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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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28話 湖畔の珍事

 緩やかな勾配を下り、木々がまばらになると腰丈の草地が見えてくる。

 この世界に生を受けてから、ちょうど一年。懐かしい目覚めの場所は、その時の景色のままだ。

 しかし今、かつて穏やかに凪いでいた空気は一変し、水辺一帯は一角聖獣(ユニコーン)の魔力が吹き荒れている。肌で感じられるほどの重苦しさは、まるで水底で全方位から重圧を受けるかのようだ。


「いらっしゃいましたよ」


 耳元へのエミスの小声で湖を見やると、水面が揺らめいて一頭の白馬が姿を(あらわ)した。隆々とした体躯に美しい金の(たてがみ)、額から一直線に突き出た角はユイの身長ほどもある。エルフたち十人分にも匹敵しそうな重量級の見た目に反してその蹄は沈み込まずに水面(みなも)を踏みしめている。首を巡らせて威厳ある姿を見せつけると、優美な仕草でゆるゆるとこちらへと歩いて来た。

 距離が縮まることでより密度を増した魔力に当てられてか、よろけたアウラを脇から支える。友の浅く上下する肩を見てエミスに助けを求めようと振り返ると、従者は遥か後ろで平伏していた。

 いかなる理由か(ただ)そうとすると、身体を魔力の奔流が貫く。

 まるで根回しなどなかったかのような一角聖獣(ユニコーン)の威圧。

 思わず近寄って来た聖獣を見上げると、両の目によって正面から見据えられていた。


「娘、我は乙女の清い魔力を好む。そなたら二人のうち、我に用向きのあるのはどちらか」


 魔力の波動で発せられたのは良く通る男の声。

 それは、エミスを気に掛けること自体を咎めるかのごとき強い語気だった。


「わ、私ですっ! 出し抜けに参上した無礼をお許しください! どうか願いを聞き入れて頂きたく……!」

「いいだろう」

「例えこの身に代えても成し遂げねば……、はえっ?」

「どうした、聞いてやろうと言ったのだ」


 承諾とともに、それまでかかっていた圧が嘘のように霧散する。

 見積もりの甘さを見せつけられ、(すく)みあがっていたアウラは、まさかアッサリ聞き入れられるとは思っていなかったのだろう。

 素っ頓狂な声を上げながら混乱している様を、一角聖獣(ユニコーン)は面白がっている様だった。


「でっ、では……!」

「まぁ待て。話は聞くが叶えてやる事までは保証できん。遠乗りがてら、道々聞くとしよう。乗れ」


 威圧したかと思えば背に乗る事を要求したりと、距離感を掴めずに困り顔を向けてくるアウラに頷き返す。安心させるために抱擁して軽く背を叩いてやると、腕の中で少女騎士は力を抜いて身を預けてくれた。

 頭上から聞こえてくる荒い鼻息を極力無視してアウラの手甲に覆われた手をそえる。それを支えに、重量を感じさせない身軽さで少女騎士は一角聖獣(ユニコーン)の背に飛び乗った。


「いってらっしゃい、アウラ。聖獣様、友人をよろしくお願いします」

「ほ、ふおぉぉぉぉぉ……、はっ!? う、うむ、任せるがよい。そなたはここでしばし待て」


 友の願いが聞き届けられるよう、(うやうや)しく一礼をする。

 念願の人間の乙女を背にのせてだらしない顔をしていた白馬は、我に返ると慌てて顔を引き締めた。

 取り繕った一角聖獣(ユニコーン)と、それに恐る恐る跨るアウラに思わずため息が漏れる。

 目の前の威容。まるで絵画に描かれる英雄のように、日に照らされた騎兵が壮麗な佇まいを見せていた。


「い、いってきますね」

「ええ、ごゆっくり」


 やや緊張の面持ちのアウラが、聖獣の背に揺られながら沖へと遠ざかっていく。

 湖は対岸の木々が見える程度の広さである。

 一角聖獣(ユニコーン)の歩みがその中ほどに及ぶのにはそう時間はかからず、その姿は現れた時と同じく唐突に湖上にて掻き消えたのだった。



 それから数分、アウラたちが引き返してこない事を確認すると、エミスを伴って大急ぎでその場を離れる。一角聖獣(ユニコーン)の領域の境まで戻ると、そこにはメール他数名のエルフたちが控えていた。


「まずはご苦労様でございます、ユイ様」

「うん、メールこそありがとう」


 メール労いに礼を返す。

 企てはユイがしたものの、お膳立ての大部分は任せたのだからむしろ労うのはユイの方ではあったが。


「引き合わせるのは上手く行ったとはいえ、少なくとも帰りも送り届けないといけないからまだまだ気は抜けない。それに獣殿がどう判断を下すかも不安材料だからね」

 

