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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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19話 写真

 エルフの集落『桜の要塞(スリジエ・フォール)』は、想定される戦時でもなければ、その生活サイクルは多くの住人にとって朝に起きて夜に寝るものだ。ユイとの交流のために、夕食こそただ食べる以上に時間をとっているが、夜更かしは推奨されていない。

 一日の終わりの楽しみとして最後はボディタッチでもみくちゃにされ、力尽きたところをエミスに回収されて、ようやくユイの一日が終わる。

 上機嫌な叫び声が聞こえる浴場を横目に寝所であるメールの屋敷へと戻るのだが、この時ばかりはユイを抱えるエミスも、(はや)ってその手際を粗雑にすることはない。共に家路の途にあるメールの手前、猫を被って楚々とその後に続く。

 夜のメール邸は男子禁制だ。ムシウも夕食後入浴組なので、明日の午前の遠出の約束の後に、食堂の前で就寝の挨拶をして別れた。その(きわ)のひと仕事を終えたようなイケメンどもの笑顔は、一度グーで殴ってみたいと心に秘するほどだ。いくらユイが魔王器(おくるみ)と《裁縫》で着衣にコストがかからないからと、毎夜とも犯罪事後のような姿で主を寝所に送り出すのは、そろそろ倫理上規制すべきかもしれない。


「おぉ、今宵は月がきれいだの」


 前を歩いていたメールの感嘆に、欲にまみれた忠義者どもへの怒りで沈んでいた思考から引き戻される。

 気づけば月明かりが普段よりも強い。夜風に金糸をなびかせながら宵闇に空を見上げる、ハイエルフの視線を逆に辿れば、森の木々より高く昇った大小二つの満月が広場を明るく照らしていた。

 『無辺樹海』と人間たちが呼ぶこの森は、基本的に草木が途切れることがない。人為的に平地を作らなくては“月に照らされる広い地面”を見ることができないのだ。

 二つの満月の下、石畳で空を見上げる妙齢の美女。

 森に精通し、種族の長たる法衣を纏う最も信頼する眷属。

 彼女の立つ場所は『桜の要塞(スリジエ・フォール)』の中心、その名の元となったユイの記憶由来の“ソメイヨシノ”が植わる広場だ。


「――あぁ、とてもきれいだ」


 今、目の前にあるのは、拙いながらもユイの君主としての結実だ。

 この世界に生まれ落ちてからの選択のうち、一つでも違えばこの光景は見られなかったに違いない。森の中の石畳も、夜分の家路も、ユイに向けられる微笑みも――。

 かけがえのない情景。そのひとコマを、技能(スキル)を使って内に切り取る。


「む、いきなり《写真》はこそばゆいですぞ」

「記録するのは風景だけとはいかないよ。僕らの営みもそれ以上に価値がある」


 取り込んだ画像を《写真》で平面の像に浮かび上がらせる。

 そこに写った己の自然な笑みに、急の被写体にされたメールもユイへの苦言を中断させる。


「むぅ。この技能(スキル)、なぜアパレイとユイ様にしか扱えないのか……」


 己の統率する集落の営みを、最も記録に残したいのはほかならぬメールである。

 なればこそ、ユイがふいに切り取る日常の風景を、メールが同様に成したいと思うのは必然だ。しかし、この《写真》という技能(スキル)、取得した瞬間こそ大いに盛り上がりはしたものの、致命的な欠点が浮き彫りになり、一瞬でゴミ技能(スキル)の烙印を押されてしまった。

 それは一度に保存できる画像が一つだけだったのだ。

 数日かけてこの技能(スキル)を鍛えた者も、ついに二つ目の画像の保存はかなわなかった。現在のところ、《写真》で眷属化を果たした地理教師ことアパレイと、ユイだけが複数の画像の保存が可能となっている。

 まずアパレイは《写真》が原初技能(プリミティブ)なのだから実用化が適ったのも頷ける。しかしユイの場合、魔王が取得した技能(スキル)を無条件で使えるとはいえ、それはあくまで一般的な技能(スキル)として振る舞うはずだ。にもかかわらず、他の眷属に付与した場合との違い、ユイは画像の複数保存が可能となっている。

 その謎の解明に皆で頭をひねった結果、技能(スキル)機能の中枢である魔王核があるから、という仮説が立てられた。魔王核は、膨大な魔力で情報の処理と保存を行っているのだから、《写真》と連動して複数の画像保存が適ったのではないか。さしあたって否定の要素が見つからない説であるが、魔王の腹を裂いて確認するわけにもいかず真相の究明は棚上げとなった。

