11話 Primitive
ハンモックに揺られながら目を覚ます。
集落の者たちの前での恥ずかしいほどの大泣きの末、安心してそのまま寝入ってしまったようだ。
身体に負荷をかけすぎると、気を抜いただけで意識を手放してしまう。赤子の身体はそう長いこと起きていることに向いてはいない。
「お目覚めになられたようだぞ、ムシウ」
「お加減はいかがですか? 我が君」
長と対面で座っていたムシウが立ち上がりこちらへ歩いてくる。
比較的しっかりした作りの室内はおそらく長の家だ。
居合わせるのはムシウと長、そして部屋の隅に控えた弓ゴブリンが手を振っている。
あの苦笑いはきっとまた《翻訳》で面倒を起こしたがゆえの隔離措置なのだろう。
全員が等しく眷属となるまでは黙らせておくようだ。
「すまない。寝てしまったようだ。赤子の身体は不自由で」
「ご生前と比べれば、ご尤もでございましょう」
その一言でどこまで露見したのかを大体察する。
構わず起き上がろうとすれば、ムシウが優しく抱き上げてきたので身を任せた。
長の対面へと戻ったムシウに抱えられたまま、居住まいを正す。
「貴方様の口からこぼれ出た言葉を使えば、転生者と仰るそうですな」
「わたし……、いや、僕の前世でも、あくまで概念としてしか存在しませんでしたが」
長は深く頷くだけでそれ以上は聞き返してこない。
長にとって重要なのはこれから主と仰ぐ者の知性が何に由来するか程度で、それ以上は今すぐ生かしようのない無駄な知識だ。
「差し当たって、集落の者たちには、ユイ様の口より知りえたことは口外してはならないと言い渡しましたが……、眷属化ののちに制約を課すべきでしょう」
進言しながらも、長がムシウの肩の向こう、その背後を睨みつけると、か細い悲鳴が聞こえてきた。
人の口に戸は建てられないというわけだ。
壁際で平伏している弓ゴブリンにしてもそうだが、情報の流出とは悪意によるものばかりではない。ユイ自らのように感情に乗せてこぼれ出ることもあるだろう。
この集落がユイの眷属として秘密裏に存続を続けるならば、その頼みとする力によって統制されるのは道理なのかもしれない。
そして、長から共同体としての合意を得た以上、集落の眷属化は急いだほうがいい。
「長よ、貴方が決心してくれれば眷属化を始めさせてもらいたい」
赤子の身体がすぐ疲れるのはまだ発育段階だからだ。
万全を待っていたら、それこそ成長を待たなくてはならない。
重労働をするなら起きてすぐが良い。眷属化だけをきっちりこなしてあとは回復まで休養を繰り返すのだ。
「お加減はよろしいのですか?」
「この身体に生まれ変わって溜まっていた鬱屈は貴方の腕の中で吐き出させて頂いた。生まれてこの方、今が一番元気なのです」
長は深く頭を伏せるだけだった。
双方心の準備などとうに出来ている。それが改めて確認できた。
とはいえ、眷属化にあたり相手に技能を与えなくてはならないのだが、ゴブリンにとっての悲願である《翻訳》は、既に長は所持している。他の技能は《操作》《裁縫》《授乳》《隠遁》であるが、長が統治のためにこれぞと欲しがるようなものではない気がするのだ。
しかし、それを決めるのは長であり、一旦これらの中で眷属化の主軸としたいものはあるのかを確認すべきだ。
「一度眷属化の誘いを掛けますが、技能に良いものがなければ拒絶してください。その上で長が望む技能を先に取得し、それからもう一度眷属化を行おうかと」
「かしこまりました。――それにしても、双方で示し合わせた技能を用意できるのは、知恵を持つユイ様の大きな武器ですな。本来、生まれたばかりの魔王では、持ち札が出会った魔物の欲するものと合致するかは賭けになります。魔物側も技能の有用性において差が大きいのだとか」
さもありなん。
さらに言えば、より新参の眷属の方が、配下に加わる時にはすでに魔王が成長しており、技能の選択肢が増えていることだろう。魔王軍の創成期を支えた重鎮の方が不遇では配下間での軋轢を生むというものだ。
