21話 旅立ち
朝から従者の不埒に辟易しても、それで日々の務めは無くならない。
今日の業を成すために、腹は満たさねばならなかった。
「ふむ、うまいな」
「今日も美味しいよエミス」
メール邸に寝泊まりするのは食卓に着いている三人。この中でユイだけがまともに料理ができないが、さりとて、現在色欲一門の第二位であるメールが目下のエミスのために労を執れば、それは褒美になってしまう。
必然、集落のルールで家庭ごとに食卓を囲むことになっている朝食の準備が、エミスの仕事となるのは明白であった。
その仕事の出来を、ユイとメールはともに褒める。
食にありつけることは生きていくうえで最低限の条件だ。
故に、それを用意してくれたエミスに対しては礼を尽くさねばならない。それが先ほどまでの不埒を咎められていた者だとしても。
「お粗末様です~。たくさんあるので、い~っぱい召し上がってくださいね」
ユイの謝意を受けたエミスに、殺場で震える家畜のようななりは陰をひそめていた。
ただただ底抜けに明るく、自身の食事とユイへの給仕を繰り返す。
今朝の食卓に並んだのは芋、果実、そして圧倒的比率の肉だ。
エルフが草食であるなどという思い込みは、ユイが前世の知識を元に勝手に抱いた幻想だった。そも彼らが眷属となる前はゴブリンで、ゴブリンは雑食性である。一度食いぱぐれれば次に食えるのは何時かなどわからない。食える物は何でも食って命をつなぐ、そんな種族が眷属となっても見目麗しくなっただけで、基本彼らの食性は何ら変わらないのだ。
その上でなぜ肉なのか。
答えは単純である。樹海で最もエネルギー効率のよい食料だからだ。
ユイとしては前世の魂をもつ者として炊いた穀物、特に米を食したかった。しかし、それらを生育させるにはある程度まとまった平地が必要で、そのためには開墾をしなくてはならない。当然多くの樹木を伐採することになり、その分だけ樹海の他種族に対するエルフの種族的優位性を減じなくてはならなかった。
意外かもしれないが、樹木を利用した戦闘が真骨頂のエルフとて、この無辺樹海で絶対強者というわけではない。集落が『桜の要塞』と名付けられたのは伊達でも酔狂でもなく、生活水準の上がったエルフたちを狙う魔物たちを排除するための、文字通りの要塞だからだ。
つまるところ、防衛設備としての樹木を減じてまで主のわがままが通せるほど、現時点での色欲一門は樹海の強者足りえていない。エルフたちが力を蓄え、『桜の要塞』がその版図を広げるまでは、農耕や牧畜に代わる食料調達手段が必要となる。必然、狩猟に比重が置かれ、食卓に供される肉の比率が増大しているのだった。
「あぁん、ダメですよユイ様。お芋は貴重なんですから。芋を一つ食べたら肉はその三倍お願いします~。昔は鎧猪が食べられる日が来るなんて信じられませんでしたね」
鍋奉行ならぬ給仕奉行と化したエミスが、容赦なく肉をユイの皿に盛りつける。
前世における現代人の感覚としては、せめて主食と副食の比率を合わせたいところであるが、いかに腹が膨れるかが重要な配下たちに、その理屈は通用しなかった。とはいえ、肉ばかりの偏食もこの世界における生物の体組成を考えれば、あながち間違ってはいない。
いま目の前に山と盛られている肉には、魔力が含まれているのだ。
おそらくこの世界の生物にとって、物質的な栄養素以外に他の生物から得られる魔力も身体を構築する重要な要素だと思われる。ユイがここ半年、魔物の肉ばかりを食べても体調を崩さないことから推測するに、肉ごと身体に入った魔力は適切な吸収が成されているのだろう。
強い魔力を持つ魔物ほど他の魔物を捕食でき、より強い力を得ることができる。
魔力もこの世界では重要な栄養素の一つであり、それを無意識的に察しているが故、エミスは偏食であっても魔力が摂取できる肉を主に進めているのではないか。
事実、鎧猪肉は味覚的なおいしさ以上に、食べることで充足感を得ることができる。
