15話 桜の要塞
身体を駆け巡っていた魔力が収まり、内側から炙る様に発していた熱が引く。
この日もまたユイの手によって新たな眷属が誕生した。
「お疲れ様です、我が君」
ムシウが水筒からキャップに水を注ぎ、差し出してくる。
喉を通る水が火照った身体を内側から冷ましていくのを感じながら、別のエルフが手渡してきた手ぬぐいで汗をぬぐった。
「エルフの身体はどうかな?」
「はい、とんでもなく力がみなぎります! もうおっかあを見て妙な気分にならずに済みます!」
たった今眷属となった、ゴツい体格のエルフが興奮気味に答えた。
現在集落では、眷属化の順番を待つゴブリンと、既に眷属であるエルフとが混在しているような状況だ。
メールから聞いた話では、ゴブリンの寿命は上位種でも人間程度で、一般的なゴブリンはその半分もないらしい。配下に加わりたい者たちを取りこぼさないよう、眷属にするのは病人や年寄りを優先した。しかし逸る気持ちから調子に乗って、連続で眷属化を試みたところ意識を失ってしまったため、眷属化は一日一回と取り決めることになった。
そしてそれは必然的に若者や子供は後回しになってしまうということだ。
そのせいで、エルフの両親とゴブリンの子供たちが同居する形となり、美的感覚の異なる両者の間で気まずい雰囲気が漂っている。
「不便をかけた。これからもよろしく頼む。――それでは帰還しよう。ムシウ」
「は! 失礼します!」
成長したことで往の飛行は苦にならないが、帰りは安全を図って供に運んでもらうことにした。
ユイの外出にあたりムシウが同伴を断るはずがなく、運ぶ役目を逃すはずもない。日課の遠出のたびに少数の護衛が付けられ、帰りは必ずムシウがユイを運ぶ役割を負っていた。
他のエルフも主を運びたいのだという事はわかっている。だが順番での運搬を任せた結果、疲労困憊のユイは他のエルフの誰に運ばせても嘔吐することとなり、不本意ながらも巧み運べるムシウに一任する羽目になった。その手際から、もはやこの話題に触れる者はいなくなってしまったのだ。
だからこそ、伴ったエルフたちへの褒美もまた、止められるものではない。
「ユイ様、どうか本日も御髪を……!」
「お、俺もおみ足を……!」
「私だってお腹を譲りません!」
眷属化の影響で、エルフたちは必ずユイの身体の一部に触れたがる。
触れられることで、ユイは眷属から魔力を受け取ることができるのだが、どうもこれは魔王が魔力を徴収するために眷属へと課す機能的関係性のようなのだ。
今回眷属化したエルフへと視線を移せば、明らかにうずうずしているため、ユイは最早諦めて手招きをした。
「う、うーっ! ユイ様! 実はさっきから角を触りたくてウズウズしていましたーっ!」
ゴツいエルフは種族特有の俊足で先輩たちの間に割って入ると、ユイの黒曜の角をやさしく撫でてくる。
蟻に集られる虫になったような気分を味わいながら、死んだような目で木洩れ日を見上げる日々を、もう半年は繰り返していた。
ムシウに抱えられ、帰路につく。
新しく眷属としたものも含め、エルフたちは一糸乱れぬ隊列を組みながら、木々の間を縫うように走り抜けていく。そのとき、ムシウに抱えられたユイには一切震動が伝わってこない。目をつぶれば、抱えられたまま風に吹かれているようにも錯覚してしまうほどだ。
ムシウをはじめ、眷属たちは超人的な身体能力や感性を持ちながらも、それより劣る主の身体に負担をかけないよう、気遣うことを苦にしない。あれだけもみくちゃにされはするものの、エルフたちはユイを珠玉のごとく丁寧に扱ってくれる。
その能力を与えたのはユイ自身だということはわかっているが、言ってしまえばそれだけしか取り柄の無い身としては、どうしても気後れしてしまう。
「ユイ様、道の中ほどまで参りましたが、一旦休まれますか?」
「いや、揺れないからとても快適だよ。そのまま走ってほしい」
短く返事をして、ムシウは速度を落とさずに走り続ける。後に続く者たちも同様で、誰も疲れを見せていない。
エルフの脚力に物を言わせて集落から遠出をするには理由がある。
ゴブリンを眷属化し、エルフとする際に周囲の木々の魔力を上乗せするわけだが、一度眷属化で魔力を抽出した木は、その余剰魔力を回復するのに一朝一夕とはゆかないのだ。エルフの人数が増えるにつれ、集落の近くにある眷属化に適した樹木は減ってゆく。そのため、半年たった今となっては、眷属を増やすために朝出立して昼近くに戻るのが日課になってしまった。
「――我が君、戻ってまいりましたぞ」
数十分に及んだ帰路の末、ムシウの声に思索を打ち切られる。
顔をあげると、ちょうどエルフたちが集落の外縁で弓の鍛錬をしているところだった。
