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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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8話 声

 眷属化とは相手の命を握るほどの契約である。

 であれば、本来それは主人が利益を独占することも織り込み済みの、体育会系の文化であろう。

 しかし、ユイとしては前世の感性からしてそういったものは苦手だし、配下を空腹でこき使う理由もないのだから、遠慮するムシウに《授乳》産の乳を与え、腹を満たすよう命じた。

 腹が減っては戦はできぬ。

 彼にはこの後も集落での仲介を頼まなくてはならないのだから。


「……なにやら我が君は人間の村娘のような技能(スキル)ばかりお持ちですね」

「仕方ないだろう。知恵はあっても自分が魔王だなんて知らなかったんだから」


 どんな技能(スキル)でも取れるとしても、盗賊になるよりも農民のほうが後ろめたくない。

 戦闘技能(スキル)を万全にして、寄ってくる魔物をちぎっては投げちぎっては投げする裸族など、ユイの感性からは程遠い。


「それにお前を眷属にできたから結果的には間違ってなかったよ。戦力として期待してる」


 ユイの魔の視覚には、ムシウに向かって木々の魔力が送り込まれているのが確認できる。おそらくエルフという種族が、森の中で有利に立ち回るために生まれつき持つ特性なのだろう。


「わかりますか。何かこう、沸き上がる力が周囲の木々から絶え間なく送られてくるような感じがします。以前は感じたことのない……、これが魔力なのでしょうか」


 この世界では空気と同じように、濃淡はあれ普遍的に魔力が充満している。

 それを利用して、身体強化や魔法に類するものを使えることが、生態系において強者足りえる、最低条件であることは容易に想像できる。

 魔力という恩恵を一切受けられないゴブリンたちはこの世界の魔物においてヒエラルキーの最底辺なのだ。

 だが、眷属化によってエルフとなれば、その閉塞を打破できる。


「お前は魔力をどう使える?」

「体に重なって溜まっている魔力を解き放てば、おそらく攻撃技能(スキル)に似たことができるでしょう。そうでなくてもこのように――」


 ムシウが消えた――、ように見えた。

 それは光を感じる普通の視力において。

 だが魔の視覚は、ユイを挟んで反対の枝へするりと移動する魔力の塊を捉えていた。


「む。狩猟術と合わせて悟らせまいとしたのですが……。流石でございます」


 おそらくは、元から体得していた技術にエルフとしての森になじむ特性、新しく得た魔力を感知し操る力を併用して背後へ回ったのだ。

 これほどの動きに加え、技能(スキル)、そして()()()()()を扱えばもはやユイには太刀打ちできない。


「いや、後ろに移動したのがわかっただけだ。そのまま攻撃されたら避けられなかった」

「お戯れを。ですが、この程度の動きをする魔物など、強き者たちの中にはいくらでもいるでしょう……。貴方様を守りながらともなれば、まだまだ微力極まりない」


 だがそれも、ムシウ一人であればという前提だ。

 もし集落の者たちを全員エルフにしたうえで連携させれば、隠れ住むには十分すぎる戦力となるだろう。


「それでもお前が頼りになることに変わりはない。眷属となってくれて本当によかった」

「勿体ないお言葉でございます。して、叶いましたら早めの出立をお願いしたく存じます」


 ムシウは先ほどから、ちらちらと一方向に視線を送っている。

 森の中であって、当然枝葉で覆われているが、そちらが集落の方角なのかもしれない。


「確かに。次はお前の弟だったか。こちらの事情を知らなければそろそろ送り出されていてもおかしくはない」

「いえ、贄が集落を出るのは夜になるでしょうが……。それとは別に自分の弔いを見続けるのがそろそろ辛くなってまいりました」

「ん? もしかして見えているのか?」

「はい。どうやら樹木はこの身体の視線を遮らないようなのです」


 また驚くべきエルフの特性が明らかになってしまった。

 素早い移動や森林の中での魔力の補給と合わせて、つくづく森の中で優位に立てる種族のようだ。

 そしていくら樹木をすり抜けて先が見えるとしても、樹木を認識できなくなっているわけではあるまい。ユイの魔の視覚と同様、通常の視力と複合的に視覚を処理しているのだろう。

 もし森の中でエルフに狙われたら、身を隠すこともできずに死角に回り込まれ、攻撃を受けることになる。


「……弔いか。ゴブリンとは心優しい種族なんだな」

「我々にはそれしかないとも言えます。ゴブリンが個として脆弱である以上、時に群の中から犠牲を強いることは避けられません。それ自体は是としつつも、我々は決して何も感じないわけではない。むしろ感じるからこそ弔いという形でその犠牲に意味を持たせたいのです」


