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キューブ・ルクスリア  作者: 桜庭まこと
第1章 無辺樹海
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12話 大樹

 戸口をくぐると、それを目ざとく見つけたゴブリンたちが騒ぎ立て、集落中に散っていた住人たちが我先にと集まって来た。

 安全のために集落から離れるにあたり、彼らがどうふるまうのか、嫌な予感しかせず隣の知恵者に縋るような視線を送ってしまう。


「長殿……」

「もはや、何を言っても聞きますまい」


 半ば諦めていたとはいえ、長も首を横に振るだけだった。

 ゴブリンたちは、これから何が起こるのかをもちろん知らない。だが、ユイと長が連れ立っている時点で、この二人によって行われる何がしかは、自分たちの営みを劇的に変えることを理解しているのだ。


「者どもよ! これより私は色欲の君の眷属へと連ねて頂く! それに際し――」


 無理に禁止してもこっそり追ってくることは明白なので、長に願い出て条件を付けてもらう。眷属化を遠目に見てもらうことは咎めないが、定めた範囲に立ち入らないことを約束させるのだ。

 宣言がなされると、ゴブリンたちからどよめきと同時に長への礼讃がこだました。


 大勢のゴブリンを引き連れて森の中を進む。

 ムシウの眷属化の経験から、エルフへの再構築には周囲の木々から魔力の素となる何か――、仮に魔素とでも呼ぶべき物を吸収し、魔力を上乗せしていたことは分かっている。ゴブリンの上位種である長を眷属化させるならば、住居として拓いた集落ではなく、周辺で最も大きな樹木の周辺が適当だろう。


「ほどなく、ここに集落をつくろうと決めるに至った大樹があるのですよ」


 ゴブリンの眷属化の適正を語ると、長はすぐ目的の場所を決断した。

 ――隣を歩く長を見上げる。

 ようやくわかり始めたゴブリンの表情で言えば、その顔は“厳か”だった。

 気負うわけでもなく、さりとて(くつろ)ぐわけでもなく、己に課せられたものと向き合うような、真剣な表情は巡礼者のようだ。

 尊く冒しがたいものに見えるが、長の身体は間を置かずエルフへと転じてしまう。


(この顔はもうすぐ見られなくなる。……僕がそれをする)


 いまさら怖気づくことはない。

 しかし、長の心情を軽んじることもしない。

 ――覚えておくべきだ。

 見納めとなるこの顔を脳裏に焼き付ける。

 ありがたくも身を捧げてくれる者が、それを厳正な儀式と捉えてくれるのなら、主となる拙い魔王はそれを粛然と執り行う司祭となるべきだ。

 導く長の真横を歩む。

 先んじることも遅れることもあるべきではない。

 そんな物々しさを感じ取ったのか、ゴブリンたちも鳴き声をひそめていく。

 厳粛な行列となった異形の群れはそれから数十分をかけて木々の間を行進した。



「こちらでございます」


 太い木の根をくぐり抜けたところで開けた場所に出た。

 今しがたくぐった背後の樹と同様の巨木が、広い空間を囲って無数にそびえている。

 その一本一本が、初日に寝床とした湖畔の樹よりも巨大である。


「――どれ、ですか?」

「いいえ、そちらではありませんよ」


 来た道の方向を振り返って見上げる主に苦笑しながら、長はその反対、空間の奥を指さした。

 しかし、そちらには木など見当たらない。

 数秒の間、長の言わんとするところを図りかねてから、ようやく気付く。

 ――そう、木など見当たるはずがないのだ。

 それが、岩肌と錯覚するほど、巨大であるために。

 広大な空間の奥を塞ぐ岩のような隆起を伝って、上へと視線を移せば違和感に気づく。


「岩じゃ、ない?」

「――左様」


 ごつごつしたその表面を苔むした緑が覆っているが、上へ行くにしたがってコブのようなうねりは垂直の幹へと変わって高みへ伸びている。()の光を十全に受けるため広がった枝葉は、一本の大樹だけで空を覆い尽くしていた。


