16話 触手
だが、これだけは明かさねばなるまい。
――そも、なぜこの可憐なエルフが《触手》などというドぎつい技能を取得……、いや、この技能で眷属化を果たしたのか。
それは、ユイが集落に落ち着いてからしばらくした頃の話だ。
ふたつの技能が、いつの間にかユイの技能一覧に存在していた事に端を発する。
《わたしがとりました》
その日の朝、新築されたメールの屋敷でユイが目覚めたとき、心の乙女が誇らしげにそんなことを言ってきた。
この頃には既に眷属化を繰り返していて、魔王核には莫大な魔力が貯蓄されていた。よほど高度な技能でもない限り、取得のために魔力残量を気にする必要などなかった。
そこへ、サチの独断による技能取得が宣言されたのだ。
しかも取った技能が《触手》と《堕落》。
字面から用途が限定されることがまるわかりの、イカニモな技能に頭を抱えた。
そして、これをメールたちにどう説明しろというのか。
《がまんできなかった》
頭がピンクな乙女はそのように弁解したが、これで笑って済ませられるのはユイだけだ。
ユイが同じように弁明しては、せっかく清純派の淫魔として築いてきた信頼が地に落ちる。待っているのは我慢を止めた眷属たちによる淫欲の園だ。
――それだけは阻止せねばなるまい。
皆に黙っていることも頭をよぎったが、眷属化の際にユイの所持する技能は一覧として相手に開示される。そこに未知の技能があったことがメールの耳に入れば呼び出しはまぬがれない。なにせ、新しい技能はメールを含めた集落の主だった者たちと協議して取得すると、ユイ自身の意向で取り決めたのだから。
何とか弁解できるようにするために、まずはサチから技能の詳細を申告させた。
曰く――。
《えっとね、《しょくしゅ》は、ゆーいちのきおくをさんこうにしてね――》
それは、前世の悠一が仕事で描いていた、女の子にイケナイことをする触手を、魔力で出現させる技能なのだという。
《いっぱいあったほうが、きもちいいもんね。とっても、べんきょうになった。ちしきちーとっていうんでしょ。すごいね》
無量の敬意をにじませたその声色に思わず泣きたくなった。
ユイにとってサチは妹のようなものだ。
そんな娘に性的趣向が筒抜けでは、ユイの精神上よろしくない。その上、サチとの意思疎通が不可分であるせいで、英才教育を止められない。
唯一の救いは、心の乙女の思考がピンクなことだ。
おかげで嫌悪から口をきいてもらえなくなったり、逆に怒鳴り散らされたりすることもなく、それだけは安堵せざるを得なかった。
それに、サチが技能を取得できたということは、ユイと同様に魔王核の機能を行使できるということだ。魔王とその魔核が足を引っ張りあっていては、ユイが回避せんとする破滅を招いてしまうだろう。
結局、緊急の状況を除き、技能の取得には互いの了解を得ることを約束させた。
(――それで、聞くのが怖いけど《堕落》はどんな技能なの)
《ふっふっふ、《だらく》はね、ゆーいちのきおくをさんこうに――》
――思わず、顔を覆う。
そこからは妹に自分の性癖をプレゼンのされるような地獄を味わった。
サチの得意げな説明を要約すると、《堕落》の効果とは、魔力を相手の身体に注ぐことによって体内に魔核を形成させる――、つまり魔物に堕とす技能であるらしい。
《えっちなちからで、そんざいをかえられちゃうのって、いやらしいよね。あくおちっていうの? とっても、べんきょうになった。すごいね》
顔も知らない内なる乙女が、目を輝かせている姿を幻視した。
妹のような存在に性癖を褒められて、男児として顔向けできないのに顔を付き合わせるしかないこの状況に、思わず泣きたくなってしまった。
サチからの説明を聞き終わって、ユイは頭を抱えた。
この二種類の技能はどう取り繕おうとユイが公言してきたスタンスに反するものだ。今後の備えとして、メールと示し合わせ上で取得するならまだいい。だが、独断で取得に至ったこと自体はどうあがいても謝罪案件だ。
「まずは謝るしかないかぁ。その上で有効活用法を理由付けして納得してもらうしかないな」
