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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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30話 救済と欲求

 一角聖獣(ユニコーン)の領域から戻ってもまだ、アウラは寝息を立てていた。

 時折眉をひそめてうなされていたが、手を取って名を呼んでやると表情が和らいだ。

 エミスはできるだけ湖に近づきたくない様子で、昨晩の野営地へ戻って昼食の準備をしている。アウラの目がない事をいいことに、《触手》空間から食材を取り出して腕を振るっているようだ。

 手間は配下に任せ、ユイは心労から眠りにつく友の寝顔を眺めていた。しかし見守るだけというのも手持ち無沙汰なもので、再び添い寝を慣行する。無駄に分厚いマットを敷いてあったせいで身体が沈み込み、二人の体重でできた窪地で身体を押し付け合うこととなった。


「んうぅ、ユイぃ……」

「ここにいるよ。アウラ、アウラ」


 律儀に寝言に答えてやるだけで、寝苦しさが和らぐのか寝息のトーンが下がった。

 おそらくアウラの心労の本質は、一角聖獣(ユニコーン)が妹を治せないという事実を突きつけられただけでなく、妹を治療する手段がなかった事も大きいだろう。

 樹海に食い込んだ場所での、開拓村の設置が許されるほどの権限。それを持っているアウラが、魔物頼みなどと言う博打に打って出た時点で、他に方法がなかったに違いない。

 そして当てこそ外れたが、不調の原因と道筋は遠いながらも死を退ける方法は得た。闇を手探りで行く中で遥か先に灯ったかすかな光が、アウラの緊張を緩めたことだろう。

 糸が切れたように眠るアウラは決して絶望に沈んでいるのではない。

 これから挑む、長く険しい道を踏破するための、英気を養う休息である。

 その思いを確信できるほどに、アウラという少女は一途なのだ。たゆまず突き進む心の強さを持っている。追い込まれなくては必死になれない臆病なユイには、その在り様が眩しい光に見えるのだ。

 だがそれには、足元がおぼつかなくても崩れきる前に渡れれば進んでしまうような危うさがある。アウラが歩み続ける限り、その手を取って助けてやりたい。その行く末を見てみたい。

 目の前で安らかに眠る少女は、そんなどうしようもない熱を与えてくれるのだ。


「アウラ、もっと頼ってくれていいんだよ」


 額を突き合わせながら囁いても、帰ってくるのは(かす)かな寝息だけである。

 それでも同時に(さす)っていた皮の厚い指先が、僅かに握られたのは勘違いでないと思いたかった。



 いつしか眠ってしまっていたのか、アウラが呼ぶ声で目を覚ます。

 友の寝顔を見つめるのも良いが、慕う相手を感じる方法は何も一つだけではない。肌を触れ合わせることも、吐息に耳を(くすぐ)られることも、間近にあって相手を狼狽させることも、総じて心を揺さぶる睦み合いである。


「やっぁと起きましたか! 目が覚めたらユイが絡まっていて離れないのですが!?」


 ただの添い寝ではアウラを逃がしてしまうのは明白だ。

 翼や尻尾を肢として使えば、捕獲能力で人間を上回れる。こちらを傷つけないよう、手加減して拘束を解こうと藻掻いているが、四肢と胴体全てを絡めとられてはそれもままならない。アウラが寝ている間に全身をしっかり絡めて、起きた後に逃げられないようにしておいたのだ。

 薄着で密着したおかげで胴の熱と身じろぎをよく感じられる

 力むアウラの吐息がこそばゆい。


「アウラにも魔物の身体の良さを知ってもらいたくてね」

「むぐぅぅ、だからってこんなぴったりくっついて……。は、恥ずかしいです! いつの間にか薄着になっていますし!」


 衣服は人の心の鎧にもなりうる。目覚めた時、アウラの本心を曝け出させるには、騎士服は邪魔なのだ。

 ここは一角聖獣(ユニコーン)の湖畔であるがゆえに殺生御法度の聖域であり、万にひとつも野良の魔物に襲われることはない。後は淫魔であるユイの“相手の服を脱がせるのに困らない”種族特性で、熟睡しているアウラの服を何の抵抗もなく脱がせしめた。


「僕も下着姿だから恥ずかしくないよ」

「いや、その理屈はおかしいですっ!」


 一角聖獣(ユニコーン)の領域から帰って来た直後の陰鬱な表情から一転、アウラは朱に染まった顔でか細い悲鳴を上げている。本来なら人前で下着だけになるのは少女の身体を意識してしまうために遠慮するのだが、アウラが大げさに恥じらってくれるので落ち着いて居られる。


「付き合いはまだ短いけどさ、アウラって積極的に関わってくるように見えて、肝心なところは(さら)け出さないじゃん? 打ち明けてくれるまで待っていたら、何時まで経っても抱え込むからさ。ちょっと襟を開いて話し合おうかと」