「これが、木!?」

「無様な落人(おちうど)が足を止めるには十分でございましょう?」


 それはあまりにも巨大だった。

 幹の太さは、ここにいる全員で手をつなぎ、一周できるかどうかも怪しいところだ。

 世界に魔力が満ち、前世とは生態の違うこの木が、どれほどの速度で成長していくのかは不明だが、それでも1万年は下るまい。

 さらに驚くのは幹に(うろ)が無いことだ。

 ユイの前世の知識では数千年も生きた木は中心部が空洞になるものも多いはずなのに、この大樹は完全に身が詰まったまま、ぼう大な年月を生き続けている。


「長殿はこの木の魔力を感じて定住を決められたのですか?」

「さすがです。お分かりになりますか」


 洞を作ることなく成長を続けられたのは、おそらく循環する魔力のおかげだ。

 魔の視覚で凝視してようやく気付くレベルだが、大樹の輪郭を薄く魔力が覆って流動している。これが腐蝕や劣化を防ぐ役割を果たしているのだろう。


「最初にここを訪れたのは、先君が身罷(みまか)られてより、流浪の途上でした。魔力が扱える故の、気鋭の若造だった私が、夢破れた失意の最中(さなか)にこの大樹を見初めたのです」


 集落のなかでも、長以外に魔力を内包している者はいなかった。

 長のような上位種がどの程度の割合で生まれてくるのかはわからないが、何千何万分の一の確率で得た才能を誇るのも当然である。だが、頼みにしていた魔力が時局に何の影響も与えなかったとき、誇りは驕りであったと気づいてしまった。

 そんな長が、この大樹によって、失っていた己の指針を見出せたのも頷ける。

 かつて森の中の新芽であったはずのこの木が巨木となり、森に魔力を循環させる礎となるまでに、長の何百何千倍と時間をかけたはずである。その結果、目前にそびえる威容となったわけだが、翻って小手先の魔力を操ることを鼻にかけた自分はどうか。

 魔王のお先棒を担いで一時の享楽に身を任せただけではないのか――。

 そうはならなかった自分の反例を見たとき、長はこの森における大樹の在り様を理解した。以来、地道に地道を重ね、己の力を奢らず、岩のように堅実にゴブリンたちを庇護してきたに違いない。


「貴方は、この大樹なのですね」

「――比べるのも烏滸(おこ)がましくあります。ですが、御身の眷属に下るために、樹木の魔力が必要であるならば、たとえ不遜ととられても、私が頂戴するのはこの()()のものしかありえません」


 これは、長が自身に課す新たな誓いだ。

 ムシウを見れば、種族がゴブリンでも眷属化しただけで、強大な力を手に入れられることは確実である。上位種の長はそれをさらに超える個体となりうるだろう。

 ――また、奢ってはならない。

 力を得ても変わらず、長であり庇護者であり統率者であり続けよと、自戒するためにユイへと過去の恥を語ってくれたのだ。

 そしてそれは、長が新たな君主にも同様に望んでいる事だと、ユイ自身が理解しなくてはならない。

 魔王として生存し、技能(スキル)によって眷属を庇護し、規範を示して集団を存続させる。

 幸運にもその手本はすぐそばにある。


「僕は、いつか貴方になりたい」

「――ふふ、光栄でございます。ですが、御身はまだ私のように根を下ろすにはお若い」


 口調は優しく、ただし諫める色を含んでいた。

 直視してくる視線に、視野の狭窄(きょうさく)を気づかされる。

 長がどんなに優れた統治者だとしても、それはあくまでゴブリンという一種族の中での話だ。ユイは魔王であるのだから、多種族の配下をまとめ上げなくてはならない。ゴブリン改め、エルフの集落の狭い常識に囚われていてはエルフに偏った判断しかできないだろう。