まず、《堕落》は名前の響きこそイカガワシイが、使いようによっては非常に有用な技能だ。
サチの説明によれば、魔核の形成に至るために必要な魔力が莫大な上に、受ける側の抵抗は容易らしい。つまり、攻撃や妨害の手段としては非常にコスパが悪いということだ。だが、仮に殺害するほどではないが野放しが危険な相手を捕縛した場合にはうってつけの技能ではなかろうか。魔物堕ちから眷属化までの手順を受け入れさせることを助命の条件とすれば、首輪をつけることができる。さらに言えば、エルフたちのように眷属化によってユイに対する介意が芽生えれば、離反の可能性も低くなる。
無論そんな事態に巻き込まれたくはないが、手札を増やす意味では説得力を持たせられるだろう。
問題は、《触手》の方だ。
一人で洗髪するための技能が欲しかったなどと言えなくもないが、効果が明らかにアッチ用では言い訳として苦しい。
バ○ブを買っておきながら、これで髪を洗いますなどと言われて納得する母親はいない。
――いっそ前世の記憶に引っ張られただけで、肉バ○ブ技能になったことは不本意だったと弁解するべきか。
そう考えはしたものの、統率者として《翻訳》を精力的に使い、成長させているメールに隠し事はできないと思ったほうがいい。
結局、《触手》に関しては平謝りして、今後この技能をみだりに使ったりしないと約束をするしかないと結論付けた。
その後すぐ、逃げたい気持ちを必死に抑えてメールを訪ねた。
ところが、ユイの謝罪に対してメールの態度は柔和で、逆に拍子抜けした。
もちろん技能の無断取得に関しては小言を言われたが、それも早々に切り上げられる。メールにしては手ぬるいと不思議に思いはしたが、藪蛇になっては困るのでそれ以上の追及はできなかった。
最悪、サチのことを話さなくてはならないかと危惧していたが、その必要もなく安堵した。
今のところ、魔王核に潜む心の乙女の存在は、誰にも話していない。
ユイとしか会話のできないサチという存在を証明できないからだ。メールに実証実験の知恵を借りれば理解が深まるかもしれないが、明確にすることは逆にユイ自身の人格が揺らぐような不安を覚える。今のところ問題はないのだから、曖昧なままにして安心を得たい気持ちが勝ってしまったのだ。
ふたつの技能の報告を終え、どうにか収拾がついたと胸をなでおろす。
だが、説教後の晴れやかな心地で顔をあげた直後に目の前にあったのは、怖い笑みを浮かべたメールの顔だった。
「《堕落》はその建前で良いでしょう。で、す、が、《触手》に関してはすぐに手を打たなくてはなりませんな!」
叱責はこれからだったのかと息をのむ。
諫言が耳に痛いが、眷属化を行う際に求められた技能を断るならば、その理由付を後回しにできないのも事実だ。
興味を持たれた際に断る理由を説明できなくては求心力が低下する。
しかしどう頭をひねっても、エロい目的で取得した技能の理由付けなど思いつかない。
「いっそ、先手を打ってしかるべき相手に取らせるべきかもしれませんな」
煮詰まってしまった主の思考にメールが助け船を出してくれた。
一瞬耳を疑うが、確かに一理ある提案だと思い直す。取得者が一人出てしまうデメリットを除けば、確かに眷属化のたびに言い訳をして断る必要がなくなるのだ。
集落での眷属化を行っているうちに発覚したことだが、一度眷属化の中核にした技能は原初技能と同様に、相手に提示される一覧から一旦除外されるのだ。同じ技能を眷属化で使いたい場合、ユイが一覧に戻す必要がある。
つまり、一人を《触手》で眷属化し、あとは一覧に表示させなければ、それ以降は《触手》の取得をせがまれることはないというわけだ。
「つまり、メールには《触手》を渡しせる者に目星がついているの?」
「は。――ムシウよ、そこにいるか!」
メールが部屋の出入口に向かって声を張り上げると、イケナイ技能の報告のために席を外されていたムシウが入室してくる。
「お呼びでしょうか」
「アルクに妹を連れてこさせよ。ユイ様付きの侍従とする」
