ナイトは訊ねずにはいられなかった。
「単刀直入にお訊ねします。あなた方の言う“予言”って、何ですか?」
「……」
シホンは、丸眼鏡を押さえ込んだ。
ナイトは長い沈黙に耐えきれず、もう一度同じ質問ぶつけてみる。
「予言って、いったい何のことです?」
「…………ああ、どうやら聖徒たちが教えそびれていたようですね」
大司教シホンは笑みを浮かべ、分厚い教典を机の上に置く。
「転移者殿。君は、天地がいかにして創造されたか、知っているかね?」
「……は? ──えと?」
機械の怪物が跳梁跋扈する世界で、天地創造などという話題が出るとは思わなかったナイトは、少なからず椅子の上で身じろぎした。
「俺──自分が知っているのはビッグバン、いや、宗教的な話だと、『光あれ』だったっけ?」
「そのとおりだ、転移者殿!」
やおら大声を放つ大司教の様子に、ナイトは本気で驚愕しかけた。
利発な子供を見つけた教師のごとく機嫌よい歩調で、大司教はナイトに語りかける。
「おっと。これは失敬。しかし『光あれ』とは、実にその通りだ!
神が天地を創造された際のこと──
一日目に光と闇が分けられ、二日目に空の上と下に水が分けられ、三日目に空の下の水を海とし、乾いたところは陸として植物を根付かせた。四日目には太陽と月と星が創造され、天空に配置されると四季ができ、太陽は昼を、月は夜を司るようになった」
「は、はぁ……」
「そして、五日目。
神は予言の核──最高傑作となる『三匹の獣』を創りたもうた」
「三匹の獣?」
出来の良い生徒を褒めるように大きく首肯する大司教は、指を折って順に、獣の名を教える。
「最高の獣と称されるベヒモス──
最強の獣と称されるレヴィアタン──
そして、最大の獣と呼ぶべき、ジズ──」
「ジ、──ジズ、って」
それは、ナイトの保有する機神の名前。
少年の動揺に気づいた様子もなく、ナイトの傍近くに立つ大司教は音吐朗々に続ける。
「ジズは、地に降り立つ時には天に頭が届き、その巨大な翼を広げると太陽を覆い隠すとも言われるほどの巨鳥であり、他の二匹の獣と共に並び称されて当然の威を発露する。ベヒモスが陸を象徴し、レヴィアタンは海を象徴し、ジズは空を象徴する。この三匹の獣は他の生物を圧倒して余りあり、神以外の何物にも傷つけがたい存在だ。その強大さ・強壮さについては……君の方が理解があるのではないかね?」
「そ、それが、一体、俺と何の関係があるっていうんです?」
ナイトは声を荒げかけたが無理やりに抑え込んだ。
まだ話の核心──予言とやらの根底には至っていなかったからだ。
「予言とは、即ちこうだ。『この三匹の獣は、世界終末の時に相争い──死ぬ』」
「……死?」
「そして『三匹の獣の骸は、終末を生き残った者たちへの供物・食料として、贄となる』」
ナイトは、極寒の恐怖を覚えた。
自分で自分の身体を押さえつけないと震える体を止められない、それほどの寒気に見舞われた。
根源的恐怖に凍てつく少年の様子を知ってか知らずか、大司教は丸眼鏡を輝かせて、粛然と宣う。
「喜ぶがいい、転移者殿!
君に与えられた神からの機体──“機神”を提供さえしてくれれば、君は元の世界に帰れる!」
「…………へ?」
一瞬だが、本気でパニックを起こしかけた脳内に、大司教の低い声域は沁み入るように耳へと滑り込んだ。
シホンは笑い声と共に少年の肩を叩く。
「我々はずっと探していたのだよ。世界の終末期に必要とされる三獣を。君はその、最後の一機だった」
ほがらかに笑って肩を軽く叩かれ続けるナイトは、縋るような眼差しで大司教の精悍な体つきを、表情を仰ぎ見る。
「本当に感謝してもしきれないよ。儀式までには多少時間を有するが、それまでの辛抱だ。また不便をかけることになると思うが、がんばってくれるかい?」
「は……はい」
涙がポロポロと零れるのが止められない。
止められるわけがなかった。
ナイトが彼の瞳の奥に見たものは、大司教と呼ばれる男の浮かべる笑みの奥底にある、薄暗い影の温度だった。