Prologue 恥ずかしすぎる転生
自分自身が倒れている。
頭部からの出血が血だまりとなって広がっていっても、当人はそれを気に留める余裕すらないのだろう。小刻みに痙攣が弱まっていき、今まさに命が失われていくのだと他人事のように思ってしまう。
安物のカーペットの上に虚ろな目をしたまま突っ伏している自身の終わりを、溝田悠一は俯瞰していた。
本来ならば天井が遮るはずの高みなのに、狭苦しい六畳だけがまるで撮影のセットのように暗闇の中に浮かんでいる。
どうしてこんなことになっているのか、この不思議な保留状態が気になりかけたところで流血に至るまでの経緯を思い出して思考が冷えた。
「え、これやばいでしょ……」
死ぬことがではない。
むしろそちらは、苦しみが最小限に事切れられるなら救いがある方だ。
問題はその死に様である。
「警察とかくるよな? ……調書に書かれるんだろうな。自慰の後に頭打って死亡って……」
凶器となった座卓の横で最早ピクリとも動かない我が身は、ズボンがパンツごと中途半端に降ろされ、汚いモノが丸見えになっている。付けっぱなしのPC画面に銀髪の少女が褐色の肌を白濁で汚している画像がアップで映され、下部のテキストはやたらとでかいフォントの母音が羅列されたまま文字送りを待っている。
鑑識のお兄さんには、これがこいつの性癖なのかとか、やっぱ抜きどころはそこなのかとか、足元の情けない死体と見比べられるに違いない。
警察は仕事で検分をするだろうし、勤め先はエロゲメーカーであるからある意味伝説になる程度で大きくは取り沙汰されまい。だが、両親の葬式での居たたまれなさを思うとあまりにも申し訳ない。
「親不孝だなこりゃ……。いや、一番の不孝は先立つことか」
ここまで育ててくれた両親へ感謝と謝罪を抱いていたところで異変に気付いた。
暗闇に浮かぶ箱モノのような自室が遠ざかっていく。最初は部屋が落下を始めたのかと思ったが、ひょっとしたら悠一自身が上昇していたのかもしれない。
判断がつかなかったのは身体が引っ張られるような反動が無かったからだ。
咄嗟に体勢を確認しようとしてみれば、そもそもあるはずの場所に腕がない。振り上げたつもりの足や捻ってみたつもりの胴体すら確認できず、意識だけの存在になっているのだと気づいたころには、部屋はけし粒のように小さくなって見えなくなるところだった。
(ま、まってくれ!)
身体が無いことに気づいてしまった今となっては声も出ない。
その間に、無慈悲にも自室は暗闇の彼方へと消え去った。
唯一の目印を見失ったとたんに、暗闇の重圧がのしかかってくる。
何も見えず、何も感じず、何も聞こえず……。五感の全てが感覚を失った瞬間、唯一残っていた意識さえも暗闇へと溶け出していく錯覚を覚えた。
(いやだっ! 死にたくない!)
切に、そう思う。
自分の身体が死ぬのを見ても、痛みを感じなければそれは他人とかわらない。
何かの猶予が終わって、本当の死が今まさに訪れようとしている。
(か、身体! 腕! 動けよ! 身体があれば、動けば、意識は死なずに済むんだ!)
藁にも縋る思いで自分の身体を想像する。
輪郭を描いて、そこへ意識の根を張り巡らせ、身体を動かすイメージを繰り返す。
――だが、そんなことを繰り返したところで何にも成りはしなかった。
意識をしている間は、確かに己を保っていられる。
しかし、ふと気を緩めれば、指の隙間からこぼれる砂粒のように、とたんに自己の存在があいまいになる。諦めればその時点で終わり。諦めなくてもその緊張はいつまで続くものではない。
(いやだっ、いやだっ、いやだーーっ!!)
意識の欠片をかき集めるように喚いてみても、その叫びは何の残響もせずに闇へと吸い込まれていくばかりだ。
(いやだ……)
最早どうにもならないと悟り、後悔と未練だけが意識の中で渦巻いていく。
(ああ、完成を見たかったな……)
よぎったのは先ほどまでプレイしていたエロゲーだ。
悠一がイラストを担当し、あとはデバッグが終わり次第マスターアップを待つばかりだった。
プレゼンの末に勝ち取ったキャラ造形は、悠一の性癖の限りをぶち込んでおり、図らずも仕事疲れの頭にズボンを下ろさせてしまったのだ。
(ああ、本当に、残念だ……。なあ、―――――)
その名を呼ぶ。
自ら描き上げたがゆえにありありと浮かぶその姿を思いながら、意識が解けていく。
今度は恐怖を感じなかった。
波うつ水面が静謐を取り戻すように、あらゆる感情が働かない。
土壌に水がしみこむように、自分が分かたれて何かと混じりあっていくような感覚。
無難に終われることに一抹の安堵を感じながら思考が細っていった。
《――さを――――――か?》
まさに途切れんとする意識が、何か意味のある言葉を感じ取った気がした。
本来なら意にも介さないようなその違和感は、それでもこの何もない闇の中では鮮烈だった。
(――、――――――!)
一縷の望みに縋るように、言葉ですらない意識そのもので、何かに応える。
それはたぶん、肯定だったのだと思う。
(――っ! ――――!? ――――!! ――寒い)
頬に、外気の冷たさを感じる。
何かに応えた瞬間、覿面に身体の感覚が戻って来た。
肌寒い風が顔を撫でてゆく。
まつ毛をもてあそぶ気流が毛先を爪弾いて、瞼を開くのも億劫だ。
(なんだ? どうなったんだ? ここは、外?)
意を決して目を見開く。
抜けるような、空。
仰向けに寝転んだ悠一の視界一杯、全天を覆う空が、今まさに日の出を迎えようとしていた。じりじりと広がる青に、白んだ空がかき消されていく。夜の闇と朝焼けの赤はもはや片隅に追いやられていた。
一大スペクタクルに思わず感嘆の声が上がる。
「だぁ(きれいだ)!」
(……うん?)
だが、口をついたのは意図とは違った奇声だった。
「だぁ~あ(どういう事なんだ)?」
事切れる前の自分とは似ても似つかない声。
身を起そうにも身体はピクリとも動かない。
そして体中を包み込む布の、顔だし部分から見える、周囲に聳え立つ高い草むら。
(でかっ! ……いや、僕が小さいのか?)
まともに喋れず、動けず、布や草の丈と比べて明らかに小さい身体。
(まさか、この身体……。僕は……)
「だぁ~(赤ちゃんに)、あ~ぁ(なったのかよ)!?」
遅筆の上、各話の整合性を保つために書き溜めてから投稿するため、更新がめちゃくちゃ遅いです。
終わりの構想を是が非でも書きたくて執筆を始めました。
気長にお待ちくださいませ。