それゆえにムシウや長、集落の者たちへは望んだ技能を付与したい。
技能を用意する間、待つことを承諾してもらえることも色欲一門の強みである。
「ムシウ、降ろしてくれ。おそらく魔力でかなり熱くなる」
ムシウを眷属化したときを思い浮かべる。
全身を焼くような熱量が身体中を駆け巡ったことは記憶に新しい。
眷属化を試みる魔王を抱えたままでは、放出される魔力がどう影響を及ぼすかわからない。
「どうかご自愛くださいませ」
ムシウに、そのまま自身が座っていた場所に降ろされた。
思慮の一言を加えて、弓ゴブリンの隣へと下がっていく。
「それでは、参ります」
泰然と座したままの長へと視線を戻し、開始を宣言する。
まずは下腹の魔核に意識を集中して、眷属化のプロセスを起動。
瞬時に魔力が飽和し、体外にあふれ出た余剰分を長へと放った。
《おさをけんぞくにできるよ。さそうの?》
サチの問いに肯定する。
これで長は《翻訳》以外の四つの技能から一つを選ぶよう求められているはずだ。
「なるほど。この《隠遁》という技能で魔王の気配を隠していたのですね。……ユイ様、念のためにお聞きしますが、現在お持ちの技能は全部で五つですね?」
「はい。《隠遁》以外の技能を選んでいただいても――」
要望の途中で、言葉を遮るように長が手をかざす。
表情は諫めるように真剣で、有無を言わさぬ様相だ。
それ以上は何か障りがあるのか、一旦情報を整理すべきと眷属化を中断する。
「滅多なことを申されますな。原初技能はその魔王の象徴でございます。それは如何なる眷属にも与えられるべきものではない。あえてこれを預ける者がいるとすれば、この世界ひとつと引き換えにしてもかまわぬほどに心を通わせた者となるでしょう」
「……その、ぷりみてぃぶ、というものについて詳しく教えてもらえますか?」
また何かやっちまうところだったようだ。
長の口ぶりから原初技能が《翻訳》と《隠遁》以外の三つであろうことは想像できる。しかし、これらがそれほど重要なものとは思えない。
「……魔王はその肩書に沿った最も効率的な方法で魔力を貯蓄し、技能を取得します。その折、最初に取得した三つが原初技能と呼ばれます。……ご降誕時、最初から魔王核に満たされていた魔力を使用することにより、本来莫大な魔力が必要な技能ですら容易に取得が可能で、かつ成長速度も速く、拡張性も高いものとなるのです」
技能というものは成長する特性を持つらしい。
それならば《隠遁》を成長させれば、いずれ誰からも魔王と気づかれないようになれるかもしれない。
そして原初技能はその成長が、特に優遇されているようだ。
「魔王はその代名詞とも呼べる原初技能)によって畏れられ、絶対の権威を誇るのです」
弑逆されないよう眷属にするだけでは、武力集団のトップとして不十分ということか。
魔王自身が傷つかなくても、命令違反によって集団が不利益を被ったとき、その者を罰せられる手段がなくては、魔王の命令に従う者などいなくなる。眷属たちがどれほど技能を磨こうと、それを上回る成長速度や利便性を持つ原初技能があればこそ、魔王は集団の頂点に君臨できるというわけだ。
「ただ今の眷属化へのお誘いで、私めに提示された技能は《隠遁》のみでございました」
《翻訳》は既に付与されているため提示されず、原初技能はもとより配下に付与する前提にないということのようだ。
それが、魔核というシステムにおいての基本であるらしい。
――そしてそれは、生まれたばかりの自我を持たない魔王にこそ巧みに働く。
鳥や魚は、飛んだり泳いだりを生まれついて行う。
それと同様に、魔王核とセットで生まれる魔王は、誰に教わらずとも最適な原初技能を取得するだろう。本来“色欲”であれば、問答無用で性交渉に持ち込めるよう、相手を魅了する技能を本能的に取得する、といったこともあるかもしれない。
しかし、前世の記憶を持って生まれてしまったユイは、本能を理性で封じ込め、魔王の知識ではなく生前のそれに従い、暮らし向きに必要な技能を取ってしまった……!
