20話 収納 ……もどき
喧騒は遠くあって追ってくる者はなく、すぐさまメールの屋敷にたどり着いた。
《触手》によって乱暴に扉が開かれたのを寝たふりをして見なかったことにする。すぐさま寝床に連れていかれ横たえられた。本来ならメール邸に運び込まれたら寝たふりはやめてもよかったのだがエミスが何も言わずに運んでくれるのでついついそれに甘えてしまった。
ここまで来ると、どこまでやってくれるのかという意地悪な興味も浮かぶ。
本当は寝る前に歯を磨かなくてはいけないが、耳元で呼ばわる声に生返事で返していると、諦めたのかエミスの体温がさっと離れる。眠気も混じっていて、まわらない頭で勝利に酔っていたのがあだとなり、微少の魔力を浴びせられるまで反応ができなかった。
「――っ!? まさか、撮った!?」
「ぐへへぇ、相変わらず魔力には敏感ですね~。ユイ様の愛らしい寝顔ゲットです」
《写真》の技能は防犯用の効果音は鳴らないが、撮影のために魔力を照射する。
頭に掛かっていた靄が一気に消し飛ぶ。
勢いよく身を起こすと、たった今撮影したばかりの画像を出しながら、従者が勝ち誇ったように見下ろしていた。
「この《写真》をバラ撒かれたくなかったら……わかりますね~?」
「ぐっ、何が望みだ……!?」
無断撮影だが不用意に突っぱねるわけにはいかない。
今エミスの不興を買っては、未だに外から聞こえる着ぐるみ談義に突撃して、アパレイに《写真》を渡しかねない。
「ん~。まずちゃんと歯を磨いて頂いて~、今晩私と一緒に寝て頂きますね。あ、当然、尻尾をずうっとニギニギさせてもらいますよ~」
「む、ぅ~っ……。そしたら消してくれるのか?」
眉間にしわを寄せながらも、従者の顔色を窺うしかない。
エミスは勝利を確信して、にんまりと笑みを浮かべた。
「怒ったお顔もかわいらしいですね。明後日の朝にちゃんと消して差し上げますよ~」
「……ん? 明後日? 明日じゃなくて?」
条件が今宵の同衾ならば、なぜもう一晩猶予があるのだろうか。
「はいっ。私たちを行かせるために、メールさまが足止めしてくれたじゃないですか。だから明日の晩はメール様と一緒に寝て頂きますよ~」
ここにきて、ようやく別れ際のウィンクの意味を知った。
あの時にユイが寝たふりをしている間に、何らかの方法で意思疎通をしたのだろう。そして、もし寝顔《写真》の拡散に甘んじたら、それでは逆にメールの期待を裏切ってしまう。普段から欲望に忠実な従者の楽しみなど正直どうでもいいが、魔王に触れたい眷属の欲求の解消の機会を、普段から慎ましく探っているメールは無下にしたくない。
あくまでエミスの取り分と抱き合わせなのは業腹だが。
「……わかった」
「ん~? メール様には優やさしいんですね。私とずいぶん扱いが違いません?」
ジト目の従者は拗ねている様子だがこれはふりだとわかっている。
しかし当人は自分が添い寝できれば満足なのか、ころっと態度を豹変させた。
手のひらをワキワキさせながら近づいてくると、洗面所まで連行された。
「さぁ、それじゃあまずは歯をキレイにしましょうね。その後は暑苦しくくっついて汗をまぜまぜしましょうね~」
「もう知らん。好きにしろ……」
付き合うのも億劫になって匙を投げる。
いくらエミスが欲望に忠実でも、寝ている間に言いつけを破るほど眷属として落ちぶれてはいまい。ユイの眠りは深いので、一度寝てしまえばその後何が起きようと意識の外だ。このたくらみに加担したメールへの当てつけも含めて、構築するための魔力の膨大さから先送りにしていた《浄化》を取得してエミスに投げつける。
一瞬何の技能を付与されたのか理解が及ばず、従者はわずかに固まった後大慌てで問い詰めてきた。
「ゆゆゆユイ様これ……! 取っちゃったんですか~!?」
「朝起きて汚れてたら怒るからな」
最早軽くあしらう事がベストな対応だ。
歯を磨いたら寝室へとんぼ返りし、さっさと寝床に潜り込む。
先ほどまで欲望丸出しでノリノリだった従者は慌てふためいて後を追ってきた。
「ま、待ってくさい。私、またユイ様とお風呂入れますよね? お役御免じゃないですよね~!?」
「君が、側付きなのは、ずっと……変わらない。……寝る」
寝て逃げるのが吉と、目を閉じてすぐさま意識を手放す。