感覚こそ前世の人間のものだが、ユイの身体は十全にこの世界の食物連鎖になじんでいるように感じられた。
起き抜けの騒ぎのせいで押している時間を取り戻すため、黙々と肉を胃袋に収めていく。腕をあげたエミスのおかげで、迎えの前に無事完食することができた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした~」
急いではいても、糧と賄い方への感謝は忘れない。
そのままドレッシングルームへ駆け込むと、エミスに手伝わせて身支度にかかる。初期のころは恥ずかしさもあったのだが、髪一つ纏められない主人へ、主だった面子が総出でNOを突きつけ、主導権はエミスに移譲された。悔しくも優秀な侍女の手際に加えてユイのものぐさな性格が勝り、任せた方が時間も労力もかからないとの結論に至った。
「ユイ様、ムシウめが参りましたぞ」
「わかった。すぐ終わるからそのまま待つように言ってくれ」
戸の向こうのメールへ応答すると、気配が遠ざかる。
ユイの恰好は、午前の眷属化に出向くための、少しだけ厚手のワンピースである。
エミスはもっと腕を振るって飾り立てたがるが、これからするのは森の中の飛行であるし、最後に待っているのは眷属どもによってもみくちゃにされる運命だ。
最低限見苦しくないだけの身なりと必要十分の丈夫な服で装い、席をたつ。
「ありがとう。行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ。湯あみの準備をしてお待ちしていますね~」
戸の外で待っていたメールとエミスを引き連れて玄関から出ると、庭先にムシウが立っていた。ガタイのいい長身のイケメンが朝日を浴びながら直立している様は実に映えるが、本性を知っているだけに違和感も甚だしい。
「おはようございます、我が君。長よ、ユイ様をお預かりします」
「うむ、無事にお帰り頂くのだ。それではユイ様、行ってらっしゃいませ」
毎朝一句違わず繰り返される側近たちの挨拶に身を引き締める。
ムシウの横へと移動し、見送る二人へと振り返った。
「行ってきます。また後で。行こう、ムシウ」
「は、みな中央の広場にて待ちわびております」
「無事のお帰りをお待ちしていますぞ」
「ユイ様、また後で~」
軽い会釈をするメールと、跳び上がりながら手を振るエミス。
二人の全く違う挨拶に送り出されて、またユイの新しい一日が始まるのだ。
◇◆◇
そして季節は春へと廻った。
ユイがこの世界で再び生を受けてから一年。
始まりの日から一人として漏らさずゴブリンたちを眷属に加え、その後も冬越しの支度に精を出し、冬の巣籠りの間に旅立ちの準備を整えた。
「行ってらっしゃいませ、ユイ様!」
「行ってらっしゃいませぇ!」
「何かあったらすぐお戻りください!」
「エミスぅ、魔王サマをしっかりお守りしろ!」
「わ゛か゛き゛み゛ぃ゛ぃ゛っ!! お゛ぉおん、お゛んお゛ん!」
この日、ついに迎えたユイの門出に、エルフたちは一時の別れを惜しむ。
広場の中心で満開となった桜の下、眷属たちは一人ずつ主の手を握って言葉をかけていた。
「ユイ様、最早多くを語りませぬ。されど、御身の無事こそが我ら全ての存続に繋がる。これだけは努々(ゆめゆめ)お忘れなきように。エミス、――わかっているな?」
最後に順番となったメールは主従二人に念を押した。
ユイの旅立ちは『桜の要塞』にとって必須のものだ。
エルフのみで構成された集落は、貧富の格差もなく、外敵も恐れるものではない。
それは限りなく完成された楽園で、なればこそいずれ必ず停滞し、衰退の道をたどるだろう。それをもたらすのは、色欲一門がもつ自己確立の脆弱性だ。
仮にエルフのみで集団が成立するならば、エルフの数を減らしても集団は成立するだろう。二百人もいらない。百人でも集団を維持できるかもしれない。だが十人ではどう考えても無理だ。
――ではその境目は?