「襟どころじゃないのですが!? ユイだって私やエミスさんの裸を恥ずかしがっているふりをして、こっそり見ていたりしますよね! ユイのむっつりスケベ!」


 耳が痛い言葉だが甘んじて受け入れる。

 美少女が裸身を晒していたら、当然視線が吸い寄せられてしまうというものだ。それは必要もないのに不可侵の素肌が目に入る事への罪悪感から来るもので、必要を認める今はそんな言葉で怖気きなどはしない。


「今の僕はオープンスケベだ! だからアウラにだって僕の身体を見られても恥ずかしくはない!」

「なっ、ちょっ、ここ、外ですよ!?」


 がっちりと絡めていた身体を解いて掛布を明け渡す。

 ミノムシのように丸まって顔だけを出したアウラの前へ、色欲の魔王の身体をさらけ出した。


「――綺麗」


 思わずこぼれた少女騎士の呟きに気をよくしてポージングを繰り返す。

 五体しかない人間には不可能な、翼や尾をも含めた仕草はアウラにとって新境地だ。下着も褐色の 肌との対比が映えるよう白を基調に、レースやフリルをあしらった意匠重視の物へと取り換えておいた。

 この世界の人間社会では、着飾るとはもっぱら外から見える部分に限られる。

 他人に見せない下着でお洒落をするという文化がまだ育まれていないのだ。

 さらに騎士団育ちのお嬢さんでは、下着姿の少女が肢体を誇示することで美しさが表現できるなどとは考えもつかなかったに違いない。

 食い入るように見つめるアウラの視線を遮るように、衣装を纏う。


「あっ……」


 アウラがお気に入りを取り上げられた子供の様に声をつまらせた。

 同時に森のそこここからも、不満の魔力波動が飛んでくるが全て無視をする。

 もっと見ていたいとは言い出せないアウラが目を泳がせているのに気づいてほくそ笑んだ。


「……むっつりスケベ」

「なっ、いやっ、ちが……!」


 しどろもどろの少女騎士を放置して《裁縫》による早着替えを続行する。

 纏うのは内に着るものから順番に。

 ユイの衣装が何なのか気づいたアウラは押し黙った。


「それは……、まさか」

「うん。聖櫃教の修道着だよ」


 アドラシオンは宗教国家であるから、当然見た目でわかる権威付けに余念がない。

 ユイが纏っているのは、魔物の特徴が残っている()()()()者が着る種類のものだ。前世における修道女の服装に似ている。戒律に厳しい宗教にありがちな、頭をすっぽり覆うヴェールや、肌を極力出さない長い(そで)(すそ)が特徴的である。しかし、そうまでして着用者の個性を消す目的は、魔物の特徴が他者の目に留まらないようにするためだ。

 翼を内着と上着の間に隠し、尻尾も丈の長い裾から出ないようにする。最大のネックの角も、ヴェールの頭部をバルーン状にして違和感のないデザインにした。聖櫃教は建前上全ての人間に門戸が開かれているから、それこそ千差万別の魔物の特徴を画一的なデザインで隠すことはできない。隠す事が重要で、そのためならデザイン自体は咎められることはないのだ。


「聖櫃教のこと、少し勉強したことがあってね。確か、聖騎士様は教徒の中から付き人を指名できるはずだよね?」

「――まさか、手伝おうというのですか?」


 望外の申し出に、呆気に取られているアウラへ頷き返す。


「乗り掛かった舟だからね。開拓村でサヨナラなんてしたら、アウラは今頃どうしてるんだろう~って気になって旅なんてできないよ」

「あり、がとうございます……。私は果報者です。事情を知っているユイが一緒に行動してくれれば助かります」


 言葉を詰まらせるアウラへ笑顔を返す。

 妹君を眷属化する必要に迫られたとしても、教国内に居場所があったほうが円滑に事を進められる。そのためにも修道女に扮するのは妙案と思ったのだ。


「……ですが、聖騎士の付き人は規律に厳格ですよ? ユイは朝早くに起きられますか? 身の回りの事をいつもエミスさんに任せっぱなしですけど、私の世話までできますか? その上で聖櫃教の教義に則った所作をしなくてはなりませんよ?」

「でででできるもん! 頑張るもん! 学びの旅なんだから経験は買ってでもするべきだと思っています!」


 相容れない組織体制であったとしても、そこに飛び込む必要ができたのならば全力で学ぶべきだろう。内情を知れば色欲一門の統制における反面教師にもできるのだから。


「はぁ、意気込みは買いましょうか。厳しく指導しますからね」


 物言いたげな目は信用していない証だろう。

 だが侮るなかれ。配下の者たちが情報収集に使った手段でもあるが、《翻訳》を受動的に使えば相手の意図するところは十全に理解できる。徳の低い修道着の様式則って再現できたように、言外の意味も踏まえた上で知識を吸収できるのだ。