 ところが話はそれに収まらず、知的好奇心か《写真》を欲したの配下たちの行為で大問題が生じた。彼らは一つの画像しか保存できないのだから、その一つの枠を何に使うかが重要になる。

最も選ばれた使い道は、恐ろしいことに“証拠写真”だった。

 誰々が取っておいたオヤツを食いやがっただの、誰々が仕事をさぼって木の上で寝ていただの、日々メールとユイに陳情の嵐が押し寄せることとなり恐怖の監視社会を回避するために、任務で必要なアパレイ以外は一括して《写真》の技能(スキル)を凍結させることとなったのだ。


「旅に出る前に、少しでもみんなの活動を記録するよ」

「ユイ様自身もアパレイに命じて皆との記録を残していって下され」


 確かに、いくらユイが《写真》を集めようと、アルバムを兼任している本人が旅立ってしまっては意味がない。集落に残るアパレイにこそ、ユイの姿を多く記録させねばならなかった。


「う……。わ、わかったよ」

「ぅ~ん? なんですかな、今の間は。(わたくし)の不意を写しておきながら、ご自身の愛らしいお姿は許さないと? 我が君は暴君となり果ててしまったか、嘆かわしい……! 我らに主人不在の気慰みも許されぬなら、我ら皆ユイ様の外遊のお供(つかまつ)る他ありませんなぁ!」


 大仰に身振りを加えながら諫めてくるこの仕草で、メールが本気で怒っていないのは解っている。かと言って口答えしようものなら、さらに理詰めで叩き伏せてくるのは容易に想像がついた。怜悧(れいり)な師の前では聞き分けのいい生徒になるしかないのだった。


「わ、わかったから! アパレイに一杯《写真》を取ってもらうから――!」

「うむ、それが良いでしょう! ……おや、他に何かお困りごとでも?」


 返事はキレよく行ったものの、宙を泳いだ視線を見咎められた。

 今更アパレイからの撮影に応じることはやぶさかではない。しかし、なにやらアパレイばかりを優遇しているようで、他の配下から不平が出ないか心配だったのだ。


「いや……、アパレイの仕事ばかり増えて大変じゃないかなって……? げっ」


 眷属ならばその程度のことは苦になりませぬ――。そう即答される心構えだったところに、返された沈黙を不審がって目線を上げれば、メールは悪戯っぽい幼顔にいっぱいの喜悦を浮かべていた。

 思わず伸ばした腕が空を切り、身を(ひるがえ)したメールから淡い緑の魔力があふれて周囲の植物の葉に伝播していく。魔の視覚によって、それが技能(スキル)ではなくハイエルフ生来の伝達魔法であることはすぐに分かった。


『皆の者! 撮影対象をユイ様ご自身に限り《写真》の解禁が許されたぞ!』

「ひぃえ……」


 メールの大音声(だいおんじょう)が響いた直後、暗闇の中、集落の全方位からエルフたちの魔力が視線となって突き刺さる。遅れて集落全体が震撼し、無数の足音が押し寄せてきた。


『うおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!』


 鬨の声と地鳴りと言って差し支えない轟音とともに、暗闇から我先にとエルフたちが現れた。押っ取り刀と言うにふさわしく、みな食器や見張りのスコープなどを手にしている。中でも入浴中だった者たちは男も女もみな裸のまま身体から水滴を滴らせていた。


「嬉しいのはわかるけどさぁ! 皆《写真》の技能(スキル)もってるじゃん! 僕が凍結解除するだけじゃん!?」


 配下たちの早合点を力説するも、その眼力は揺るがない。

 ――解っているなら早くしろ。

 ギラギラした視線が言外にそう言っている。

 圧倒されそうになりながらも《写真》の凍結を一括で解除すると、配下たちは我先と技能(スキル)を起動する。


「待った。明日ちゃんと時間とるからさ? 今この格好を撮るの止めよう?」


 大食道の宴(たけなわ)において、もみくちゃにされたあられもない姿が保存されていく。あまりの暴挙を押しとどめようとするも、誰一人として聞く耳を持たない。


「明日しっかりした撮影をさせていただくまでの間に合わせがほしいです」

「今晩寝る前のアレに使うんです!」

「アタシとしてはこのお姿で永久保存ですかね。フヒヒ……」

「我が君、もっとお腹の裂け目を広げてください!」


 肖像権などないに等しく、無遠慮なフォーカスが肌を刺す。羞恥のあまりに身悶えると、それもまた力強く拳を握った配下たちが激写していく。翼で体を隠そうとすれば、柔和な笑みを浮かべたエルフの娘たちが両側から挟み込んできてそれを許さない。相手が女性ならば、身を絡める程度ではユイが振りほどくことはないと皆知っているのだ。もはや逃げられず仏頂面をしようものなら、両脇の娘たちの細い指が頬をなぞり、無理やり笑みを作らされる。

