第94話 旅立ちの日に
青く澄み切った空。
先日の大雨とは打って変わって、ここ連日は雲一つない快晴が多かった。
晴れは好きだ。
太陽の光を浴び、青々とした新鮮な空気を一杯に吸うと、とても清々しい気分になるものだ。
青空の下で、自分の好きな魔法具をいじるのは、セシリアにとって最高の時間である。
だけど、今日は。
今日ばかりは、そんな気分になんてなれない。
「セシリア、来てくれたんだ」
帝国軍本部の一室。
その扉を開けると、そこには笑顔のアイナがいた。
今日が何の日なのか分かっていないくらい、彼女は可愛らしい笑顔であった。
どうして、そんなに笑顔でいられるのだろう。
決して、めでたい日ではないはずなのに。
それとも、平然を保とうとしてくれているのだろうか。
胸がぎゅっと締め付けられる。
そんな笑顔を見せる彼女に相対しても、セシリアは暗い表情を隠せなかった。
「来るよ……当然だよ」
「うん、嬉しい」
アイナは以前と変わらない様子で、セシリアに答えてくれる。
いつも彼女は、セシリアに感謝の言葉を言ってくれるのだ。
一緒にいてくれて、ありがとうと。
当たり前のことだ。
至極、当たり前のことなのだ。
あたしは————アイナの親友なのだから。
「アイナ、こっちおいで」
セシリアはアイナの名前を呼ぶ。
手招きをして、部屋にある鏡の前に座らせた。
「きれいにしたげる」
今日がどんな日であろうと。
式典にどんな意味があろうと。
アイナの晴れ舞台であることに、間違いはない。
彼女の親友として、できることをしてあげたかった。
セシリアは、アイナの髪を櫛を使って整える。
「みんなは、元気?」
アイナは鏡に映ったセシリアの顔を見て問いかける。
みんなというのは、第七班のことだろう。
自分のことよりもみんなのことを気にするのは、やっぱりアイナらしいと思った。
「うん、まあ、体調は大丈夫なんじゃないかな」
あくまで体調は。
自分も含めて、精神的な落ち込みがひどかった。
どこか勘違いをしていたのだろう。
『エンゲルス』に選ばれるということの重さを。
身近で大好きな人間が選ばれて、初めて気づく。
こんな思いを、あたし達はエルステリア人の残された家族にさせてきたのだ。
無意識に表情が歪む。
その表情をどうにかして隠し、セシリアはアイナの前に回り込んだ。
そして、整った可愛らしい顔に化粧を施し始める。
「……イノは、大丈夫?」
「……」
特に、イノはひどかった。
職場にも顔を出さず、連絡も何一つ寄こさない。
アイナが『エンゲルス』に任命されてから、イノはセシリアの知らないところでこそこそと何かをやっていたようだった。
あの様子だと、多分うまくいかなかったのだろう。
生きているかどうかも分からない。
オスカーが心配になって家を訪ねた時は、それはひどいものだったらしい。
真っ暗な部屋に一人でいて、ろくに生活もできていないような状況だったそうだ。
顔はやつれ、目が虚になっている。
手や足に生々しい傷跡があったとか。
イノに限って、自暴自棄に陥って自死を試すなんて非合理的なことはしないはずだ。
だから、セシリア達に黙って、裏で危ないことをしていたのだろう。
オスカーが定期的に生存確認に行ってくれているようだが、彼の様子は変わらないらしい。
「イノは……責任を感じてそうだったから、心配だなぁ」
すると、セシリアの化粧に身を委ねているアイナが、暗い顔をした。
そんな彼女の顔が、セシリアの中で少し引っかかる。
さっきまで笑顔だった彼女が、イノのことになってその顔を曇らせている。
大変なのは、アイナ自身だというのに。
あの男は何をやっているのだ。
一番つらい立場にいるアイナを、こんなに心配させるなんて。
セシリアは、少しだけ手に力が入った。
自分のことじゃないのに、アイナにそんな顔をさせるイノが許せなかったのだ。
「今は————自分のことを考えなよ。アイナ」
セシリアはそばかすの上を、ブラシで優しく擦る。
イノのことは知らない。
あいつは一人で突っ走って、一人で勝手に失敗した。
彼なりに全力で何かに挑んだことは疑っていない。
それでも。
少しでも、仲間として、相談して欲しかったのに————
「私は、もう大丈夫だよ」
アイナはセシリアに、もう良いよと作業の手を止めさせた。
そして立ち上がり、部屋の扉の方に向かっていく。
「私は、決めたから。イノの力になるんだって」
「イノの、力に……」
それが気に食わない。
あいつのために、どうしてそこまで————
「どうして、そんなに強くなれるの……?」
分からないよ。
アイナは元々、そんなに強い子じゃなかった。
セシリアがそばにいなきゃ、第七班の重圧に折れてしまうくらいに弱かったのだ。
それが、いつの間にこんなに強くなっていたのだろう。
「強くなれる理由? そんなの決まってるよ」
すると、アイナはセシリアの方に振り返る。
そして、満面の笑みを見せるのだった。
「イノのことが、好きだから」
アイナは恥ずかしがることなく、そう言い切った。
今までだったら、顔を赤くして、言葉ももじもじと尻すぼみになっていたことだろう。
イノのことが好き。
それがはっきりと言えるほどに、アイナは強い心を持っていた。
聞いた瞬間、涙が込み上げてきた。
「うん……そうだね」
だめだ。
泣かないって決めてたのに。
声が震えてしまう。
セシリアはずっと思っていた。
アイナは誰かに守られるべき存在なんだと。
エルステリア人で、気の弱い女の子。
そんな子が、今の帝国で生きていくのは難しい。
だからこそ、私が守らなきゃ、と思った。
だからこそ、あの時守れなかった私を、心底憎んだ。
あの時、アイナが泣いている姿をただ見ているだけなのが悔しかった。
もっと、私が強ければ————
アイナを慰めている時も、後悔で押しつぶされそうだった。
本当は、今日ここにくるのだって、つらかったんだよ。
でも、こんなアイナの姿を見せられたら、もう何も言えない。
それくらい————
「強くなったんだね————アイナ」
彼女の成長した姿が素直に嬉しかった。
それと同時に、その姿がもうすぐ見れなくなってしまうのが、酷く悲しかった。
アイナはセシリアの言葉を聞いて、少し照れたような表情を見せる。
「私は強くなんてないよ。セシリーの方が、全然強いよ」
謙遜するところは、いつものアイナだった。
だが、その言葉の陰に、ネガティブで自虐的な感情は一切感じられない。
アイナは出口の方に向かい、部屋の扉を開ける。
「じゃあ、行ってくるね」
アイナはセシリアに元気な声で言うのだった。
また、一歩前進しようとしている。
いつまでも泣いていられない。
私も、元気に送り出そうと思う。
「うん……いってらっしゃい」
セシリアも笑顔を見せて、アイナを見送った。




