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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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2話 お包みの秘密

 《操作》の助けによって、お包みから這い出すことには成功したものの、赤子の体は他には何も身に着けていなかった。

悠一は、(ほど)けて広がったお包みの布地にちょこんと座る。

 やましいことなど何もないぞ、と自身に言い聞かせ、改めて身体の様子を観察した。

 肌は全身が褐色で、四肢や下腹部、腋の下から背中へ紋様が走っている。生まれつき肌に色違いの模様があるのは何とも奇妙だ。陽の光に当ててよくよく見ても、刺青のように人為的に刻まれたものではなく、元からその部分の肌の色が薄いだけのように見える。


「角や翼が生えてるのに比べれば、驚くに値しないよな……」


 体をひねって腰から生えた翼を見る。

 形は蝙蝠の飛膜のようだが色は白い。鱗に覆われていて赤子の腕に近い太さもあり、蝙蝠というよりはドラゴンの翼のようだ。鳥の翼の可動域を想像して力を籠めると、素早く正確に動いてくれた。


「んー、強く羽ばたくには腰回りの筋肉がたりないかなぁ。……成長したら飛べるのかな」


 飛膜も面積が小さく、飛行に()える反動を確保できるか怪しいところだ。

 そのまま腰を浮かせると両足で立ち上がり、《操作》の助けを借りて布地を踏みしめる。グラグラと揺れる身体を、咄嗟に両手と両翼、尻尾でバランスを取った。

 反射的に動かした尻尾を、今度は意識して股をくぐらせる。

無くなってしまったアレのことは全力で気にしないことにして、手触りを確かめる。翼と同じ鱗の感触がして、色も白。先端はハート型の突起が、矢じりの様についていた。


「なんか悪魔の尻尾みたいな形だよなぁ……。――ん? 悪魔?」


 そういえば、この身体の種族はいったい何なのか。

 赤子とはいえ新生児ではない姿で生まれ、魔法のような何かが使えて、角や翼や尻尾を持つ人間のような種族……。


「それって悪魔じゃないか!?」


 大慌てで頭に触れてみる。側頭部から突き出た角が、途中で捻じれてその先端を頭の前方に突き出していた。


「悪魔の角だ、これっ……!?」


 女の子に生まれ変われて実はラッキー、などと浮かれていた気持ちはどこかへ吹き飛んだ。ひょっとして、せっかくやり直せた人生を化け物の姿で孤独に過ごさなくてはならないかもしれない。

 とにかく全身の姿を確認したい。

 しかし、もちろん鏡などというものはない。

 はたと気づいて草むらの奥を見る。

 目覚めた場所は、森に囲まれた草地で、その中心部は湖畔になっていた。

 草をかき分け、よたよたと水際まで歩く。

 水面を覗き込んで、わずかに反射する像を確認し、安堵した。


「――よかった、人間の顔、だ……」


 いかにも悪魔ですと、主張する角はある。

 けれど、黒曜のそれが、(つや)めく銀髪から突き出して左右対称の曲線を描く様は、幾何学的な美しさもあって、忌避感を覚えることはなかった。

 続いて顔の作りを確認する。

 瞳は金。長いまつ毛や眉毛も、髪と同じ銀。

 顔も肌と同じ褐色で、首から頬にかけて例の紋様が走っている。そういった奇抜さはあったが、角などのパーツも含めて間違いなく整った顔立ちで、将来誰をも魅了する美女になるであろうことが察せられた。

 ――だが、悠一の表情に喜びは、ない。


「この顔、いや、この身体はまさか……」


 見覚えがあった。

 いや、異形の赤子の姿など知らない。

 知っているのは赤子の特徴だ。

 白い翼と尾、銀毛に金眼、褐色の肌に意味ありげな紋様、そして黒曜の角を持つ美女……。悠一の好みの全てが凝縮された、その姿は記憶に新しい。


「――僕が()いた()を赤ん坊にしたら、きっとこんな姿だ……」


 その容姿が、悪魔に似ているのは当然だ。

前世で悠一が(えが)いたその美少女は、主人公を誘惑し(たぶら)かす淫魔なのだから。



 ――――自失していたのはそう長い時間ではない。

 何故こんな姿にと、詮無(せんな)い思考が巡るのは仕方のないことだ。しかし、そもそも転生した時点でありえない話なのだから、それに(まつ)わるあれこれの因果関係など(わか)るはずもない。

