4話 来客
夕日の赤い光に横から照らされながら、ようやく完成した寝床に突っ伏する。
「腹、減っ、た……」
最初はまだ可愛げのあった腹の音が、だんだん罵声じみてきていたが、安全の確保のためには無視せざるを得なかった。結果、もはや魔力も体力も使い切ったと言っていい。
「これで新しい技能が手に入らなかったら餓死確定かな……」
ハッキリ言って、これから夜を迎える森の中で食料探しは不可能だ。
それでも心配には及ばない。
下腹に感じるジリジリとした熱は、並々ならぬ魔力の貯蔵を訴えている。ハンモックを掛けに来た段階ですでに一つ目の技能を取れそうだった。その後の雨よけの完成までにかけた飛行量を鑑みると、少なくとも三つ、多ければ四つは新しい技能が望めると踏んでいる。
「よーしまずは肉。…………出ないん、かーい!」
ノリでツッコミを入れる。
重労働の後は肉。
男子として当然の要求をしてみたが、技能が取得できそうな気配はない。悠一が想像したのはプレートに乗せられた分厚いステーキだったが、そんなものが赤子の身で食べられないのはわかっている。取得を問われたら即座に拒否するつもりだったが、そもそも何らかの条件を満たしていないようだ。
「じゃあ、生の肉。……もだめか」
食器や調理済みであることが条件に引っかかっているのかと思いきやそうでもないらしい。その後も野菜や魚を出そうとしても下腹の熱は反応しない。
「じゃあ水……」
《給水を取得しますか?》
「お、お、お、来た……! でも違う。一旦無し。ストップ」
確認が取り下げられたことに安堵した。
仕様は融通が利かずとも、取得には融通が利くらしい。
食料は出現させられないが、水は出現させられる……。
果たしてこの違いは何なのか。
「ミネラルウォーターはどうか?」
《鉱水を取得しますか?》
取得は可能のようだが字面がまずい。
技能のシステムが前世における市販のミネラルウォーターを識別していてくれればよいが、下手をすると有毒な鉱物が混ざった水が出てきてしまう。
「あとは牛にゅ……あ、赤ちゃんなら母乳で育つよな」
牛乳はあくまで牛の母乳であり、人間の赤子のためのミルクとは成分が大分違うと聞いたことがあった。もしこの淫魔の赤子のための母乳を、入手できる技能が得られるならば、それは最も適した食料確保の手段ではないだろうか。
《母乳を取得しますか?》
よし、取得するぞ、と承諾しかけて、なにやら背筋に悪寒が走ったので取りやめる。
「――ちょ、待て? 落ち着け? お包みバラバラ事件の悪夢を思い出せよ?」
仕様に融通が利かないことを、思い知ったばかりであることを忘れてはならない。
それがどんな技能なのか、取ってみるまで分からない以上、安易な取得は首を絞めることになる。
果たして《母乳》とはどんな技能なのか。流れで勝手に虚空から母乳を生み出せる技能だと思い込んではいまいか。仮に、《母乳》という名前の魔法の呪文があってその効果をどのように想像するかを人に聞いたとしたら……。
多くは「乳房から母乳が出るようになる魔法」と答えるのではないか。
一次成長も終わっていないマッタイラな胸に視線を落とす。
「いやだあぁぁぁぁぁぁっ!! そもそも自分のじゃ吸えないだろ!」
そんな男としての尊厳が破壊される技能を取るわけにはいかない。
足をバタつかせるとハンモックがしなり、大きな葉擦れの音が響いた。寝床を壊さないかと我に返るが、それでも気分は収まらず、宙に浮かび上がって身悶えを続けた。
あらためて、技能の恐ろしさを痛感する。
《裁縫》が便利技能になったのは、あくまでお包みがノーコストで復元可能という破格なアイテムだったからだ。次も取り返しがつくとは限らない。
《操作》も《裁縫》も、その時必要に迫られて取得した技能であったから、その取得に後悔はない。結果的に技能の利点と欠点を知る良い機会にもなった。
しかし、今は飢えているとはいえ、即座に意識を失うほどではない。拙速よりも遅巧をもって、望んだ結果を掴み取らねばならない。
「――無からその種族の赤子に合った母乳を出現させる技能がほしい!」