 弔いが帰らぬ者への神聖な儀式であるなら、生者がそれを捧げられるのは居心地が悪いはずだ。


「行こう。お前の挺身が勝ち得た成果を仲間たちに持ち帰るんだ」



 一夜しか越さなかった住処(すみか)を引き払う。

 力作のハンモックは放置するわけにはいかず、ムシウに預けることになった。

 お包みはトーガのように体に巻いて帯で固定する。

 羽と尻尾を邪魔しないよう巻くのに少し手間取ったが、なんとか見苦しくない出立(いでたち)になったはずだ。

 周囲に危険がないことを確認し飛び降りたムシウに続いて木から降りる。

 ゆっくりと下降して地面が近づくと、先に着地した配下が手を差し伸べていた。

 エスコートを受けて、しかしそのまま宙に留まる。

 赤子の足で歩いて移動するわけにはいかない。

 身体を静止させると大きな手が離れた。


「先導いたします。こちらへ――」


 周囲を警戒しながらムシウが歩き出した。

 襲撃があればすぐさま位置を入れ替えられるよう、離れずに後を追う。

 起伏に富み、草葉の茂る森のただ中を、風が縫うようにエルフが駆けていく。――おそらくもっと速く移動できるのだろうが、こちらの飛ぶ速度に合わせてくれている。

 飛ぶ者と駆ける者。

 地形を意に介さぬ二人は、ものの数十分でゴブリンの集落へ接近した。



 ムシウが振り返らずに手をあげる。

 何事かなどとは問わず、即座に翼で制動をかけた。

 それに合わせて、前を走る背中もぴたりと止まる。

 前方を覗き込んだり、茂みに隠れたりなどはしない。

 ただ動かず、手練れの配下に任せたまま、悠然と構えて待つ。

 一拍の静寂。

 風切り音が耳に届く。

 何処からかと思う間もなく、鋭い音と共に目の前で(やじり)が止まった。

 ムシウが掴んだ矢を放ると当時に、二射三射が立て続けに飛んでくる。

 それらすべてが叩き落とされ、狙撃手が矢を惜しんで攻撃の手を緩める頃に、ようやく相手の方向を認識できた。


「相変わらず良い腕だ、友よ。この身はゴブリン一の戦士が色欲の魔王様の眷属となったことで転じた姿だ。――長と話がしたい。取り次いでもらえないか」


 ムシウが魔王の側近然と、樹上へ語りかける。

 その姿は、実に堂に入ったものだ。

 ――堂に入ったものだが、できれば矢を射られるまえに交渉を始めてもらいたい。

 演出で主の寿命を縮めるべきではないはずだ。


「こ、言葉……? わかる……! お前か? ああ、生きていたんだな!」


 矢が飛んできた木の茂みから戸惑う声が聞こえてくる。

 枝が揺れると弓を携えたゴブリンが下りてきた。


「眷属になるにあたり技能(スキル)(たまわ)った。こうして言葉を交わせるようになる技能(スキル)だ」

「す、すげーっ! いろんな事が、頭の中で洪水みたいだ! でも全部わかる。すげー! すげーっ!」


 姿の変わったムシウに警戒したのも一瞬で、弓ゴブリンは目を輝かせながら両手でガッツポーズを繰り返す。

 言語で会話できるという未知の体験は、ゴブリンにとって何にも勝る興味深いものであるようだ。


「それにしてもすっげー変わっちまったな。お前が魔王サマの生贄に名乗り出たときに何人の女衆が泣いたことか。こりゃ集落に顔を出したらまた泣かれるぞ」


 どこか人懐こい表情をしわくちゃな顔に浮かべながら、弓ゴブリンが笑う。

 前世の人間の美的感覚で言えば、最初に暗闇で見たムシウの顔はホラー映画そのものだった。正直に言えば、《操作》がなかったら間違いなく漏らしていた自信がある。

 だが、同じゴブリン同士の中ではムシウはイケメンに分類されていたようだ。

 如何にユイから見て美形のエルフとなっても、ゴブリンにとっては美醜の対象にならないらしい。


「んでよ、お前が眷属なら、そちらのおチビちゃんが魔王サマなのかい?」


 射かけられた以上、ムシウはいつでも庇えるよう前に立っていた。

 その後ろに隠れる赤子ではシャイガールに、見えなくもない。

 弓ゴブリンは愛嬌のある声で尋ねてきたが、その顔はやっぱり怖い。


「友よ、私の主に無礼はやめてくれ。集落の者を皆眷属に加えたいと仰っているのだぞ」

「え、マジで!? ハハーッ! ご無礼をお許しください! よく見ればすごく愛らしいお姿です。ハイ」


 先ほどの興奮から《翻訳》は是が非でも欲しいはずだが態度が軽い。

 実力至上主義の魔物の常識として、魔王の気配のない赤子など、本能的に軽んじてしまうのだろう。別に意味もなく敬服してほしいわけではないが、配下とするならば二心(ふたごころ)を持たれないように振舞うことも重要かもしれない。