すとんと眠りに落ちていく過程で呟いた、これからもエミスを側に置くという宣言に、遠ざかる意識は抱き着いてきた肢体の柔らかさを感じた。
カチリと回路が切り替わる様に意識が戻る。
この世界に生まれ落ちたときから《操作》を使っているせいで機械的に動けてしまう傾向にあったが、特に一段階身体の成長を経てからはそれが顕著になっていた。
睡眠に関してもそれは同じで、起きようと思えば一瞬で覚醒するし寝ぼけた状態で意識レベルをとどめようと思えばそれすらも《操作》できる。
「あー……、微睡む風情がないのはやっぱり味気ないよな……」
この半年、魔王ユイの一日は同じ日程を繰り返している。
二百人のゴブリンを日に一人、順に眷属としていくために、この特性は実に便利であった。
現在、眷属化の進捗はおよそ八割だ。あとひと月もすれば集落の者たちは全員眷属にできる。その頃には秋も深まり、冬支度のための『桜の要塞』完成に専念できるだろう。
「仕事、毎日仕事……。今日も明日も……」
挿し込む朝日を醒めた目で見やりながら寝返りを打つ。
如何に意識のオンオフを瞬時にできると言っても、公人としての責任が付きまとうユイが唯一のプライベート空間ともいえる寝床から起き上がるためには、仕事に行きたくない勤め人の憂鬱を振り払わねばならなかった。
そういえば、と身体を検める。
昨夜の記憶が正しければ、確かにエミスと同衾したはずだが、別段痛みなど残っていない。欲望に忠実な従者も、あくまでユイの許容範囲のスキンシップに留めたようだ。
それどころか昨日の入浴以降、僅かにかいた汗のベタつきすら無くなっていて、体臭や湿り気などの汚れも感じ取れなかった。
「これはまさか《浄化》の効果なのか?」
この世界における技能は、正確に質量保存に則るわけではないが、それでも完全に無視することはできない。物質の消失、出現、変換が伴う技能には取得段階で大きな魔力が必要なのだ。
「いやー、さすが保有魔力の三割を吹っ飛ばすだけあるよな!」
「あるよな! ……ではありません、ユイ様!」
新品と違わぬ質感の寝具に顔を埋めてニヤけていたところに、意識の外から雷を落とされて飛び上がる。いつの間に寝室へと入って来たのか、寝床の横には笑顔のまま怒気を浮かべたメールがいた。
「あ、いやね? 落ち着こう、メール?」
「これは異な事を。落ち着いておりますとも? 我らはユイ様の眷属で、ユイ様は我らの主人でございます。技能などユイ様の意向こそ優先されるべきでしょう。ですが不用意に高魔力の技能など取得なされて! ご出立までに《収納》を取得するのではありませんでしたかな!?」
配下の良心ともいうべきメールの叱責に目が泳ぐ。
現在『桜の要塞』は着々とインフラが整備されていて、ユイよりもよほど頭の良いエルフたちの活躍により、低コストの技能を応用することで高コストの技能に違わぬパフォーマンスを発揮している。
有無を言わさず汚れを消滅させる《浄化》は確かに便利な技能だが、エルフたちがユイの記憶を再現した浴場や浄化槽のおかげで、この集落にとって必須の技能ではない。それよりも、前世で創作に携わる者として憧れの、虚空に物を《収納》できる技能は、配下たちのあらゆる仕事、および旅立つユイにとって是非とも取っておきたいものだった。
「いや、でもね? 旅先でお風呂なんてほぼ入れないだろうし……」
「そ、れ、は、旅立ちの時点で《収納》が取れないことが確定してからでよろしかったのでは!?」
ユイとしてもこの言い訳が詭弁であることは解っている。旅先で風呂が入りたければドラム缶風呂を《収納》で持ち運べばよいのだから。
これまで魔王核に貯めた魔力の総量の半分以上が残っているが、それでも《収納》は取得できていない。問題はどこまで貯めれば取得できるのかという事が全く分からない事だ。なにせ《収納》は質量保存の法則に真正面から喧嘩を売る技能だ。もしかしたら原初技能でしか修得できない可能性もある。
「それにしても、現存の三割を消費したとなると、残りの者どもの眷属化では元の水準に戻せませんな」
魔王核に集められた魔力の内訳は、その八割がエルフ化における森の樹木からのものだ。その初回ボーナスも、あとひと月せずに打ち止めとなる。
残りの二割はほぼエルフたちが樹木から吸収した魔力を受け取ったものだ。百数十人からの魔力の譲渡と比べて、ユイ自身が生産した魔力などわずかにすぎない。