 両手で軽く頬を叩いて思考の袋小路から抜け出す。

 最初に定めた方針を変える必要はない。生き延びるためにできることを続けるのだ。

 頬を叩けば痛い。陽の光は暖かい。そよ風は涼しい。これは夢などではない。

 間違いなく、悠一は新しい身体を得て、この世界に生まれ落ちたのだ。

 自棄になって身を危険にさらすのが、今一番避けるべきこと。


「――考えようによっては、見知った身体に生まれたのは幸運だったのかもしれない」


 鬱屈(うっくつ)した考えを振り払うように自身に言い聞かせる。

 前世でこの身体をデザインしたのは悠一だ。

 当然、キャラクターの設定も知っている。

 ならば同じ姿をしたこの身体も、同じ機能を有しているのではないか。

 その知識をもとに、空気を受けるには心もとない翼を広げ、飛膜へ意識を集中させる。

 《操作》を使うときの様に下腹が熱を帯びることはない。これは何の助けにも()らない、この身体本来の機能だ。

 意識が翼を満たし飛膜から抜けていく感覚がする。思考に作用して力をなすもの――おそらく魔力と名付けるべき何かが空中に溶け込み根を張る。この翼は、風をはらんで揚力を得るためのものではなく、魔力で(くう)(つか)(てのひら)なのだ。

 ――さらに、翼に満ちた魔力は飽和して、身体中をも巡る。

 肌と空気の境があいまいになって、全身が空間と同位の存在となってゆく。


「身体が軽い……」


 例えるなら、窒息しない水の中。

 (ひれ)で水を掻いて進む魚のように、悠一は空中へと泳ぎ出した。



 ふわりと浮く。

 すぐ先も見通せなかった草むらより高く、空を漂う。

 重力から解き放たれてはいるものの、質量に変化はなく、身体は宙に留まり、吹き飛ばされることもない。それでも少しずつ押し流されていくので、翼に通わせた魔力を反発させてその場に留まり続ける。

 慣れてきたら、そのまま空中で姿勢の上下を入れ替えるのもお手の物だ。

 翼を支点にくるりと回るのは、逆上がりで鉄棒を腰だめに固定するのと同じ要領。

 回転の中心が体の重心と重なるように、翼の付け根は腰についている。

 血流も重力から解放され、頭に血が上ることはない。

 まだ各部を意識的に制御しなくてはならないが、しだいにコツが掴めてくる。


「思った、より、飛べる……!」


 巣立つ雛鳥(ひなどり)は、きっとこのような感覚だ。

 あるいは卵から(かえ)ったばかりの稚魚の気持ちか。

 茂る草の絨毯(じゅうたん)が、風を受けて眼下でそよぐ。

 湖面に立つ(さざなみ)が朝日を(はじ)いて網目のように輝いている――。

 指ひとつ動かせなかった目覚めの時とは違い、今は不慣れだが空も飛べる。

 先ほどまで、こちらを覗き込むように(そび)え立っていた世界は、空から(なが)めれば素知らぬとばかりに顔を背けていた。



 幼い身体は、体力と同じように魔力もそう多くはないようだ。

 ひとしきり飛び方を確認していると羽の反発力が弱くなる。身体が重さを思い出したかのように、ゆっくりと地面が迫ってきた。

 最小限の制動で、お包みの上に不時着して息を整える。


「……寒い」


 そよ風の中とは言え、一糸纏わず空中遊泳をしたのだから当然だ。

 隙あらば脱がなくては生きてゆけない種族なのだから、淫魔の身体がこの程度で体調を崩すことはない。

 それでも寒さは感じるし、心は男である以上、気恥ずかしさが勝ってしまう。


(お包みだけじゃあ心もとない。《服を作る魔法》が欲しい)


