31話 告白
帰途についてから、七日目の夜が明ける。
開拓村への道は、往きと比べてより容易かった。何処にあるかもわからない(ということになっていた)一角聖獣の住処を探すのとは違い、帰り道は目的地も道中の難所も解っているのだから。結果的に村への帰還は二日短縮することができたし、今夜にでも開拓村へと辿り着けるだろう。
寝床は相変わらず木の上で枝に布を張り巡らせた簡易テントで、樹海の旅程に快適な休息を提供している。
もぞり、と寝床から抜け出して周囲を見渡せば、起床は二番手だった。仏頂面で既に身なりを整えているエミスは、意地でも主人の前に起きるつもりだったらしい。
おはよう、と口の動きだけで挨拶をし、エミスも頭を下げるにとどめたのには訳がある。この七日間を、ずっとアウラの付き人として、研修期間に当てていた。普段はユイしかできない寝床の設営という形で役割分担をしていたため、食事ができるまで寝ていられたが付き人としての役目を負った今となってはそうもいかない。規則正しいアウラの生活習慣に合わせて、身の回りの世話をしなくてはならないのだ。
アウラはまだ少女ではあるとはいえ聖騎士であり、その扱いは高位の神官に準ずる。
朝起こすところから始まり、着付けの手伝い。夜に身だしなみを整えて就寝まで付ききりでその補佐を行う。現在は少数での遠征の途中であるから基本的にアウラも食事の準備などは手伝うが、教会の施設内であればそれらの雑事も全て付き人の仕事となるようだ。
そして、アウラよりも早く起きたのは付き人として一日の最初の仕事をするため。就寝用の薄着を《裁縫》で聖櫃教の修道着へと瞬時に衣替えした。本来なら主人の寝所へ出仕するにあたり、相応の時間をかけて身だしなみを整えるものだ。しかし、技能を使って横着をするあたり、ものぐさな気質はなかなか改善するものではない。
少なくとも見た目だけは完璧な付き人が枕元に控える構図を作り上げ、丁寧な物腰でアウラを起こす。
「聖騎士様、空が白んでまいりました。起床の時刻でございます」
道すがらの教育で、付き人としての振る舞いもなかなか堂に入ってきた。
今世において魔王という集団の長であるとはいえ、中身は前世が庶民である。必要とあらば目上に遜る事に全く抵抗はない。
そもそもが自分より有能な眷属たちに囲まれていて、己の才に対する自尊心などとうにへし折れている。そんな環境に置かれていては、アウラの付き人へと服するのに何の苦労も感じない。
「ああ、私のユイ様はどこ? 生活態度がだらしなくて私がいないと生きていけないユイ様はどこ……? 私のユイ様を返して」
《翻訳》学習の賜物で、付き人のノウハウはほぼ習得できたと言っていい。
その習熟速度は、ともすれば人が豹変したようにも見えるはずだ。
アウラを主人と仰ぎ、その身を世話するためには、当然のエミスの世話になるような生活態度は改めなくてはならない。そしていざ実践してみると、世話をする側というのもなかなかに楽しいものだった。結果、世話に没頭するあまり、本来の従者は仕事の欠乏に身悶えていた。
半泣きのエミスを哀れに思うが、学びの機会をおろそかにはできない。与えらられた役目を完璧にこなしてこそ教国中枢に溶け込めるというものだ。その一環として求められる務めを全うしようとしたものの、あっさり身を起こしたアウラは、しかし顔が曇っていた。
「……どうかなさいましたか?」
「う、いえ、私ももうちょっと気さくなユイの方がいいかなと」
「そうです! そうですよ! こんなのユイ様じゃありません!」
どうやら従者モードは不評らしい。
「いや、正直僕も驚いているんだよね。こんなに役目に沿うのが上手かったかなって」
「あ゛ーっ! ユイ様が帰ってきましたぁ!」
ものぐさモードに戻ると、エミスが胸に飛び込んできた。
心細かったのか、やや甘え気味の従者の頭を撫でてやる。
「それにしても、ユイがこんなに飲み込みが早いとは思いませんでした。基本は概ねできているので、実地での応用も効くはずです」
「お墨付きを貰えて光栄だよ。ただエミスがかわいそうなので、従者モードは必要な時だけにさせてもらいたいかな……」
アウラを助けるためにできる限りの事はしたいが、別に今いる眷属を蔑ろにしたいわけではない。
エミスの恨めしそうな視線に、アウラが苦笑いで頷いた。
「ふふ、聖櫃教は形から入るので、多少ぎこちなくても基本がなっていれば見咎められませんよ」