 事前の根回しのおかげで一角聖獣(ユニコーン)がアウラに対して洗いざらい暴露するという事はまずないだろう。しかし、最終目標がアウラの妹の快癒である以上、まだ折り返し地点にすぎない。


「然り。ですが聖獣殿がエミスを見咎めたときは肝が冷えましたぞ。――そなた、いつの間に男など作ったのだ? そもそも男嫌いではなかったのか。どれ、長たる私に相手を教えるがいい。一族の血縁は知っておかねばならぬからな」


 一角聖獣(ユニコーン)が想定外の威圧で凄んだのはやはりそういう理由があったようだ。

 ゴブリンの集落がユイの眷属に下るまで、エミスが(つがい)を持つことを忌避して変人を装っていたという武勇伝は、今や『桜の要塞(スリジエ・フォール)』において周知である。そのエミスが一角聖獣(ユニコーン)に疎まれたのは、エルフの誰しもが驚愕にして然るべき事なのだ。

 他人の色事には気恥ずかしさしかないユイですら、今回ばかりは興味が勝った。メールの付き人のエルフたちもしきりに頷いている。


「あっははは……。さすがに聖獣様は誤魔化せませんでしたね~。えーと、ノーコメントは……、あっ、はい。だめですよね」

「エミスよ、なにもニンゲンたちのように婚儀などややこしい事を持ち出そうというのではない。我らは二百人の小勢ゆえにな、血を濃くしすぎては集落が立ち行かなくなる。相手を知る権利がこの私にはあるのだぞ」


 道理で諭すメールに、エミスは渋々右腕をあげた。

 その指の差す先にその場の全員の視線が集まる。


「え、ユイ様の後ろ?」

「ん、誰もいないぞ?」


 どういうことかと皆が首を傾げる。

 思わず指差す先から身をかわすと、エミスの指が追ってきた。


「……あの? エミスさん? 僕は今非常に嫌な予感がするんだけど?」


 恐ろしくて気が引けるが確かめずにはいられない。

 当の従者は赤らんだ頬に手を当てて、モジモジと身をくねらせているところをメールの杖で叩かれていた。


「あの夜は……私にとって忘れられない夜でしあでぇっ! 話します! 話しますから何度も叩かないで!」

「だれもお前の情緒など聞いていない! さっさと事実だけを述べよ、不埒者め!」


 最初は手加減して小突いていただけのメールも、しまいには魔力を乗せた殴打になっていた。普段冷静なメールが沸騰しかかっていたので流石に止める。と言うよりも、メールにしがみついていないとその先を落ち着いて聞き届けることができそうになかった。


「しょ、《触手》空間です……! 《触手》空間のお披露目をした前日の夜に、お休みのユイ様が余りにも愛らしくて……! 《浄化》も頂いたことですし、《触手》で絡まってもキレイにできるかなって。魔が差してユイ様とグチョグチョになってたら、ユイ様の尻尾が男の人のアレの形になったので我慢できなくて……!」

「――、……何それ怖い」


 そんな機能は知らない。

 この身体の似姿のゲームキャラに、そんな“設定”は存在しない。

 ただ、数ある創作にそういう設定を付与したイラストなどの作品は数多くある。前世の記憶がこの体を形作ったとしたら、無意識にそれらの設定を混同させたのかもしれない。

 おそるおそる尻尾を見つめるが、普段と変わらないハートの矢じりが付いた竜の尻尾だ。思い切って念じれば形状が変化するかもしれないが、流石にここでそれをやる勇気はない。まかり間違って本当にち〇こになってしまったら恥ずかしすぎる。

 翼も足腰も身体を支えられず、崩れ落ちる身体をメールが支えてくれた。


「お労しやユイ様……。ですがエミスへの沙汰だけは、今下して頂かねばなりません」

「わ、解ってる。獣殿次第だが、アウラを返す方策は継続。エミスは居てもらう必要がある」


 身内の揉め事を理由に、アウラへの協力を撤回できない。

 必然、何事もなかったかのようにエミスを無二の従者として連れまわす必要がある。


「ニンゲンを送り届けたらいかがいたしますか?」

「幸いにも樹海へ食い込んだ開拓村はアウラが一角聖獣(ユニコーン)に会うための橋頭保だった。僕が魔王だとバレたわけではない。もし魔王の誕生が知られていたのならアウラと別の命令系統の人間が村にいたはずだからね。アウラは教国の聖騎士だ。できうる限り付き合いを続けて情報を集めたい」


 卒倒しそうな意識を奮い立たせどうにか判断を下す。

 身を預けているメールは頷きながらも苦い顔を止めなかった。


「御意向は承りました。ですが、エミスに咎無しとはまいりませぬ」

「それも、解っている。……エミス。あの朝に交わした約束に、君の純潔は含まれてなかった。心情的には黒だが約定の上ではグレーだ。よって、一度だけ必ず僕の命令を聞くことを裁定とする。たとえ僕が、君に命を捨てさせても、君にそれを拒否する権利はない」