 それは巡り巡ってエルフと他種族との不和へとつながる。

 当然それは、長の望むべくことではないのだ。

 いつのまにか、長の庇護に甘んじていればいい道を、選ぼうとしていたことを恥じる。


「――僕は、旅をしたいのでした」

「左様でございましょう。私だけでは御身の教師役は務まりませぬ」


 集落はあくまで一時の拠点。

 独り立ちをするまで力を貯めるための猶予期間でしかない。

 集落で一通り学んだら、より力を得る方法へと移行する。

 それが、魔王として生存を課せられたユイがとらねばならない行動だ。


「それでも旅立ちまでは、貴方に学ばせていただきます」

「よしなに。――では、そのための一歩をお願い致しましょう」


 長の真摯なまなざしに首肯で答える。

 ついに、来た。

 ムシウの眷属化は、後がなく手探りかつ無我夢中で失敗を気にする余裕などなかった。

 だが長の眷属化は、互いの利益が天秤にかかっていて責任も比べ物にならない。

 緊張などしても仕方がないのはわかっているが、心臓が早鐘のように拍動して集中が定まらない。

 気を落ち着けている間、長がムシウと弓ゴブリンに指示し、他の者たちを下がらせていた。ゴブリンたちは広場を取り囲む木の陰に身を隠しながらこちらを注視している。

 ムシウが挙手で、退避が終わったことを告げてきた。

 覚悟を決め、宙へと浮かび上がる。

 長と視線の高さを合わせて滞空し、下腹の魔核へと意識を集中した。


「――それでは、始めます」

「は。よろしくお願いいたします」


 サチからの問いに応え、眷属化のプロセスを開始する。

 湧き出た魔力でパスを作り眷属へと誘った。


《おさが《いんとん》のすきるをほしがっているよ》

「ぁぁッ!」

「む、ううっ!」


 技能(スキル)を与える段になり、周囲を取り巻く魔力の熱量が跳ね上がった。

 血が沸騰するような感覚を、歯を食いしばってやりすごす。

 おそらく長も同じような状態に陥っているのだろう、棍に縋りつくように耐えていた。

 ――精神力が持つ間に、終わらせなくてはならない。

 暴れ狂う魔力が肌を波打たせるのを感じながら、眷属化を進める。

 そして、《隠遁》の付与を念じた瞬間、――音が消えた。


《大規模魔力の行使により、肉体の魔力保有限界を超過しました。対象の眷属化と並行し、保有値を再設定します》


 サチの声は聞こえなかった。

 代わりに思考に浮かんだのは元々頭に響いていた電子音声だ。

 思わず下腹を見れば、()()()()()()()()()()()()()()

 そこにあるのは、ムシウの眷属化の時に一瞬だけ見えた、あのキューブだ。


(いや、きっとこれは僕の魔核……! 色欲の魔王核だ!)


 第一、吸収したムシウの魔核と比して、その魔力量が違いすぎる。

 煌々(こうこう)と輝く魔力が白熱した核の表面を駆け巡り、暴力的な力の密度が一目でわかる。


(サチ、サチ! くそ、魔核が励起(れいき)したからか!?)


 ――最悪の考えは、無理やり思考から追い出す。

 身体を失って残った感覚を探ると、視覚とも呼べない魔力感知能力だけだった。

 最も強く感じるのは自身の魔核。

 遠くにはムシウと思しき魔力の塊。

 そしてすぐ近くに、あの星の誕生のような魔力の収縮がある。

 しかし、それは終わらない。

 (そび)え立つ木々や天を覆う大樹から、魔力の奔流(ほんりゅう)が雪崩のように新星の渦へと流れ込んでいる

 おそらくそれは、とてつもない熱量だ。

 しかし受容する身体を失った今、その熱を感じることはない。

 先ほど声が読み上げた情報には“魔力の保有値を再設定する”とあった。

 いま、長の身体を構築しようとしている魔力を使い、ユイの身体も作り直すということなのだろう。魔力の流れを感じる限り、それらの行程に異常があるようには思えない。

 だが、問題は応答のないサチだ。

 ぼう大な魔力を一度に扱ったせいか、サチとの意思の疎通ができないでいる。

 魔核が一体全体どういう原理で作用しているのかわからない以上、ユイには呼びかける以外できなかった。



 歯がゆい思いのまま、魔力の収縮を見続けていると、周囲の木々から流れ込む魔力が弱まって来た。ムシウの時に見た眷属化が終わる兆候だ。

 周囲から投げかけられていた濁流のような魔力が長とユイがいた場所へ収束していく。

 肉体を失っているため、視覚的に造形を確認することはできない。

 しかし余計な情報を知覚できないため、魔力の感度だけはより研ぎ澄まされている。

 二人分に分けられた魔力が、次第に人の形をとっていく。


(よかった。長も、ちゃんとエルフの姿になっている……)