教義になぞらえた振る舞いに熱心であることが重要であるようだ。
前世であれば、宗教の面倒な所作を身につける事には興味すらわかなかったはずなのに、それを案外簡単にできてしまった事に違和感を覚える。眠りに際してオンオフが一瞬で切替わるのと同様に、これもこの世界で魔物として生を受けた事による特技なのかもしれない。
「なんかロボットみたいだなぁ……」
「ろぼっと、ですか?」
思わずつぶやいた前世ワードがアウラに拾われてしまった。
この世界にない概念をひけらかしすぎては、地方部族のお嬢様が浮世離れしているという言い訳の範疇をこえてしまう。とはいえ一度口に出してしまった以上、隠すことに躍起になる方が、逆に疑念を深めてしまうのもまた事実だろう。
「んーと、人の形に似ている魔物で、人間ではないんだけど人間のように振る舞って襲ってくるんだけど……」
「ああ、ゴーレムですね。見た目は岩でできた巨人ですが、囮に簡単に引っかかるので人間ほど知能が高くはないと言われています」
この世界でありそうな事例に当てはめて、適当を言って話を切り上げるつもりが実際にロボットのような魔物がいるらしい。
今まで出会った魔物は全て生物であったため、非生物にも魔物がいるのは予想外だ。これを眷属に加えた場合、その姿はいったいどのようなものになるだろうか。
「そのゴーレムとかいう魔物を祖に持つ人は居ないものなの?」
「ごく少数ですがいらっしゃる様ですよ。ですがユイのように角や翼を特徴とする方々ではないので、やはり関連はないと思います」
アウラが寝床から出てきたので着付けを手伝う。
自身の身だしなみのように《裁縫》は使わない。聖櫃教においては聖騎士に袖を通させるのですら宗教的意味を持つらしい。魔物の特徴がない人間に合わせた着衣を可能とすることによって美徳にするのだとか。
《しんじつをしると、それもむなしいよね》
(それで救われた人がいるのも事実だからね。それでも救われない人を僕らが助けられればいいんじゃないかな)
サチと心中で会話をしていても、付き人としての手際は淀みない。
生前、マルチタスクは得意ではなかったはずなのに、背反する思考と行動の両立さえ可能になっていた。
(ますます機械じみてきたかな)
人間離れしていく技量への自嘲に、心の乙女は何も答えなかった。
ちょうど着付けの終わり際だったので、サチとの駄弁を切り上げて話を少女騎士へと戻す。
「身支度が仕上がりましてございます」
「ご、ご苦労様です……。すぐそうやって茶化すのですからっ」
むくれたアウラに笑いかけながら、しがみ付いていたエミスから尻尾を奪い返す。
朝食の準備のために立ち上がると、弓を携えたエミスが先行して外に出た。本来ならユイが《積層》を使いながらでも外の安全を確かめるべきだが、エミスにも従者としての矜持があるようだ。
「お出になって頂いて大丈夫ですよ」
「うん、ありがとう。さあ行こうか。お手をどうぞ」
樹上の仮宿であるため、地表へは各々の方法で降りなければならないが、降り口までは撓る枝や張った布で足元がおぼつかない。そこまでの案内も付き人の仕事の内と澄ました顔で手を差し伸べるたが、顔を赤くしたアウラは慌てて手を振った。
「だ、大丈夫ですよぅ! あっ!」
勢いよく立ち上がりバランスを崩したところを浮遊して抱き留める。倒れ込まないよう強く抱きしめると、腕の熱が直に伝わって来た。そのまま腕に力を込めて脱力した少女を持ち上げ、降り口の枝へと静かに下ろす。
「どうぞ、足元に気を付けて、ね」
「うぅ、お手数をかけます……。その、ありがとう、ユイ」
羞恥で目線を合わせてくれないアウラが、指先へそっと強く握り返してきた。
朝の空気の中で白む吐息と朱に染まる頬が妙に艶めかしくて、思わずその首筋に顔を埋めてしまった。
「ひゃあぁっ!? なにっ!? なんですかユイ!?」
「このまま下へご案内するよ」
細い腰へ腕を回して体重を預かれば、アウラはこちらへしがみ付く以外の選択肢はない。もはや有無を言わせまいと、履かせておくはずの靴を引っ掴んで共に根元へと降下する。ゆるゆると速度を加減しながら着地すると広げた裾の上に座らせ、地に着かないよう力んで震える足先に靴の口を通す。
「私がそういうことするとユイ様怒るくせに……」
「主人にこんな無体を働くなんて、不敬ですっ」
別の感情が込められた二つの非難を、アウラの上体に尾を絡めて支え黙殺する。
