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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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7話 名乗り

 技能(スキル)の概要を想像する。

 魔王核に蓄積された魔力は“かつてないほど”である。

 魔物の眷属化に際し、相手が魔核に蓄えた魔力を得られるのだとして、エルフに姿が変わる際に周囲から吸収した魔力がゴブリンの時とは比較にならなないほどだったのだ。

 その《授乳》に必要とされた以上の魔力を使って、体内で完結する技能(スキル)を取得したならば、その性能は群を抜くことだろう。

 それが魔王の気配を断てる水準に達していることを祈るばかりだ。


《隠遁を取得しますか?》


 望んだのは隠れ住むこと。

 無類の力を身に付けて、世に覇を唱えるつもりなどさらさらない。

 世情に通じたいと思う心はあるし、そのためにいずれ旅をしたいとも思う。

 だがそれは平和裏に、世の情勢に(なら)って行いたい。そのために必要なのは独立した拠点を持つことだ。

 一の配下は、「エルフの姿はニンゲンに似ている」と言った。

 それはすなわちこの世界に人間がいるはずなのだ。

 ゴブリンたちを眷属に加え、エルフの集落を拠点としてそこに隠れ住むことができたなら、ただ(さか)しいだけの世間知らずもいずれ真にこの世界の住人となれるだろう。


技能(スキル)を取得してみたがどうだろうか?」


 《隠遁》の効果は単純だ。

 使用者がそこに居てもおかしくない様に気配を偽装する。

 全く気配を遮断するわけでは当然ない。なぜなら、人ごみの中に全く気配のしない人物が混ざっていたら、避けるべき手練れからは逆に目立ってしまうからだ。

 《隠遁》を使えば、特異さは和らいで特徴に変わり、膨大な魔力でも一般的な僅かなものに抑えられる。そしてこれは制限ではなく隠匿であるから、必要とあれば即座に技能(スキル)や魔力を使うことが可能だ。


「おぉ! ただの赤子に感じられます。こんなところに赤子がいるのは不自然ですが……。それでもここまで間近であっても御身の気配が魔王のものとは感じられません」

「――そうか! これで魔物たちを引き寄せることもなくなるな!」


 悠一の生存にゴブリンの集落が巻き込まれることが無くなり、エルフと喜びを分かち合う。だが、喜びのあまりすくと立ち上がったエルフの長身は、ちょうどご立派なモノが目線の高さと相成った。