 今までの大型のゴブリンの等身ではない、明らかに人間に近い形に魔力が集まっているのが感じられる。

 その姿をより明確に感じ取ろうとしたところで、ノイズ交じりの視覚によって観測を遮られた。ユイ自身の身体が再構成を始めたため、視覚と知覚が混線したようだ。

 立ち眩みのようなノイズが視界一杯に広がって、視覚は何も映さない。

 幸い再構成のプロセスによって、質量を取り戻したユイの身体は空中に保持され、転倒の危険はなさそうだ。


(仕方ない……。完全に元に戻るまでしばらく待つか)

《――――びっくり、した》


 再び肉体の檻に閉じ込められたのを進展であると納得していると、待ちわびた声が聞こえてきた。


(サチか!? 大丈夫か!? 痛かったりしないか!?)

《――――うん。どこも、かわらない》


 少しだけ沈んでいるものの、いつものサチの口調に胸をなでおろす。

 そうしている間にも五感が戻ってきて、肌を撫でる気流や耳朶を打つ風の音を感じる。視界も徐々に鮮明になり、おぼろげに掌の形がわかるようになってきた。


《――でも、いまのゆーいちは、ちょっとえっちかな》

「……え?」


 明瞭になった視界。

 掌から辿って肘、肩口と、どこまでも褐色の肌が続いている。

 そのままつま先まで視線を落とすと、ユイは一糸まとわぬ裸身を晒していたのだった。


「ひあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「――失礼」


 両腕で胸元をかき抱いてしゃがみこもうとした直後、瞬足で近寄って来たムシウに抱き寄せられる。そのまま手渡されたお包みで、前を隠して縮こまった。

 イケメン紳士は主の尊厳を守ってくれたが、太い腕と厚い胸板に挟まれて動けない。なおかつ整った横顔がすぐそばにあるせいで、出来上がったばかりの心臓がフル稼働を開始してしまう。


「着衣をご用意くださいませ。長にもお仕着せなくてはなりません」

「ひゃ、ひゃい……!」


 耳元で囁かれたイケボによって脳を揺さぶられ、全身が弛緩する。

 思わず取り落としそうになったお包みごと、ムシウに抱え直された。


「ひん! あわわわわ……」


 慇懃野郎はどさくさに紛れてお腹を撫でてくるのをやめるべきだ。

 イケメンに過剰反応するのは果たして色欲の魔王の本能なのか。

 どうあれ、これ以上ムシウに密着していては理性が持たない。

 機能性以外一切考えずに《裁縫》でお包みをワンピース状に仕立て上げる。

 下着など作っている暇はなく、下半身の風通しが良すぎる。だが、もはや裸を見られなければよしとするしかない。


「ムシウ、大丈夫、大丈夫だから……」

「――は」


 主人のお腹を食い入るように見つめながら、間をおいてムシウが手を離した。

 名残惜しそうに足音が遠ざかるのを聞いて、安堵から深いため息が口をつく。



「おお、これが眷属の身体! すばらしい!!」



 脱力し、視線を落としていたところに、朗々たる高音が響き渡った。

 ムシウは背後にいるのだから、その声は間違いなく長のものだ。

 ゴブリンの時の、しわがれた老人のような声ではない。

 音の響かない大樹の広場にあって、ここまで良く通る声はオペラ歌手を彷彿とさせる。


「長殿、眷属化は上手く行った様ですねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 そこには星の煌きを背負ったような美形のエルフが立っていた。

 背格好はムシウよりも頭一つ背が低い程度で、肌は白く、大きくウェーブのかかった濃い金髪が(かかと)まで伸びている。特徴的な耳は大容量の髪から突き出していて、明らかにムシウよりも長い。

 エメラルドの瞳が、たおやかな腕や細い指を興味深そうに眺めている。

 すらりとのびた足から腰まで、豊満な肉体が完璧な曲線を描いている。

 そして、そして、その胸には、掲げている掌には収まりそうもないほどの大きな乳房!


「お、女あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「失敬な。ユイ様とて女でございましょう」


 目のやり場に困るユイを歯牙にもかけず、全裸の長は取り乱す様子もなくその妖艶な体を誇示していた。

10話が書き終わるぐらいまでは私の中でも長の性別は男でした。

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