「それはそうと、私の服、返してくれませんか? ユイとは違って、私には恥じらいがあるので」

「はー、そんなことを言っちゃいますか、アウラ様は」


 内向陰鬱少女を励ますために体を張った身としては心外極る難癖だ。

 翼を広げる余地のない上着を《裁縫》でパージする。身の危険を感じたアウラが距離をとろうとするが、予想以上に沈みこむマットに足をとられて盛大に転げた。マットに這いつくばったミノムシに空から襲い掛かる。


「くっ、私を甘く見ましたね!」

「おぉ!?」


 そのまま抑え込むつもりが腕を噛まれて捻じられた。

 痛まない力加減で誘導され、そのままマットに落とされてバウンドする。沈み込んだ身体へとすかさずアウラが馬乗りになってきて身動きが取れなくなった。


「ふふふ、聖騎士様に手をあげる付き人にはどんなお仕置きをしましょうね?」


 両腕を封じられ、身体をよじるも体幹を()められていてびくともしない。

 そう変わらない体格比でありながら相手に跳ねのけさせない妙技には驚くが、こちらの攻勢はこれからだ。


「とんでもない。僕はただご主人様に着付けをして差し上げようと」


 逆光に捕食者の笑みを浮かべるアウラに被虐の快感を催しながら《裁縫》を発動した。整然たる魔力の鋏が寝具を切り裂き布地を変質させる。帯状になった百を超える端材が檻のように二人を覆った。

 意図を図りかねて落とされた強い視線へと柔らかい笑顔を返し、無防備に身体を晒す。緊張からか力が籠ったアウラの両手をやさしく握り返すと、布の檻を収縮させた。

 降参とばかりに巻き付いてくる布への抵抗を止めたアウラの顔は険しい。


「もう……、ユイはそのすぐ急所を晒す癖はやめたほうがいいですよ」

「信用している人にしかしないよ。戯れに付き合って悪くなかったと思えるくらいのものはお返しするつもりだしね」


 意思を篭めた生地で少女騎士の体躯を包み込む。

 骨格が未完成の肩口や鍛えてはいるものの幼さの残る胴回を、服飾の熱意で(むさぼ)りたくなる。しかしアウラを前世の意匠で着飾らせて、目立たせるわけにもいかない。

 渋々ではあるが、寝込みを襲って脱がした騎士服を参考にする。

 寝具が分解され、今は草地に投げ出されているそれは、無理に丈を詰めて着ていた小柄な大人向けの物だ。そんなものを支給される時点で少女が聖騎士になるのは稀なのだろうが、服飾にこだわる身としては身体に合ったものを着てほしい。

 骨格に合わせた規格でありながら機能は落とさず、意匠は踏襲する。


「――完成だよ。どうかな、過不足はない? って、なんで渋い顔してるのさ」

「非の打ちどころの無い物をお出ししてくるのに、どうしてもっと普通に渡せないのでしょうか。ユイは他人との距離感が狂っている気がします」


 他人と上手く距離感を保てるならば、前世では在宅仕事で生計など立てていなかっただろう。異世界転生の荒波に揉まれ、これでもマシになったものだ。


「アウラは、本当につらくても上手く取り繕っちゃうじゃん。これくらいはっちゃけないと本心を見せてくれないからね」

「聖騎士業は厳しいのですよ。甘えてなんていられません」


 むくれてそっぽを向いては、本当は甘えたいのが見え見えだ。

 身体を起こそうとすると、馬乗りを解いたアウラが助け起こしてくれた。


「僕も付き人を頑張るからさ。他人の目がない時は甘えてよ」

「それは有り難いですけれど、エミスさんの説得は一人でしてくださいね」


 本当の付き人からの強い反対を予想しているのだろう。

 実際、世を忍ぶ仮の設定で言えばお嬢様の気まぐれととられても仕方はないし、ユイの今まで振る舞いからすれば信用されないのが当たり前だ。

 だが既にこの会話はエルフたち全員が木々に隠れて聞いている。

 魔力の増大で異議申し立てをしている物もちらほらいたが、メールが黙らせてくれた。そして肝心のエミスからも魔力を使った抗議は見られない。


「嫌味くらいは甘んじて受けるよ。でも、見聞を広めるのは僕にとって重要なことだから。必ず、説得する」


 反対されないことが分っていての見栄に、チクリと罪悪感が胸を刺す。

 しかし、横で鎧を装着するアウラの晴れやかな横顔を見て、選択が間違っていなかったと確信できた。


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