「くっ、羨ましくなど……」

「? なにか」


 明らかに生前の悠一よりもデカい。

 ただの赤子を装装うことに成功し、生存の危機は遠のいたが、男としての情操の危機を回避するためにも、配下の肉体美は目の毒だ。


「いや何でもない。――そうだ、その恰好では寒いだろう。服を用意する」

「そんな恐れ多い! わたくしめは腰蓑でかまいません!」


 ゴブリンの時点で半裸だったし、エルフになって身体の頑強さも増したことだろう。

しかし今後人間との接触を図るにあたり、裸族を連れまわすわけには到底いかない。


「魔王の眷属が腰蓑では格好がつくまい。配下に施すのも主の務めよ」

「それほどまでに気に掛けていただけるとは……! わたくしは果報者にございます!」


 仰々しく胸を張って下賜(かし)の宣言をすれば、エルフは感極まって声を上ずらせる。

 騙すようで心苦しいが主の心の平穏のためにもここは着付けを承諾してもらわねばならない。

 幸い前世に取った杵柄で、被服のデザインもそれなりに学んでいた。

 もはや手慣れたもので、お包みを五分割しすべてを復元させる。

 増える布切れに度肝を抜かれているエルフにお包み四枚を押し付けた。


「その布は魔具だったのですね……。それほどの逸品であれば、手離れを惜しむのも頷けます」


 エルフは悠一が手元に残した一枚を見ながらしきりに首肯を繰り返す。

 衣服は作務衣を作り出してそのまま着せる。


「ふぅむ。これは着心地がよい。締め付けられる感触も少なく動きやすい」


 無理やりのお仕着せとなったが、おおむね好評のようだ。

 本当は前世の資料のように着飾らせたかったのだが、今まで半裸が当たり前だった種族に対し、重ね着を強要しては着衣自体を嫌ってしまう可能性もある。

 理想のエルフになってもらうために、ここは徐々に慣らしていくべきだと(たくら)んだ。



 互いに喫緊の案件が片付いたところで、後回しにしていた問題を解決しなくてはならない。


「――ところで、僕はお前を何と呼べばいい?」


 今は世界にエルフは目の前の一人しか存在しないので問題ないが、いずれエルフが大勢配下となることを前提とするならば呼び名は今のうちに決めておかねばなるまい。

 だが、当の本人は跪いたまま微動だにしなかった。


「あー、僕が決めるってことでいいのかな……?」

「先ほども申しましたが我らには個々に名前を付ける風習がございません。この姿と同様、貴方様より頂戴したく存じます」


 エルフと同じくしっくりくる名前がするりと出てくると期待しているのかもしれないが、当然その呼び名は誰かの受け売りだ。

 生前、子供を授かるどころかDTだった悠一にとって個人の命名などしたこともない。

 その後一生背負うその呼び名を、いまここで思いつけというのは少々酷だ。


「もし気に入らなかったらちゃんと拒否しろよ」

「信頼しておりますので」


 予防線はあっさり乗り越えられた。

 いい加減な名前が許される空気ではない。

 それにこれから長い付き合いになるのなら、呼ぶのをためらうような名前は付けたくない。

 ――改めて目の前の配下を観察する。

 金の長髪に作務衣姿のイケメンは、どことなく陶芸にハマって帰化した外国人を連想させる。

 いや、ただ見た目から名前を付けては悠一の偏見を大いに含んでしまう。このエルフとは会って間もないとはいえ、互いの欲するところをぶつけあって和解した仲だ。

 その短いながら濃密だったあり様を名前に込めるべきだろう。


「物腰柔らか……、実直……、誠実、紳士的……、これだな。紳士……、ジェントル……は名前としてはよくない。……ムッシュ。もじってムシウ。……ムシウと呼ぶのはどうだろうか?」

「……紳士(ムシウ)! 何と恐れ多い……。承ります! 決して名折れとならぬよう精進いたします!」


 エルフ……、ムシウはその名を噛みしめている。

 相手への感謝を名前としたのは、最初の名づけとしては及第点だろう。

 第一現地人として出会ったのがムシウだった――、異形の赤子として排斥する人間でもなく、問答無用で食い殺しに来る魔物でもなかったのは、生まれ落ちてから何度も感じている幸運のひとつだ。

 そしてその信頼できる一の配下にこそ、いまここに命令を下さなくてはならない。


「ムシウよ、お前に頼みたいことがある」

「は! 何なりとお申し付けください!」


 半月は地平に沈み、小さな満月も傾きかけている。

 夜明けはそう遠くない。

 《操作》で体を動かすのも限界だ。


「眠い」

「は?」


 この世界の一日が何時間なのかは知らないが、仮に24時間ならこの世界で目覚めてから20時間は安息を得ていない。

 赤子には重労働が過ぎるというものだ。

 悠一にとっても愛着のあるこの身体は、できれば健やかに育ってもらいたい。

 目指すのはストレスフリーな生活だ。


「寝る。お前の弟が来る前には、起こして、くれ……」

「こ、これは気づきませんで――」


 ムシウの弁解を最後まで聞かず、ハンモックに倒れこむとお包みを頭からひっかける。

 疲労から落ちるように意識が沈んでいくが、そのわずかな間にも、次の目覚めまでの不安を感じることはなかった。



 ……。


 …………。


 切ない空腹と共に、腹時計が目覚まし代わりに耳に響く。

 《操作》を体に根付かせて寝床から這い出すと、木洩れ日はわずかに傾く程度でおそらくは昼を少し回ったころだろう。


「お目覚めになられましたか」


 まだよくまわらない頭で声の方に視線を向けると、ムシウが憎らしいほど整った顔で爽やかな笑みを浮かべていた。


(夢じゃなかった……)