再び上がった二つの悲鳴もどこ吹く風、靴を履かせ終わると少女騎士の矮躯を抱えて飛び上がり地に立たせた。
「やる側になって分かったけど、スキンシップ多めの御奉仕っていいよねこれ。今度からエミスの好きにさせてもいいかもしれない」
「そうでしょう、そうでしょう。お目が高いですユイ様。アウラ様も観念してユイ様のご奉仕を受けてください」
欲望に忠実な従者が瞬時に手の平を返すのは解っていた。
いきなり孤立無援になったアウラは非難の矛先をエミスに移したが、当の本人はスキンシップの許可が下りたことしか頭に無いようで、意気揚々と朝食を狩りに出かけてしまった。
裏切り者が逃げたとあれば、アウラの鬱憤がその主人へ向かうのは道理である。
「解っているとは思いますが、人前であの距離感は不埒ですっ! ちゃんと自重してくださいね!」
「了解だよ。人目のない所でやるって約束するから」
もはやここに来て怖気づきなどするわけがない。
したり顔で頷いて見せるが、当然アウラは納得などせず、眼鏡のブリッジを中指で押し上げると、腰を折って下から睨め付けてきた。
出会ってから一番厳しい視線。不断な柔和なそれが、切れ長の鋭い目つきで睨んでくるのはなかなかに被虐心をそそる。普段は見られない表情に身悶えていると、アウラはあきれたように表情を崩す。
「エミスに禁止してることは僕もしないから安心してよ」
「はぁ、信じたいのですけどねー。ユイはたまに視線がイヤらしいですから……」
指摘されるのは心苦しいが、もはや女の胸元が気になることくらいしか男の意識を自覚できないので、今後も自重するのがせいぜいだ。
しかし、そのまま一線を越えることもまた無いと自負できる。なぜなら有能な眷属たちの誘惑に一年耐えてきたのだから。
「本当だよ。僕はエミスが大事だ。それと同じようにアウラも大事にしたいんだ」
「エミスさんと私が同じくらい大事、ですか?」
念を押すように問うてくるアウラの視線を受け止め、そのまま頷く。
エミスは大事な眷属だ。そしてアウラが望めば、同様に眷属に迎える事もまた吝かではない。故に、アウラもまたエミスと同様に近しい関係にありたい。アウラへのスキンシップは、それを言外に秘めたアプローチなのだから。
「うん。だからアウラが少しくらい我が儘を言っても、僕は聞くよ」
「そう、ですか……」
手厳しくこちらの不埒を責めていたはずのアウラが、それきり考え込むように黙ってしまった。そこには茶化した時の照れ顔はない。
そしておもむろにあげた顔には決心の色。
その場に携えていた剣を置くと、足取り軽くこちらの目の前まで歩いて来た。
「ん、……え? 剣を?」
手を伸ばせば届く距離まで歩み寄られて、ようやく違和感に気づいた。
アウラは今まで、鎧を脱ぐことはあった。しかし剣だけは常にそばに置き、即座に手に取れる場所までしか、離したことはなかったのだ。
「触れて、くれないのですか?」
恐る恐る、アウラは問うてくる。
その小さな身体は震えていた。
掌に納まる肩に手を置き、宥めるように体を支える。
「どうしたの。……何かあるなら、聞くよ?」
「ええ、ええ。お願いしたいことが、……ことが、あるのです」
そこまで言って、アウラは視線を落としてしまった。
何度も緩んだり引き結ばれたりを繰り返す唇が、言葉を紡ぐまでそっと待つ。
おそらく躊躇っているのは、発すれば戻れない言葉。
決定的な幕引きを恐れているのだろう。打算よりも、出会ったばかりの友人と道が分かたれる恐怖が勝っている。
それが分っているなら、その気持ちを汲んでやればいいのだ。
同じことを思っていると伝えてやればいい。
肩に置いた、手の力を抜く。
即応するための硬直の解除ではなく、完全な弛緩。
アウラがその気になれば、いかようにも害をなせるよう身を晒す。
肩にかかる力でそれを察したのだろう。視線をあわせたアウラの顔がくしゃりと歪んだ。
「やめたほうがいいと、言いましたっ……!」
「相手を選ぶと言ったよ。だってほら、気持ちを伝えるのに便利だろう?」
無防備のまま目じりを下げる。
それは如何なる告白であろうと聞き入れるという覚悟。
視線だけは逸らさずに、アウラの返答を待つ。一瞬だけ目を逸らして頬を染めた少女は、再び視線を合わせた時、既に騎士の顔になっていた。
泰然。直立の姿勢から告げられたアウラの言葉が耳朶を打つ。
「貴女の……、貴女が仕える魔王様に、会わせてください!」