 果てはアパレイまでが表れて、高度に成長した技能(スキル)の保存数に物を言わせ、あらゆる角度からユイを写しまくる。


「おぉ、同志諸君。そうやっかむ必要はないぞ。我が《写真》の技能(スキル)は順調に成長している。その結果! なんと! 私が撮った画像を諸君らの《写真》に転送することができるようになったのだ!」

「え、何それ怖い……」

「しかもだ! 私からの転送なら一枠限りの制限を無視できるっ!!」

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』


 今日一番の歓声は、全員の声が入り混じってもはやだれの声なのかすらわからない。

 それほど意気投合できるほどの結束を配下が見せてくれるのは君主として鼻が高い。……それがか弱い魔王の半裸に興奮しているのでなければだが。

 とはいえ、蛮族の如くにじり寄ってくる眷属たちへいいように身を任せ、ここを堕落の園にするわけにはいかない。もはや包囲を破れないのならば、それに耐えうる鎧をまとうしかなかった。


「来たれ魔王器!」

「ああっ、そんな殺生な!」

「着飾るなんて明日でいいじゃないですか!」


 ユイの掛け声とともにメール邸の一角に安置してあるお包みの予備が手の内に現れる。

 魔王は離れた場所にある魔王器を瞬時に呼び寄せられることを最近になって知った。

 これが元からなのか、メールの眷属化の際に成長して後なのかはわからない。消費する魔力も魔王器(おくるみ)を修復するときと同じ微々たるものなので、ユイが生きている限り紛失(ロスト)はまぬがれそうだ。

 歓声から一転、ブーイングに変わった環視の中で、即座に《裁縫》を使い装束を作り上げる。ボロボロになったそれまでのローブを裁断し、下着の損傷を補修。その間、配下たちの視線を遮るよう、お包みを帯状に裁断して体に巻き付ける。魔力による変化を受けた布地は輝いて周囲の目をくらませていた。

 配下どもはよくユイの衣服を破くので、《裁縫》を繰り返すうちにその成長度合いはニチアサの変身ばりの早着替えを体現するに至っていた。


「光が!?」

「なんでくるくる回る必要があるんだ!?」

「神々しい……」


 もったい付けたポージングで局所ごとに構築されていく、魔法で戦う少女のコスチュームによって、斬新を好む配下たちは棒立ちだ。気を逸らせたかと思いきや、職業意識に富むアパレイだけは、ひたすら《写真》を撮り続けている。

 完璧に前世の記憶をまるパクリした衣装の、最後のパーツと共に全身が光り、その全容が露わとなった!


「変身が、終わる!」

「……え?」

「……うん?」


 キメのポーズで新コスチュームを誇示する。

 それは、白を基調とした服だ。

 ユイの翼と尾と同色。体から突き出たこれらの器官を服の外に出し、それ以外の褐色の肌をすべて覆う白い生地。ゆったりと余裕を持たせた身体の可動を邪魔しないサイズは安眠を約束するだろう。厚手のフェルトで背びれを模したパーツや、フードにはデフォルメされた目玉と牙が付いている。

 そう、これぞさっさと寝たいユイが前世の記憶を元に生みだした怪獣寝間着だったのだ。


「か、かわいい……!」

「ドラゴンでしょうか? 似合っています!」

「いや、最後に光るまで纏っていた際どいドレスはなんだったんですか!?」

「んなこといいだろ、かわいいんだから!」

「アパレイさん、早く写してこっちにください!」


 半裸でなくなって羞恥心も収まれば、あとはサービス精神が勝ってくる。

 アパレイにある程度撮らせ、切り上げれば遠からず寝床につけるはずだ。

 事実、先ほどまでのアヤシイ雰囲気は吹き飛び、衣服で生き物を模すと言う着想に議論が移っている。相変わらず興味から来る包囲は解けないが、眠気を装ってエミスの腕の中に納まれば、察したメールが手を叩いて解散を命じた。

 何分、『桜の要塞(スリジエ・フォール)』は未だ完成を見ない。

 ここにいる多くは、明日も作業が割り振られている。眷属となってできることが増えた以上、存続のためにできる備えは全てしなくてはならないのだ。


「もう、ユイ様、お休みは帰ってからにしましょうね」


 では早く連れていけと、腕の中で唸って見せれば有能な侍女は着ぐるみ談義に背を向けて、さっさと主を連れ出した。相変わらず下手くそな運搬であるが、ここから逃げられるなら御の字だ。最後に、視界の端に捕らえたメールが軽いウィンクをしていたが、それが何の意味かはすぐには解らなかった。

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