皆、弓を射やすいよう上半身は布のインナーに皮のプロテクターを付けている。逆に下半身は、厚手の長ズボンにミリタリーブーツを履いて身体を保護していた。
そして扱う弓は、かつてゴブリンたちが使っていた一本の枝を撓らせて弦を張ったものではない。エルフとなって二倍ほどまでに伸びた身長にあわせ、いくつもの部品から構成された、威力と精密性の高い複合弓だ。
驚くべきことに、彼らが身につけているそれらは、ユイが作り出して与えた装備ではない。
まず、ユイが発展させたい文化形態を発案し、メールがそれに必要な技術を要求し、それを受けてユイが技能を取得する。現物を生み出した上で、それを作り出す方法をエルフたち自身に模索させた結果、彼らが部品の調達から完成までの工程を確立し、集落全体に普及させたものだ。
数を増やした眷属たちは、《翻訳》によって言葉を交わし、互いの技能を併用して集落の文明レベルをゴブリンの時とは比較にならないほど向上させていた。
主の帰還に気づいたエルフらが、鍛錬を中断して喚声を送ってくる。
騒ぎが大きくなる前に、指導を行っていたエルフが小休止を言いつけてこちらへと走ってきた。
「よくお戻りなさった、魔王サマ。湯あみの準備が整ってごぜぇます。――オイ、エミス! 魔王サマをお運びしろ!」
野性味あふれる相貌で、連れていたエルフの少女に指示を出したのはかつての弓ゴブリンだ。彼もまた早い段階で眷属となり、集落の者たちへの弓術指南という役目を負っていた。
指示された少女はムシウの前に立つと、待っていたとばかりにユイの身体に手をかける。
「りょーかい、アルク兄ぃ。……あの、ムシウ兄ぃ、眉間にシワを寄せながら睨まないでほしいんだけど。ユイ様を放してよ。それとも、お風呂まで来てメール様にぶっ飛ばされる?」
「む……、わかりました」
好戦的な笑みで食って掛かる少女に、ムシウは渋々ユイの身体を明け渡す。
ムシウが駄々をこねるようであれば、ユイはたしなめるつもりでいたがその心配は無かった。
色欲一門の方針として、眷属同士の諍いには強く口を出すつもりはない。
エルフたちが互いにコミュニケーションを重ねながら自分たちの在り方を決めたほうが、より発展と調和を育むことができるという方針からだ。ユイが介入するのは、決定的な不和を防ぐ事だけでいい。
肩を落としたムシウが、元弓ゴブリンのアルクに慰められて鍛錬場の方へ去っていく。
後を引き継いだアルクの妹・エミスフェールは、兄とその親友のことなどすでに眼中になく、鼻歌交じりにユイを抱えたまま集落の中へと駆けだした。
「ユイ様~、今日もきれいに洗って差し上げますからね~」
「う、うん。でもっ、もう少し、丁寧にっ、運んで、ほしいかなっ!」
他のエルフたちと違わず、エミスもまたユイへの介意を隠そうとしない。
大好きな魔王の湯あみに際し、介添えの役目を喜んでこなす。しかし当人は嬉しさだけが先に立っていて、ユイを運ぶ手際は煩雑になりがちだった。
拡張された――、土木整備の果てに『桜の要塞』と名付けられた集落の、高低差を乗り越えるときの反動がもろにユイの身体を揺さぶる。
正直いつ振り落とされるかと心配でならないが、ムシウの運び方と比べるなど余計な指摘はしないでおく。
「すぐ着きますから少しの辛抱ですよ~。そういえば今日サヴォンさんが新しく作ったシャンプーを渡してきましてね、すっごいいい匂いだったんですよ~。楽しみにしててくださいね!」
エミスは主の心労に気づきもせず、お喋りに花を咲かせながら小躍り気味に集落を駆けていく。結局、今日もまた、エミスの運搬技量は改善されることなどなかった。
浴場の脱衣所に着くや躊躇なく裸となったエミスは、仁王立ちのままユイの肢体へ視線を這わせてくる。
「はぁ~、ユイ様のお身体、今日もまた美しいです……」
ユイが人間でいう10歳前後の姿になってから既に半年が経つ。
初めの頃こそ少女を主張する体に慣れなかったが、今は気にすることは少なくなっていた。男の思考を持っているユイの性欲は主にアレに直結していて、それがなくなった今、性的に興奮をすることはないと気づいたのだ。エミスやメールの裸を見ても、自分の身体を見られても、羞恥心は覚えるが、それで欲情することはなかった。せいぜいが、下腹の魔王核が魔力変換を以て羞恥の自覚を促してくるが、開き直った今となってはその程度どこ吹く風だ。
それにより、一段階成長した身体の特徴もつぶさに観察できる。
赤子のうちは、まだアレの有無程度しか違いはなかったが、今は見逃せない変化が身体のあちこちに現れていた。
