第8話 専属の依頼
「あのぉ……武器の調整、終わりましたけれどもぉ」
あれから四時間は経った。
西に傾いた陽の光が窓から入ってきている。
作業を終えてセシリアが教室に戻ってくる頃、ルビアが机に突っ伏していた。
「どうしてだ……!」
これまでに、一時間ほどの濃い試合を四戦行い、ルビアの結果は零勝二敗二引き分けだった。
すなわち、ルビアが先手の時は全て引き分けにされ、後手の時はことごとく負けたということだ。
この戦績はルビアにとってはかなりの屈辱だった。
「……えっと、このくらいで終わりに————」
「待て! もう一回!」
こんな結果で引き下がれない。
別にニューロリフトの名に泥を塗りたくないだとか、そんなことを考えているわけではない。
平民にだってチェスの強い人間がいて、私を負かす相手がいてもおかしくないだろう。
だが、それでもプライドはある。
この十八年間培ってきたチェスの技術が、こんなぽっと出のよく分からない魔法技師に対して全く通用しないという事実は、ルビアにとって受け入れ難いものだった。
「しかし————」
「お願い!」
なんとか一矢報いたいという気持ちで、ルビアは必死に懇願した。
両手を顔の前で合わせて、上目遣いでイノを見る。
ルビアの鬼気迫る姿(イノにはそう見えていた)を見て、イノは溜め息を吐きながら頷いた。
「分かりました……」
「よっしゃ!」
ルビアは早速、自陣の駒から並べ直す。
そこには、数々の功績を挙げ、帝国民の見本となる帝国軍人としての姿はなく、ただ純粋に、子供のように遊戯を楽しむ若い少女の姿があった。
ルビアのそんな無邪気な姿を見て、イノが恐る恐る声をかけてくる。
「あの……ルビアさん?」
「ルビアでいい」
ルビアはチェスの駒を並べ終え、最初の一手を打ちながら、イノの言葉を遮る。
「私に敬称はいらない。口調もかしこまらなくていい。年下である私に敬語を使うのは気持ちが悪いだろう。私の家のことなど気にしないでいい」
彼らの目には、ルビアの態度が意外に映ることだろう。
帝国軍人、特に貴族出身の軍人は、平民と交流するのを嫌う。
実際ニューロリフト家の人間の中でも、軍人と上流階級以外の人間と交友を深めたという話は聞かない。
イノはルビアの態度に困惑しつつも、質問を続ける。
「ルビア……は、どうしてここに来たんだ?」
いきなり敬語を制限され、多少ぎこちなかった。
だが、イノは訂正することなく言葉を続ける。
「ニューロリフト家は公爵家であり、軍人の家系だ。ならば、家に必ず専属の技師がいるはず。なのに、わざわざ民間の技師を探してまでここに来たのはどうしてだ?」
確かに、当然の疑問だろう。
急に民間の工廠に公爵家の人間が来れば、誰だって驚くし、不思議に思う。
ルビアはルークを前に進めながら、質問に答える。
「君の言う通り、家には専属技師がいる。だが、あくまでニューロリフト家の技師であって、私の専属技師ではない。私の武器の調整をする人間は、私自身が選びたいと思っていたんだ」
ニューロリフト家の魔法技師は、民間の技師よりも優れているかもしれない。
それでも、ルビアは自分で選びたかった。
自分が安心して武器を預けられる人間を、自分で見極めたかったのである。
「そうだ」
相手のポーンを一つ取り、チェス盤の外に移動させる。
ルビアの心は、もう決まっていた。
「もし良ければ、私の武器の専属技師になってくれないか?」
ルビアはチェス盤から目を離し、彼らを見る。
彼らの魔法技術に対する熱意、そして技術は本物だ。
特にセシリアには、それを間近で見させてもらった。
また、彼らは非常に強い絆で結ばれているように見える。
ルビアは楽しそうに日々の仕事をこなしている姿を見て、彼らに任せてみたくなったのだ。
なにより、彼は私をチェスで負かした男だ。
チェスの強い人間は何をやっても優秀だ。
父上と兄上がそうである。
ルビアは今日一日彼らと接してみて、彼らを選んでみようと思ったのだ。
ルビアの提案に、オスカー、アイナは驚きの表情を見せる。
セシリアはとても喜んでいた。
また、ルビアの武器を触れるのがそんなに嬉しいのだろうか。
しかし、ルビアの対面に座るイノだけが浮かない表情をしていた。
「どういうつもりだ?」