「ユ、ユイ様……!?」
「我が君……? 如何なされましたか!」
無言のままお包みでミノムシになるという奇行に、配下たちが戸惑っている。
「なんでもない。少しだけ時間をください」
――俺、既にやっちゃっていました。
《操作》のように精密な動作が行え、《裁縫》のようにシームレスに物質の変換が可能で、《授乳》のように無から有を生み出せる。これらの技能をいともたやすく取得できたのならば、瞬間移動や絶対的な攻撃手段はもちろん、持ち運べる秘密基地や魔力の無限補給などといったチート技能も取れたのではないか。
無論、魔王の魔核システムというファンタジーがまかり通っている時点で、今後そういった技能が取れないという保証はない。
しかし、原初技能としての取得と比べ、莫大なコストと遅々とした成長に留まることは容易に想像がついてしまう。
遅々とした成長については、淫魔の寿命はない“設定”なのでいつかは目標に届くだろう。莫大なコストにつても、集落のエルフ化によって補える。
だが、それはまさしくユイ自身が嫌った魔王像ではないか。
――長らと心を通わせ、この者なら主と仰いでもよいと太鼓判を押された。
ゴブリンたちが、命及び魔力と共に預ける期待は、魔王が集落をより豊かにするという確信だ。
それを無視して、預けられた魔力を己の欲望の糧にすることは、“悠一のままではいられないこと”に他ならない。
《ぜんぶ、ゆーいちにとってひつようだった》
懊悩で煮え立つ頭に、乙女が柔らかな口調で差し水をしてくれた。
そう、チート技能が取れたかもしれない世界線など存在しない。
《操作》も《裁縫》も《授乳》もすべて必要に応じて心から求めた技能だ。
これらを取得していなかったら、いずれ野垂れ死ぬか、奪うことを良しとする暴君になり果てていただろう。これらの技能は、そのような未来を回避するために、その時、考えうる最善の道を選んで共に歩んだ仲間たちだ。
魔王ユイの原初技能は、この三つ以外にあり得ない。
お包みに包まったまま、魔の視覚を頼りに、ムシウの腕の中に納まる。
「我が君?」
小さな体を広い胸板に押し付ければ、いたわる様に優しく抱き上げてくれた。
――何も、間違ってない。
その力強いの腕に抱かれていることが、ユイが勝ち取った未来なのだ。
お包みから這い出てムシウを見上げれば、力強い視線のまま大きく頷いてくれた。
「お見苦しいところをお見せしました。貴方のための技能を取得したい」
長へと向き直ると、主の復調を信じていたとばかりに含みのある柔和な笑顔を浮かべていた。
邪な欲望が頭をよぎったことを恥じる。
長は《翻訳》によってこぼれ出る情報から、ユイの持つ原初技能が覇道には向かないと察しただろう。それでもその選択は正しいと胸を張った魔王に対し、深々と頭を下げた。
「思いとどまってくださったことに感謝を。ユイ様の決意と共にあるために、私が頂戴する技能を確信いたしました。――どうか私めに《隠遁》をお授けください。集落を秘匿する任、長である私こそが担うべきです」
「――待ってください。《隠遁》は個人が使う目的で取得した技能です。そんな広範囲を覆うことなど出来ないはずです」
疑問を質すと、長は深く頷いた。
「かつて私が雑兵として今は亡き御方の庇護下にあった時のことです。私どもを取りまとめる役目を負った眷属の方が、ある時自慢げに語っていたのを耳に挟みました。その方が眷属化の時に賜った技能は魔王様の原初技能と同じように成長するのだと……」
それでは原初技能のありがたみが薄れてしまうのではないか。
眷属が持てる超成長の技能は一つだけとはいえ、何百人も眷属を持ったとしたら、魔王ができることは大抵誰かが肩代わりできてしまう。
「失礼ながら。長が仰る通りだとしたなら、魔王にとって相性が悪い技能を持つ者が輪を乱した場合、その取り締まりは難儀するのでは?」
「問題ございません。技能はすべて主の魔王核より授けられたもの。ユイ様が己の魔核に命じれば、たちどころに不作法者は技能を使用できなくなります」
――とんでもない絶対王権である。
ブラック企業極れり、だ。給与を盾に契約外のことをやらせても、監査などはないのだからやりたい放題できてしまう。
――お前程度の絵師などいくらでも替えが効く。
生前のトラウマを思い出して心をえぐられた。
だが、そのような想いを周囲に味わわせていれば、会社が物理的に潰れると自ら長に言ったばかりである。
「僕が、技能を停止するときは、一度対面で警告をしてからにします!」
「――ふ、ふふ、お優しいお方だ」
当たり前に手にしている物は、それが借りものだとしても不意に取り上げられれば気分を害する。たとえ無自覚に他者に迷惑をかける者がいても、それを理解させる手段や、納得させる豊かさを、色欲一門は持ち得たい。
眷属にと頼みにしている者たちと共に、ユイはそこへと辿り着きたいのだ。
「話が脱線してすみません。……つまり長殿は《隠遁》をより成長、拡張させることで集落の営みを覆い隠すと?」
「左様にございます。集落の者どもは、きっと自衛や暮らしを豊かにするための技能を欲するでしょう。その時、我々の活動は周辺から見て大いに目立つに違いありません。私は皆を、我らが得た恵みを不当に付け狙う輩から守りたい。それに……、私が広域に《隠遁》を巡らせれば、ユイ様ご自身の技能が成長するまで、外界の魔物からの目くらましにもなりましょう?」
問いかけは穏やかだった。
――全ては集落のために。
長きにわたって無力なゴブリンたちを率いてきたのは、かつて夢破れた喪失を、より無力な者たちに味わわせないためだろうか。
その揺るぎない庇護のもとへ、幼い魔王を取り入れてくれた。
「――ありがとう、ございます」
「こちらから、お願いしたことでございます。――ふふ」
意図しなかった“儀礼”に、笑みを交わす。
互いに主従となる決心はついた。
だが、集落のど真ん中で眷属化を行うのは少々危険だ。
「ムシウの姿を見ての通り、眷属化には身体の再構築が伴います。ここでではなく森の奥まった場所で行うべきだと思います」
「左様ですな。場所を移しましょう」
脱ぎ散らかしていたお包みを体に巻くと、長もその場から立ち上がった。