技能の効果を丁寧に設定して要求してみたところ取得の是非は問われなかった。
つまり取得の条件を満たしていないという事だ。
取得できないのは魔力のチャージが足りないのか、それとも効果の指定が細かすぎるのか。――だが、重要なのは、先に取得を問われた《母乳》と今取れなかった技能は別物だということだ。何もない所から母乳を出現させるのではない《母乳》という技能は、使えば悠一の尊厳を破壊する可能性が高い。
「絶対取らないからな!」
まかり間違って取得してしまわないよう自分に言い聞かせる。
さしあたって、最後に取得を承諾しない限り技能の取得条件や効果の検証は続けられる。改めて《無から飲み水を出現させる技能》を求める。
《給水を取得しますか?》
予想は当たっていた。条件を細かく設定しても《給水》は取れるようだ。
そして、肉体を介して母乳を作ることも可能。
その上で《無からその種族の赤子に合った母乳を出現させる魔法》が取得できないのはなぜか。既にある身体の動きを魔力で補佐する《操作》と違い、《裁縫》はお包みに無い材質を素材の量で肩代わりして衣服を創り出す。このように、無から有を生み出す行程は何がしか代償の消費が増加する傾向が予想される。
つまり、現時点で魔力のチャージが足りないのだ。
それでも無から水を出す技能が取得可能な時点で、残りの必要量はそう多くはあるまい。
「寝床の上でひたすら浮かび続けるしかないよね……」
予測は立てたがその解決方法は相変わらず体の酷使だ。
一瞬萎えそうになる気力を、恵まれた転生特典に感謝して奮い立たせる。
「命を与え、体を与え、布を与えた何者かよ、我が命繋ぐための力を与えたまえ……」
こうして最後のひと押しで自分をごまかすために宗教が存在するのだと、失礼な考えが頭をよぎる。しかして自分本位な思考は一回の飛行で魔力を出し切るまで悠一の身体を宙に留めさせた。
「もう、これで上手く行ってくれー! これ以上は気力も体力も魔力ももたんぞー!」
筋トレが終わった後のように力なく横たわりながら技能を求めた。
《授乳を取得しますか?》
拳を突き上げて喜びを噛みしめる。
尊厳破壊技能(仮)とは違う名称が頭の中に浮かび上がってきた。
詳細を設定したうえで取得条件もクリアしているのであれば、これはもう求めた技能で間違いない。
それでも見落としはないかと自問してしまう。
いざ目標の達成があと少しになると完了を躊躇うのは、前世からの職業病だ。
念には念を入れて、もう一度事細かに条件を指定しても《授乳》の提示は変わらない。
「よし……、取得するぞ」
勇気と共に一歩を踏み出し、技能を手に入れた。
すぐにでも晩餐にありつきたいところだが、寝床を汚さないよう、受け皿となる容器を作らなくてはならない。集めておいたお包みの切れ端の材質を《裁縫》で変化させる。布を薄く癒着させ、水を弾くよう滑らかに仕上げてパッチワーク柄の水呑を完成させた。
そのまま器に視線を落としながら《授乳》と念じる。
底から湧き出るように光が水呑を満たしていく。
数秒で一杯になると、徐々に光は消え、後にはなみなみと白い液体が湛えられていた。
「暖かい」
じんわりと熱が伝わってくるのを感じて縁に顔を近づけると、外気に触れる面からわずかに湯気が感じられた。
恐る恐る口に含む。
「おいしい」
人肌のぬくもりが、まろやかな舌触りを残して胃の腑に落ちていく。食道を通るたびに温かさを感じて胸の下あたりがキュウと締め付けられる。体の方は空腹で限界だったようだ。
冷めてしまっては勿体ないと残りを急いで飲み込もうとするが、嚥下の速度が間に合わずに少し零してしまった。《操作》自体は十全に働いているが、思ったよりも赤子の口が小さかった。大人だったころの感覚でいてはミルクも飲めない。《裁縫》で作りだした水呑も今にしてみれば少し大きかった。
あらためて転生をしてしまったのだと実感する。また少し不安が這い上がってきたが、酷使した体が“まだまだミルクが足りない”と腹を鳴らして訴えてきた。
苦笑しながら、器におかわりミルクを注ぐ。
今度は冷めないよう半部ほどにとどめて、ちびちびと飲み始めた。
問題は山積しているが、今は腹を満たすことの方が重要だ。