僅かな胸のふくらみに始まり、腰まわりから下腹やヒップへの曲線、華奢な撫で肩が性別の変化を予感させる。顔の作りなどは特に顕著だ。中性的だった赤子に比べ、目元ははっきりとして金眼が映え、まつ毛も濃くなり銀糸と褐色の肌とのコントラストが人目を引き付けてやまない。潤んだ唇は形を変えるたびに弾んで、発せられる言葉とともに相手を魅了してしまう。主調を増した角に掛かって流れを変える銀髪が、どうしようもないほど少女を匂わせている。
ある時、せめて髪だけでも短くして女に見えないようにできないものかメールに相談したこともある。しかし、即座に集落全体に広められ、二百余人の全会一致で否決されてしまった。
――そんなことを考えながらゆっくりと服を脱いでいく間、エミスの視線は相変わらず主に釘付けだった。
「エミス……、ちょっと見すぎだよ」
「いーえ、さっさと脱がないユイ様が悪いんです。以前お手伝い差し上げようとしたら猛反対されたじゃないですか。侍女のお仕事を取るわるーいご主人さまは、お慰みになっていただきまーす」
反対したのは別段手伝ってもらうほどのことでもなかったのと、エミスが欲望を丸出しで《触手》の技能を使って体を撫でまわしてきたからだ。
流石に貞操の危機を感じたので、厳命を以って着替え中の接触を禁止にせざるを得なかった。
翼の皮膜でエミスの視線を遮りながら服を脱いでいくが、エミスは腰に手を当てたまま直立し、主の気休めをあざ笑う。
「うっふっふ~、いかにユイ様のご立派な翼でもお体全部は隠せませんねぇ。おみ足やお背中が丸見えですよ? それに私が大好きな尻尾を丸出しなんて誘ってるんですかぁ?」
挑発的な側女を睨み返したいのはやまやまだがそれもできない。
見た目の上ではユイより三歳ほど年上のエミスの身体は、すでに女性然とした膨らみに富んでいる。ブツを無くしたせいで性的に興奮しないとはいえ、悲しいかな男の性によって視線が特定の場所に誘導されてしまう。以前、無遠慮に見てしまったことを指摘されてから、共に入浴する女性陣の裸身をできるだけ視界に入れないよう努力しているのだ。
一時は羞恥心を無くすための努力も考えたが、それをすると心が男でなくなってしまう事に気づいて即座にやめた。
「さ、脱いだからはやく行こうよ」
「は~い、お手を拝借です。足元に気を付けてくださいね」
服を脱衣篭に入れて手を差し出せば、エミスはそれまでのおちゃらけた雰囲気とは裏腹に、丁寧な介添えをはじめた。
例え普段どんなに砕けた会話をしようと、エルフたちには、ユイが自分たちの存続にかかわる玉体であることに変わりはない。いつでも主のために命を張れるよう、常に誰かしらが側に控えているその重要性を、ユイも弁えている。
ユイの側仕えという集落すべてのエルフからの委任を、エミスは尊重しているのだ。
「それじゃあ、お願いします」
「はい。いつもの通り、御髪から綺麗にしますね」
洗い場の椅子に座り、信頼するエミスに身を任せる。
集落が発展し、入浴ができるようになってからしばらく経つ。当初、気恥ずかしさから一人での入浴を希望したユイだが、とんでもない事実が判明した。それは、身体の構造上、ユイは髪の毛を自分で洗えないということだった。張り出した角が絶妙に邪魔で、指を頭皮へと差し込みづらい。これも生前に描き上げた身体が無理やり立体化してしまったことの弊害なのかと暗澹としてしまった。
恥を忍んでそのことを告白した時の、メールの意地の悪い笑顔は忘れられない。
奉仕を嫌がる主人に恰好の口実ができたと、介添人を何人も就けようとしてきたため、慌ててエミスを指名して側仕えを一人に限定したのだ。しかし、思い返せば、それもエミスを確実にユイ付きにするための策略だったのかもしれない。
「痒いところ、ありませんか?」
「うん、丁寧にやってくれてるから気持ちいいよ」
実際エミスの手際はとてもよい。
だがそれは、《触手》の技能を使っているからだ。
触手で直接触れては来ないものの、これを使って道具を手早く取ったり放したりしている。エミス自身はそれをユイに隠しているつもりのようだが、たとえ洗髪で目を瞑っていてもユイには魔の視覚がある。ユイの背後で、エミスの影から伸びるややグロテスクな触手が、シャンプーやブラシ、シャワーヘッドを器用に持ち替えている様子が像を結んでいる。
主の役にたたんと奮闘する奉仕精神を、ユイには無碍にできない。それが以前若干のトラウマがある触手だろうと甘んじるしかないのだ。
「えへへ、ありがとうございます」
そして褒めれば本当に嬉しがるものだから、止めさせる機会などもはや完全に逸していた。両手でガッツポーズをするエミスに同調して、力を籠める触手たちの様子を、できる限り頭の中から追いやった。