音もなくドアを閉めていたムシウは、メールの指示を耳に入れた瞬間、身をひるがえしてユイたちの方へと向き直った。戸が鋭い音を立てたが、ムシウの形相はそれを咎めさせる余地を与えない。虚を突かれたこちらが押し黙った一瞬のうちに、ムシウはその場にひれ伏して訴えかけてきた。
「あんまりっ、あんまりでございますメール様! 私に我が君のお側を離れろと!?」
「我らが拝する主に対して、そなたが最も忠義深いことは疑う余地を持っておらん。だがそれと側付きとでは役目が違う。此度付けるのはユイ様のお世話係だ。男であるそなたが女主人の私室に踏み込むのは不忠と知れ」
節度を持てと窘められ、ぐうの音も出ないムシウが縋るようにこちらを見てくる。
ユイとしても、ムシウの忠誠はメールと並んで頭一つ抜けていると認識しているが、さすがに身の回りの世話を任せたくはない。
視線を振り払うように、思わず手を合わせてしまった。
がっくりと肩を落としたムシウが少し可哀想になってくるが、ここは心を鬼にせねばなるまい。
それでも、いちの臣下を無碍にはできない。項垂れるムシウの側に寄ると、その頭をそっと抱いて慰める。とたんにユイの腰に太い手が回され、下腹部への頬ずりが始まった。
「――お前ちょっと現金すぎやしないか?」
「ユイ様が甘やかすからでしょう」
胴体ががっちり固定され、どうにか首をひねって背後へ視線を送る。頼みの綱のメールは、呆れ顔でこちらを見ているだけで助けてくれる様子はない。どうやら甘やかしてはくれないようだ。
統率者は毅然たれと、ありがたい訓示をいただいた以上、この困難は自力で解決せねばなるまい。
「――ムシウ、アルクの妹を連れてきて」
下腹への頬ずりを両腕で挟み込めば、ムシウが不服そうに顔をあげてくる。
たのむよ、と念を押すことで、ようやく解放してくれた。
ユイが身を離すと、ムシウはさすがにそれ以上悪乗りすることなく、姿勢を正して一礼し部屋を辞していった。
「……メールは、ムシウはずっとあのままだと思う?」
「それはユイ様次第ですな」
少し時間を置いてから、主の下腹に執着する残念なイケメンを指して師へと問う。
その答えは主の未熟を諭す簡潔な一言だった。
「魔王の眷属となった魔物は、程度の差こそあれ主人に対しての関心を無くせません。かくいう私も、魔核を捧げる前と比べて、貴方様が尊い。命を捧げる覚悟である集落と等価であると感じてしまうほどに」
最も信頼を置く配下の告白に、すぐさま返せる言葉が見つからなかった。
相手の最も尊いとする場所に、己の存在を無理やりねじ込んでしまった当事者として何と言葉を紡げばいいのか。かける言葉はすべて無礼になってしまうだろう。
ならばと、せめて訴えかけてくる瞳を真摯に受け止める。
メールが命をかけるに足る君主となることが、その訴えに報いるただ一つの方法だ。
決意を込めて視線を向けると、師の口角が緩んだ。
「――とまあ、こんな感じに相手に決めさせるよう仕向ければ、ムシウとて自分の言葉は覆せますまい。あぁ、きちんと意思表明させて言質を取るのですぞ」
「……はい?」
呆気に取られて顔を覗き込めば、メールは茶目っ気のある笑い顔でウィンクを返してきた。普段の威厳ある表情から一転するこの悪戯っぽい笑顔への変貌が、一番幼げな相貌を浮き彫りにするのでユイは好きだ。メールもそれを分かっていてやるのでたちが悪い。
「もう……、もう! ひとが真面目に受け答えしてるのにっ! ――わぷっ」
「ほほほ、怒り方が乙女になっておりますぞ」
からかわれていたのが分かって怒ったものの、それすらも手玉に取られてしまう。
おまけに正面から抱き着きついてきて、豊満な胸で物理的に口封じまでする念の入りようだ。
若草の匂いが鼻孔に広がる。
この体勢がおそらくメールがユイに触れたがる眷属としての本能だ。
普段は威厳を保つために平静を装っているが、植え付けられたその欲求は、他のエルフたちと差はあるまい。我慢を重ねているはずなので、素直に抱き着いてきたときは、こちらも受け入れるべきだ。
「――僕、がんばるよ」
柔らかな感触の中で本心を述べると、メールの細い指がユイの銀糸を梳いてゆく。
主従の艶やかな抱擁は、ノックを忘れたアルクが無遠慮に扉を開けるまで続いた。