「別におべっかを使う必要はないよ。君は()()僕の眷属ではない。しかし君の友人は僕の眷属だ。顔を立ててやってくれないか」

「ハイ、すみませんでしたぁっ!」


 ゴブリンの知能の高さは今更疑う余地はない。

 本能的に敬えないなら、理性的に敬ったほうが得だと思わせればいい。

 やんわりと眷属化を渋って見せれば、弓ゴブリンは直立して声を張り上げた。

 態度を改めた相手を見て、内心ため息をつく。

 垂涎の《翻訳》を餌に要求をゴリ押しできたが、こちらの弱みも相手に伝わってしまっているだろう。《翻訳》は便利だが交渉事には向かない。

 早いうちに傘下に加えた皆で言語を覚えて、《翻訳》は聞き取るためにのみ運用したほうがよいだろう。


「要件は先ほど我が眷属が伝えた通りゴブリン集落の長への目通りである。頼めるかな?」

「ハッ! されど集落には女子供もございますれば、()()なくお通しするわけにはまいりません。私が長に伝えるのをお待ちいただければと思います!」


 ――女子供もいる。

 悟られないよう心の中で拳を握った。

 直接見たゴブリン二人とも男だった。ともすればゴブリンがオスだけの種族の可能性もゼロではなく、ひょっととして美少女エルフとキャッキャウフフできないのではと危惧していたが杞憂に終わったようだ。

 当然、男の精神を保つための処方であって、(やま)しいことなど微塵もない。

 無いったらないのだ。


「かまわないよ。――そうだ、君に一足先に、《翻訳》を渡しておこう。長への言伝(ことづて)ができて便利だろう」

「マジっすか!? いえ、本当ですか!? 是非、ぜひお願いします!」


 情けは人の為ならずだ。

 集落の者たちの眷属化は双方に利益のある取引なのは間違いない。

 《翻訳》で他意が筒抜けである以上、とにかく出し惜しみせず心証をよくしておきたい。

 ――下腹に意識を集中する。

 しかし、技能(スキル)の取得か眷属化の(すべ)しか頭の中に浮かんでこない。


(え、眷属にしてからじゃないとダメ?)


 だがそれをしてしまったら弓ゴブリンにそのままの姿で長と会話をしてもらえない。

 身内がいきなり話しかけてくる衝撃で眷属化に意欲的になってもらう作戦が崩れてしまう。

 方法がわからず手間取っていると、弓ゴブリンはまた機嫌を損ねたのではと焦りだした。


「えっと、頂けないので……?」

「ムシウ」

「は」

「……技能(スキル)の付与ってどうやるの?」


 頼みの配下が天を仰ぐ。

 弓ゴブリンは脱力してずっこけた。


「我が君……」


 ムシウが残念な人を見るような視線を送ってくる。

 イケてる顔でそんな蔑むような表情はやめるべきだ。心の乙女が目覚めてしまう。


「少し待て? すぐ解決する」


 心が雌になるのもまずいがこれも非常にまずい。

 技能(スキル)を与えられない魔王に、存在価値などないのだ。

 弓ゴブリンに欠陥魔王の烙印を押されるわけにはいかない。

 相手がしびれを切らす前にどうにか技能(スキル)付与の方法を見つけなければならない。


(おい、僕の魔核よ、あのゴブリンに《翻訳》を付与するんだ。早くしろ!)


 最悪、先に眷属化させるしか無いかもしれない。

 ムシウの例で魔核と交換での付与は可能であるから、既に《翻訳》を欲しがっている弓ゴブリンの眷属化は許容されるだろう。だが集落を丸々配下にしても、追加で技能(スキル)の付与ができなくては、集団の戦力的にも魔王の求心力的にも致命的だ。

 もしくは、下手に強硬手段に出るよりも、ムシウにたびたび情報を与えているらしい集落の長と、直接交渉したほうがよいだろうか。

 どの選択がより良いのか決めかねる上に、失敗すれば取り返しがつかない――。

 思考がぐるぐると回り始めて混乱しだした頃に――



《ゆーいち、みてられない》



 唐突に――、今までの電子音声とは違う、少女らしき声が、頭の中に響きわたった。

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