故に、眷属さえいれば時間をかければ魔力は溜まっていく。その受け渡し手段こそがエルフたちのスキンシップなのだが、ユイの小さな体では自分が見上げるほどの体格の者たちに追い回されることに恐怖心を覚えてしまう。
「ユイ様は者どもに触れられるのはお嫌いですかな?」
「そんなことは無い。これだけは真実だ。……ただ、熱狂的過ぎるというか、びっくりするんだ」
魔王と眷属は共生関係に当たり、蔑ろにされることは無いとは確信している。
ただ、自分よりも優れた種族に対する臆病な気持ちはどうしても捨てられない。
衝動的に技能の無断取得へ走るのも、彼らへの劣等感の表れかもしれなかった。
「ともあれ、たとえ《浄化》の取得が無かったとしても、者どもの眷属化がすべて終わった段階で《収納》が取得できた可能性は高くなかったでしょう。集落の運営方針としては、《収納》は望外であり、取得の前提がないままの計画を主としております。ユイ様が気に病む必要はございませぬ」
「未熟者でごめん……」
聡いメールはユイの不安を見抜いているに違いない。
それでも見捨てず臣下の態度を続けるのは、ユイの魔王としての特性が有用であるのは勿論、ただ一人の上位種として長年自らに劣るゴブリンたちを生きながらえさせた矜持なのかもしれない。
項垂れた姿勢のまま浮遊し、メールの胸元に納まる。
王の孤独を理解する腹心は主人の小さな体を抱きとめ、銀の髪を梳いてくれた。
主従の艶やかな抱擁は、朝食へと呼びに来たエミスが無遠慮に扉を開けるまで続いた。
朝、『桜の要塞』の食堂は開いているが、これを利用するのは見張りの当直明けの者など少ない。その多くは保管設備の関係上材料こそ食堂で受け取るが、各々住まいで自炊し家族単位での食卓を囲む。
「いたいです……」
「まったく、お前ら兄妹は入室に際して断りを入れぬな!」
木製の食卓に朝食が盛りつけられた皿を並べながら、メールはお説教を続けていた。
聞き分けの良い主の不出来を諫め、慰める風に抱き寄せて魔力供与の触れ合いを目論むのがメールの手管だと最近気づいたが、如何せん前振りが長すぎてよく邪魔される。そのたびに闖入者へ苦言を呈するが、今回のエミスに対しては以前の兄へと違って頭への制裁が手刀だったのは幾分有情だ。
エミス自身も欲望に忠実ではあるが、叱られれば素直に聞き入れる従順さは持ち合わせている。メールの回りくどさは理解していないが、不躾を指摘されれば素直に頭を下げるのだった。
「それはそうとエミスよ、技能が有用であっても、それに頼り切ってはならぬ」
「えぇ~、なんでですか。すごい便利なのに」
エミスはお気に入りのおもちゃを取り上げられた子供の様に拗ねるが、メールが言わんとすることは解っている。単に楽ができそうなところに釘をさされて不満なだけだ。
そもそも『桜の要塞』では技能の扱いを、あくまで当人の実力を補助する物と位置付けている。
身近な例で言えば、エルフたちの得物である弓も《弓術》の技能で補助されているが、技能なしの戦闘技術を磨かねば《弓術》が必要な状況に身を置くことすら困難だ。故にアルクが纏めるエルフの戦士たちも技能なしの訓練の比率の方が多かったりする。
そして究極的に言えば、すべてを技能に頼った場合、技術も文化も進歩せず、万が一魔王が斃れれば技能を失った元眷属のニンゲンたちは絶滅必死である。
「……わかりましたよ~。私だってユイ様のためにお風呂入れるの好きですから」
「うむ、励め。ユイ様の旅路においては伴侶のそなたが荷物を負担せねばならぬのだからな」
元々見込みが薄かった《収納》の取得は、《浄化》によってほぼ立ち消えた。
もちろんユイも私物程度は自ら背負うつもりだが、共用の道具などは体格に優れる従者に任せることになるだろう。
「あ~、それなんですが。ちょっと見てもらいたいものが……」
目を泳がせて言い淀むエミスは近くの縁側から庭先に出た。
いくつか配置されている庭石のひとつに近づくと、エミスは手を伸ばしてそっと触れる。《触手》を使う気配とともに、エミスの腰丈よりもある庭石は輪郭をあやふやにして消え失せた。
「消えた!?」
「なんと。ユイ様からお聞きした《収納》の効果そのものだ。エミス、これはどういうことか」
混乱するユイとメールの目の前で、エミスは再び庭石を出現させて室内に戻ってくる。