一日の成果を味わう。
そうしている間に、先行きの不安などどうでもよくなってしまった。
一息ついたころにはあたりは完全に暗くなっていた。
淫魔は夜一族であるため、その目は暗視能力に優れている。枝葉の陰から外を眺めてみても湖畔に生える草のひとつさえ見分けられた。
「――ああ、ここは異世界だ」
月明かりに違和感があり、空を眺めて納得がいった。
中天に大きな半月と水平線に小さな満月。
ふたつの月に照らされて夜の草木は影を二重に投げかけている。
見慣れぬ夜景に誘いだされ、ついつい寝床から這い出てしまった。
周囲に危険がない事を確認して木の天辺まで舞い上がる。
「きれいだ……」
月明かりが強い事を除けば他に光源は星しかない。近眼ではなくなった視力で満天の星空を眺められるのは、転生者ゆえ故の特権だ。しかし、よく見える目で星を繋げてみても当然見知った星座は存在しない。
少し寂しい気持ちになりながらも一頻夜空を堪能すると、視線を水平方向へ移した。
人の灯す明かりを探してみるが全景を見渡してみても確認できない。もっと高く飛べば森の外まで視角を広げられるかもしれないが、上空での魔力欠は御免被る。
――これ以上は好奇心を満たす以上の収穫は得られそうにないため、夜風の冷たさ感じて寝床に戻った。
お包みに包まって今後のことを考える。
幸い暮し向きに困ることはなくなった。
しかし、生き急ぐ必要がなくなると、どうしてもそれ以外のことを考えてしまう。
生前完成を見なかったエロゲー。
そのキャラに転生してしまったこともあるし、地球に戻れたとしても今の悠一は異形の存在だ。
これが夢ではないことも日中の労働で悟ってしまった。
前世に未練はあるがこれはもうどうしようもないだろう。
そしてもう少し先の話。
ここでの生活を完全に確立させたとして、そのあとはどうするのか。
この世界に人間はいるのか。もっと成長してから旅に出ればそれを知ることも叶うだろうが、赤子の身体が成長するまではもどかしい思いを続けなければならない。
はやる気持ちはある。だが、異世界に転生した悠一には、もはや仕事の納期も社会的保証も義務もない。隔絶された常識に沿って思考を続ければ、その齟齬はいつか大きな失敗を呼び込むだろう。
急ぐ必要はない。成長を待つ間、少しだけ歩調を緩めればいいだけだ。
そしてその間に技能を多く修得し、足掛かりを増やす。
「それで、生きていける……、はず……」
たのしみだ。
不安は消えないが、悠一は確かにそう思えた。
退屈や苦痛だけではなく、その先にある確かな期待を感じ、異世界最初の夜は深まっていった。
……
…………
ふと、目が覚めた。
大きな音がしたわけでも、体を揺さぶられたわけでもない。
しかし、何かに呼ばれたような気がした。
魔力を扱う生物としての能力か、はたまた生気を啜る淫魔の本能か。
――そこに、いる。
まだ何をするわけでもないが、こちらを見ている。
他の生き物がすぐそこにいるのだ。
相手はこちらが目覚めたことに気づいただろう。
すぐにでも息の根を止めに来るかもしれない。
悲鳴を上げたくなる気持ちを押し込めてそっと体の向きを変える。
お包みに足をかけ、意を決し相手に向かって蹴り飛ばした。
「ギキィッ!?」
獣のような叫び声と葉擦れの音。
瞬間翼から魔力を放出して枝の外へ脱出する。
周囲を警戒し、待ち伏せがない事を確認すると、相手からの投擲を恐れて隣の木を盾に襲撃者と向き合う。
相手も突然被せられたお包みからようやく脱出したところだった。
――醜い。
それが第一印象だった。
人型で緑の肌。とがった耳と大きな鷲鼻。人間の子供程度の大きさだが、顔はしわくちゃで老人のようだ。筋肉質な体に最低限の獣皮の着衣を纏っている。赤い瞳がこちらへ視線を送っていた。
「……ゴブリン?」
前世で悠一が仕事のために集めた資料はもちろん想像上のものだが、特徴を総合すると呼び名はそうなってしまう。
ゴブリンもどきは、こちらが蹴り飛ばしたお包みを手にしたまま呆気にとられたように動かない。
それが、異世界における知性を持つ者とのファーストコンタクトだった。