このままユイが『桜の要塞』に引きこもれば、生産性が縮小し、必ずどこかで集団の維持限界人数を割ってしまう。それを防ぐためにはエルフ以外の価値観を持った者達との交流が不可欠だ。
交易を結び、生存に必要な負担を相互に負う。
例えそれに差別や迫害を招くリスクがあったとしても、必ず滅亡が訪れる安寧は受け入れがたい。そのために、長く続く人間社会でユイが見聞を広めることは色欲一門の総意で認められたのだった。
「はい、必ず。ユイ様をお守りします」
いつものはしゃいだ気配はなりを潜め、エミスが応える。
エルフの中でただ一人、ユイの護衛に当てられたその使命が身に染みているのだ。
「行ってくるよ。必ず戻るから、その時は労ってくれ」
別れをいつまでも後回しにはできない。
鼓舞と哀情を半々に背中へ受け、ユイは桜の広場から一歩を踏み出した。
後を全てのエルフたちが連れ立ってゆく。
集落の外縁でメールや子供たちを初めとした戦士でない者は引き止められ、ユイが見えなくなっても見送りを続けた。
『桜の要塞』からしばらく離れ、付いてくるものは次第に減り、ムシウやアルク他数名となる。
「この支流から先は、ユイ様は初めてですな」
案内人として最後までついてきたアパレイが、樹木に覆われた川の下流を指して振り返る。エルフたちの活動域の最外縁、そこから先へ立ち入ったのは人間社会へ探りを入れた、数名のエルフたちだけだ。
水が流れて行く先を眺めても、まだ樹海は続く。
川はこの先で本流に交わり、人間界の中心の内海に注ぐのだ。
「アパレイ、ここまでありがとう。他のみんなも。……せっかくだから記念撮影していこうか」
桜の広場で全員が写るよう一枚を撮ったが、ここまでついてきた者たちの後ろ髪を断ち切るために、格別の手土産を持たせるのがいいだろう。
案の定全員が乗り気になり、ユイが向かう川の下流を背に一同が並んだ。
「ではこの不肖アパレイが撮らせていただきますぞ」
「ユイ様の一路平安を祈って!」
「必ずのご帰還を願って!」
アパレイの《写真》は遠方から複数人を捉える自撮りが可能だ。
精鋭のエルフたちは口々にユイの旅立ちを言祝ぎながら、《写真》に身を晒していく。それでも行儀よく整列していたのは最初だけで、後は胴上げだとか、固まって団子になったポーズだとか、無礼講に近い撮影会となってしまった。
「いやー、アタシらだけこんなにユイ様との《写真》を撮ったら皆に恨まれちまうなー」
「帰りの駄賃で鎧猪でも狩っていくか?」
「最近狩りすぎて数が減ってるからな。あまりいい顔はされんだろう」
仲間たちへ役得の埋め合わせを気に掛けるエルフたちだが、なかなか代案が浮かばい。ユイはお供ゆえに思案の輪から外れていたエミスへ持ちかける。
「エミス、君の《写真》を開帳してはどうだろうか」
「ほう、おめぇ頻繁に魔王サマと二人きりだろうしな。どんなの隠してんだ?」
「えぇー! なんでバラしちゃうんですか。あれは私の宝物なのに~!」
案の定不満が帰って来たが、そもそもエミスの秘蔵は狸寝入りの盗撮写真だ。
エミスのために撮らせたものでもないし、この期に及んでは『桜の要塞』の皆で共有させておいた方が有意義だ。画像の保存数の多さからユイの《写真》も近距離からの自撮りができる成長を見せている。二人旅の間にはエミスの保持する画像はユイとのツーショットであふれるだろう。
「僕の寝顔を撮る機会なんてこれから幾らでもあるだろうに」
「ねが……!」
「……お!?」
「あっ、そうですね~! アパレイさん、はいこれ」
膨れていたかと思いきや、けろっと機嫌が直る変わり身の早さは、さすがの変人エミスである。にじり寄っていたエルフたちなど気にも留めず、あっさりアパレイに《写真》を手渡した。
「こぉっ、これはぁっ!?」
「アパレイ、渋るな。早くよこせ」
「アタシにも早く――、なぁっ!?」
「エミスてめぇよくもこんなの独り占めしてやがったなぁ!?」
「これからしばらく生ユイ様を独り占めで~す。悔しかったらお供できるよう原初技能を成長させてくださ~い」
エミスの原初技能を知るのは本人を除いてユイとメールだけだ。
秘密になっている事は公然なので、有用ではあるが《写真》以上に弊害があるという認識はなされている。半年前にアパレイの《写真》が有用な原初技能と認められたように、ある程度希望が適えられて選択できる原初技能は研鑽こそ称賛され、不公平だなどと嫉む者など居はしない。
「んぐぐぐ~、覚えてろよおめぇ! 俺の《弓術》でお役にたってみせるからな!」
言い負かされた兄に続いて、他のエルフたちも口々に原初技能の成長を誓う。
正直なところ、弓兵として最大戦力のアルクは十分に『桜の要塞』の役にたっているのだが、さらなる研鑽を奮起しているところになぜ水が差せようか。
「皆、おいで」
最後の抱擁を、見送りと交わす。
全員ちゃっかりどこかしら触っていくのだが、それはもう咎めない。
次に会えるのは半年後か、一年後か。
残る者たちを一周抱きしめると、離れて待っていたエミスの横に並んだ。
「じゃあ、行ってくる。みんな、健勝でね」
「ユイ様こそお身体を労ってください!」
「お帰りをお待ちしております!」
「エミス! おめぇも無事に帰って来んだぞ!」
別れを交わせば、一歩を踏み出す他はない。
気を奮い立たせ、川を下流へと歩いてゆく。
少したって振り返れば、まだ彼らはそこに居る。
付いて来ようと思えば、何処までもついて来られてしまう。
だから彼らはそこから動かないのだ。
しばらく歩き、川のうねりで彼らが見えなくなっても、彼らはまだそこに居るだろう。
居るのが分かっているから前に進める。
隣を歩くエミスと共に。
ユイの心の旅路は、また新たな時節を迎えるのだ。