 濃密な転生一日目とはいえ、一度寝て思考がリセットされたせいで生前の30年近い人生と比べれば朧気に感じる。目覚めたここは前世の自室ではと淡い期待を抱いたが、一片の慈悲もなくこの異世界こそが現実だった。


「寝ないで見張りをしていてくれたのか?」

「はっ。眷属となったおり、睡眠も仕切り直しとなったのでしょう。お休みの間、私が眠くなることはありませんでした」


 それではこれから眠くなるということかもしれないが、日中でゴブリンの集落とは話をつけたいところだ。少し無理をしてもらうことになるだろう。


「それにしても他の魔物が来なくて助かったな」

「この泉の水辺ですし、貴方様から魔王の気配が出ていなければ寄ってはきますまい」

「そんなに安全な場所だったのか」


 確かにこの湖畔は静謐な魔力が漂っている。こういったものは魔物は敬遠するものなのかもしれない。


「泉の見える場所で争うと、どこからか泉の主が現れて角で串刺しにするそうなので、誰もここでは争わないのですよ」

「そんなに恐ろしい場所だったのか」

「あくまで争っていた場合の話です」


 配下が口元を隠しながら苦笑する。

 それが実に様になっていて憎らしい。

 眷属化は単に姿が変わるだけではなく、精神的な変化も伴うのかもしれない。

 ゴブリンの精神のまま姿がエルフになったとしたら、己の姿の差異はその精神にとって大きな負担となるだろう。姿がエルフになったことで、精神もそれになじむようエルフとしてのものに変化したのだと思う。


「そういえば、我が君の名を伺っておりませんでした。なんとお呼びすればよいのでしょう?」

「ああ、名乗るのが遅れたな。僕の名は――」


 反射的に“悠一”を名乗りかけて、口をつぐむ。

 大きな違和感に襲われたのだ。

 ――本当にそう名乗ってよいのかと。

 悠一はあくまで前世で生きていた男としての名だ。

 精神的には悠一のままだが、身体の性別は女である。

 仮に女の身体で男の名を名乗ると、性自認の違いで混乱してしまう。

 ――自分はどちらの性別なのか、と。

 今後この世界で生きていくにあたり、何かにつけて自己への誰何(すいか)が挟まる思考は耐えられない。それを避けるために、女の身体で女の名を名乗り、だが精神は男であることを自覚する方法をとってみる。

 所謂、ネカマプレイだ。

 それでも、この世界には“悠一”という男の身体はない。男へと引き留める要素が無ければ、思考がそこから離れていくかもしれない不安は無論ある。

 だが、せっかく拾った新たな生を、できうる限り謳歌したいのだ。

 怪訝そうにこちらを伺うムシウに視線を合わせ、胸を張る。


「――僕の、……そう、僕の名前は、“ユイ”だ」


 気取った名前を付けるつもりはない。

 いつでも自分が“悠一”だと思いだせるように、名乗りはその略称とした。


「ユイ様……! 我が主の名をしかと胸に刻みました」


 ムシウが(うやうや)しく(こうべ)を垂れる。

 心を開いてくれている相手に対して壁を作っているようで、チクリと胸が痛んだ。

 だが、それも優先順位の問題だと自分に言い聞かせる。

 今はあくまで利害の一致で心を通わせているにすぎない。

 苦楽を共にし、暮らしがが安定したときにふと明かせばよいだろう。


「ムシウ。改めて君の集落の者たちを眷属に迎えたい。受け入れてくれるだろうか?」

「眷属として頂いたこの身体は、以前とは比べ物にならないほど強靭です。集落の者にも、それを伝えれば是非にとユイ様の配下に加わることでしょう。――説得するための技能(スキル)も頂いたことですし」


 お茶目にウィンクをして見せる配下にドキリとする。

 姿を転じたばかりで、そんな所作をどうやって身に着けるのか。

 イケメンになるとイケてる動作がオプションで付いてくるのだろうか。

 順調に心が身体に引っ張られている気がする。

 ――そんな気後れを、遅い朝餉(あさげ)にと注いだ乳の味に集中して誤魔化すしかなかった。


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