 求めることがそれを呼び出す引き金であると、予想はついている。

 飛行中、下腹に熱を感じた。

 それはつまり魔法もどきによって《操作》のような技能(スキル)を手に入れられるという合図に違いない。


《裁縫を取得しますか?》


 《操作》の時と同様、頭の中へと感情の無い声が問うてくる。

 肯定を意識すると下腹の熱が増大した。

 おそらく《裁縫》を取得できたのだろうが、声は事後報告をしないので、望んだ技能(スキル)を得たかどうかは実際に使用して確認するしかない。

 微妙に不便さに釈然としないものを感じながらも、《裁縫》を使って服が欲しいと念じてみる。

 一拍を置いて、敷布にしていたお包みが光りだした。


「ん、何だこれ? 服が出てくるんじゃないのか?」


 《操作》のマーカーと同じ光がお包みを満たし、意志を持ったかのように(ひるがえ)る。

 光が収まると赤子の体を覆った布は消え、悠一はお包みの色と同じ白い衣服を(まと)っていた。

 そして、……足元に残ったのは、使われずに余った()()。――共に生まれ落ちた()()の無残な切れ端だった。


「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 材料が必要などとは聞いてはいない。

 無から服を作り出せる技能(スキル)なのだと勝手に思っていた。

 だが、言葉をよく考えれば、裁縫とは布を「()って()う」ことだ。

 よって《裁縫》もあくまで布を変化させる技能(スキル)だったのだ。


「やっ……、ちゃった……」


 (のど)からは引き()れた声しか出てこない。

 呼吸が苦しい。

 拳を握り、草むらに突っ伏する。

 生まれ落ちたときにすでに与えられていた一枚の布は、他人の気配を感じさせてくれていた。

 この世界に自分以外の誰かがいると、暗に孤独を遠ざけていてくれていたのだ。

 孤独とは先行きに対する不確実性の自覚である。

 つまり、()()()()()()()()()()()と恐怖すること。


「そ、そうだ何か技能(スキル)をとれば……」


 下腹に力を籠めるも、熱を感じない。

 修復の技能(スキル)を取得するための魔法もどきは使用できそうにない。

 バクバクと心臓が脈打つ音が鼓膜に響く。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 今は魔法もどきが使えなくても、《裁縫》のように次の技能(スキル)が取得できるようになる可能性はある。それを使ってお包みを修復すればいいのだ。心の()り所を取り戻し、サバイバルを続ける……。まだ、何も()んでいない。

 それに魔法もどきを使えるようになる条件は予想できている。

 《裁縫》を取得できるようになったタイミングは空中遊泳の途中だった。


「おそらく、魔力を使うことで魔法もどきのチャージができるんだ」


 赤子の身体ではそう長く飛ぶことはできず、次の技能(スキル)取得はすぐにとは行かないだろう。下手をすると修復技能(スキル)のその次は、日没までに取れないかもしれない。


「――いや、取る」


 本当は、次は食料を得る技能(スキル)を手に入れたほうがいいことはわかっている。

 けれど、思い通りに結果を出せず状況に流されることに慣れると、きっといざという時に踏ん張れなくなる。

 思い通りにお包みを修復する。その次に食料も手に入れる。

 ()()()()()()()と決意することが生存を掴み取る力となる。

 いま悠一を生かすことができるのは、悠一自身だけだ。

 立ち上がり、翼に魔力を籠める。

 先ほどより飛ぶことに戸惑いはない。それに、お包みを材料にした服が飛行時の冷えを和らげてくれるだろう。魔法もどきのチャージはより早くなるはずだ。

 飛行準備の最終段階、全身に魔力を飽和させて身体を重力から解き放つ――、その時に異変は起きた。

 全身を巡った魔力が、握ったままだったお包みの切れ端に流れ込む。


「えっ、ええぇ……?」


 呆然と掌を見つめる悠一の目の前で――、その欠損をかき消すように、お包みは純白の布地を復元させた。

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