「これ、《触手》の応用なんですよ。《触手》が普段どこにいるのか技能の中をごそごそしてたら~、潜んでいる場所に通じてしまったというか……」
「え、つまりエミスの収納庫の内部は触手だらけ?」
頷いたエミスの熱の籠った視線に、ユイの背筋は粟立った。
《しょくしゅべやだよやったね》
(ぜっっったい入らないからな)
心底嬉しそうな心の乙女を黙らせる。
主人の内面で漫才が繰り広げられていることなど知らない従者たちは、《触手》の有用性についての議論を進めていた。
「ふーむ。先ほど取り出した庭石に状態の悪化は見受けられないが、もしや収納に適した領域があるのか?」
「はい。硬い殻で覆われた倉庫のような空洞です。そこなら、この部屋ひとつ分の荷物を汚さずに入れられますよ」
例え荷物を預けて快適に旅ができたとしても、粘液でドロドロになった食料など食べたくはない。石室と同列の空間を作って保存状態にも配慮したとあれば、エミスにしては望外の配慮だ。
「よくやったぞエミス!」
「えへへ、道中の荷物は全て私におまかせくださいっ!」
褒められたのがよほど嬉しいのか、久々に手放しに喜ぶエミスが見られた。
普段から無神経さが目立つエミスだが、やはり他の眷属と変わらずユイの事を第一に気に掛けてくれているのだ。
一時はその対処に頭を抱えたピンク技能の《触手》も、適切な相手に付与できたのではないか。これならば出立まであと半年の間に、収納領域を拡張したり《触手》に冷蔵・冷凍能力を持たせたりもできるだろう。もしかしたら集落に残していく眷属の原初技能も、成長のさせ方によっては《収納》もどきとして振る舞わせることが可能かもしれない。
「うむ、見事である。エミスよ、そなたを侮っていた。して、いつの間に研鑽を積んだのだ? そなたの原初技能は公にはしておらぬ。内部領域の把握だけでこれほどの成長が得られるのか、後学のために教えてくれ」
「はい! 昨日ユイ様とぐちょぐちょに絡まったら、いっぱい成長しました!」
「オイィィィィィィッ!!」
《やったね!》
欲にまみれた配下と相棒の喜悦がシンクロする。
だがユイにとってはそれどころではない。
起き抜けに従者の配慮を褒めたのがバカみたいだ。いやむしろ、《浄化》を手に入れたがために《触手》プレイを強行したのではあるまいか。
思わず下腹を強く抑える。
そこにある魔王核は平常において物理的に存在しているわけではない。
魔力的に重ね合わせの状態にあるだけで、腹の上から感触を得られるわけではないのだ。無論、確かめたいのはそこにある臓器のほうだ。《浄化》に治癒効果はないから、違和感がなければキズモノにはなっていないはずである。
「ユイ様、こやつの首、刎ねましょうか」
「ひぃ! ま、待ってください! 事前の取り決めは違えてないです! ユイ様の■は破ってません!」
記憶をたどり、メールが課した制約を思い起こせば確かにレッドラインは純潔を奪ったかどうかだ。
《ざんねんだけど、まだしょじょだね……》
(幸いにも、だよこの場合は!)
重ね合わせられているサチにはそれがわかるのか、トーンが低い。
皮肉にも技能を生み出した元凶によって身の貞潔は証明された。
とはいえ、仮に極刑に処さずとも、ユイの意向を無視した以上、何らかの罰は与えねばならない。情状酌量の余地があるとすれば、今回の強行が無ければ《触手》が成長せず、《収納》もどきが得られなかったことだ。
「こやつ……、側付きから外すべきでは?」
「いや、図らずではあるが《触手》が有用な技能になってしまった以上それは出来ない。だが、無罪放免にもできない。そうだな……、無期限で《触手》を《収納》もどきの用途以外で使うことを禁ずる」
言葉には出さないが、手ぶらで旅に出られる有難みは手放せない。
重要なのは再犯の逃げ道を塞いでおくことだ。
「うぅ、手がいっぱいあって便利だったのに……」
「あくまで温情を掛けられたことを、努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ。言うまでもないが、ユイ様は魔力をご覧になる。誤魔化しは効かぬゆえ次はないと心得よ」
既に笑ってすらいないメールの叱責に、エミスは喉から絞り出すような悲鳴をあげる。欲望の従者は身震いのままガクガクと首を縦に振ることしかできなかった。