「謹んで承服いたします」


 厳命にエミスが応えることで周囲のエルフからの反発はなかった。

 この沙汰は別にエミスを死なせたいわけではない。

 そもそも眷属たちは、必要とあれば魔王のために笑って命を差し出してしまう。今まで自由に振る舞わせていたエルフたちの中で、初めて命の所有権を明言されたことは、性行為に対する強い否定の意思を示すことになるだろう。

 エミスの好みは特殊で変人だが、他のエルフたちも同様に機転の良さやユイへの執着は変わらない。罰として見える形を示しておかねば、いつ何時襲われるやもしれないのだ。


「そろそろ切り上げよう。アウラより早く戻らなくては」

「お加減は大丈夫ですか?」


 心配そうに窺ってくるメールへ疲れた笑みを返す。


「不自然じゃないように繕っておかないとね。エミス、水辺で膝枕を頼む。少し、寝る」

「はいっ!」


 いま一番重要なのはアウラに他のエルフの存在をにおわせないことだ。

 第二に、心労から少しでも頭を休めたかった。そのせいでエミスへの忌避感は麻痺している。まさか、樹海に潜む他のエルフたちの監視のもと不逞(ふてい)に走ることなどはあるまい。

 メールから離れ、(みず)(べり)へ向かってふらふらと飛ぶ。途中で力尽き、背負って運ぶようエミスへ命じた。案の定横抱きに担ぎ上げたが、もはや咎める気力もなかった。

 水辺の草地の見える、樹木の切れ目の木陰に入る。

 膝枕をしてもらいながら、木洩れ日を逆光にエミスを見上げた。

 慈しみに満ちた表情に気負った色はない。

 処分に厳正に向き合うことで示しが付くと理解しているのだ。

 身内の揉め事には一定の決着はついた。あとはアウラが戻るまでに少しでも気力を取り戻しておく必要がある。


「アウラが戻ってきたら起こして」

「はい、お休みなさいませ」


 太陽が高くなって昼の風が吹き始めている。

 目を閉じても、ゆらゆらと揺れる木洩れ日が瞼の裏にちらついた。

 目元に陽が当たらないよう、エミスが手をかざしてくれる。

 ようやく煩わしくなくなった視界、葉擦れの音を子守唄に、ユイの意識は沈んでいった。



 覚醒を促す魔力の揺らぎ。

 目覚めに倦怠はなく、思考は澄んでいて、状況を素早く把握することができた。


「おはようございます。もう戻られるかと思います」


 湖面を見れば確かに一角聖獣(ユニコーン)が現れる兆候が見て取れる。

 背に回された手を助けに身を起こす。

 エミスが素早く退き平伏するのを確認すると、慌てて身だしなみを整えて水縁まで飛んだ。

 そう待たずに、湖の中心にアウラを乗せた一角聖獣(ユニコーン)が姿を現した。

 最初の時ほどの誇示するような魔力は見られなかったものの、やはり別領域から現れるほどともなると噴き出る魔力は暴風のようだ。

 一角聖獣(ユニコーン)はゆっくりとこちらへ歩いてくると、ユイの前で膝を折った。

 珍しい事もあるものだと思っていると、アウラの上体がぐらりと揺れて慌ててささえた。


「アウラ! 聖獣様、これはいったい!?」

「済まぬが降ろしてやってくれ。私では妹御を治せぬと告げたのだ」


 頼みの綱であった一角聖獣(ユニコーン)に断られて気が動転してしまったということか。

 脱力したアウラを抱えようとして、魔力による軽量化が解かれた鎧にバランスを崩した。勢いあまって草地に転がり、どうにか頭を打たないように身体を支える。

 縋る様な目で見つめてくるアウラは、迷子の幼子のように震えていた。

 細い腰と小さな背中に腕を回して強く抱きしめる。力なく垂れ下がった腕を翼で覆って、うつむいた顔に頬を寄せる。


「落ち着くまでそうしてやるがいい。……手が空いたらここに来い、話がある。加えてひとつ、アウラ嬢に問いただしてはならぬ。娘、それは我が意に反すると思え」


 あえてユイに忠告するのは、むしろ周囲で聞き耳をたてているエルフたちへと釘を刺したのだろう。眷属たちが会話を拾えない領域内での密談に誘う以上、事は彼らの暴走を招きかねない内容のはずだ。

 首肯(しゅこう)を返すと、もう一度だけアウラを一瞥(いちべつ)して一角聖獣(ユニコーン)は湖へと帰って行った。

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