第78話 頭
そして、イノはまた覚醒する。
もう何回目の目覚めなのかも、今が朝なのか夜なのかも全く分からなかった。
例の如く、乱暴に液体を顔にかけられる。
体を伝う冷たい感覚と強烈な匂い。
それは明らかに純粋な水ではない。
下水か何かだろうか。
イノはなかなか開こうとしない瞼を強引に押し開け、外の世界を目に映す。
グラグラと視界が揺れていた。
かつてないくらい頭痛が激しい。
その都度、止血されているとはいえ、体から出ていった血が戻ってくるわけではない。
撃たれた場所が悪ければそれだけでかなりの血が吹き出し、治癒魔法がかけられて傷口に反映される頃には、足元にちょっとした血溜まりが出来る。
生命に危険を及ぼす出血の量は、全体の血液量の二割だったか三割だったか。
イノはまだ死んではいないが、もうそれくらいの量の血が流れているのではないかと錯覚するくらいだ。
それに、イノはスニッファによる拷問の間、何一つ食料も水分も与えられていない。
エネルギー源がなければ血液を新たに生成できないため、イノの体は衰弱していく一方だ。
水分も与えられず、脱水症状にもなっていることだろう。
心身ともにボロボロになったイノは、鉛のように重たい頭を上げる。
すると、そこには何度も目にした笑顔があるのだった。
「よお、また寝てたのかよおめえ」
「……」
それに対して、言葉を返す元気もない。
代わりにイノは虚な目でスニッファを見るだけだった。
「イヒヒヒヒィ! いいねぇ、その目! 俺はその目が大好きだ!」
スニッファはケラケラと猿みたいに笑う。
奴は面白そうに目を細め、イノの頭を掴んで持ち上げ、顔を覗き込んだ。
「そうだよお前。お前の中に渦巻く感情、それが憎悪だ。俺のことが憎くて憎くて仕方ないんだろう?」
イノはそれに対しなんの反応も示さない。
しかし、その目線は未だ、スニッファから逸れることはなかった。
暗雲が渦巻くように濁った目が、ずっとスニッファのことを見つめている。
それを見て、スニッファはまた、興奮したように笑った。
「イヒヒィ! 見てみろよ! 親分!」
スニッファは後ろを振り向き、大声で誰かを呼ぶ。
すると、真っ暗な部屋が開け放たれ、外の光が入ってきた。
イノが久々の光に目を眩ませていると、一つの足音がイノに近寄ってきてるのが聞こえる。
そして、明るさにイノの目が慣れた頃————
そこには大男が立っていた。
「スニッファ————ったく、急に何の用だ?」
大男はだるそうに喋っていた。
イノは重い頭をなんとか上にあげて、その男の様子を確認する。
男はスキンヘッドで顔には無数の傷が生々しく見えていた。
筋骨隆々のイノよりも遥かに大きい体で、その風貌はまさに『荒くれ者』といった表現が似合う。
(こいつは……?)
ここに来るということは、この男も『フラッド・カンパニー』の構成員なのだろうか。
二人の口ぶりからするに、男はスニッファから見て上司に当たるのだろう。
上司、部下という組織体系が闇組織に存在するのかは知らないが。
それにしてもこの男、どこかで見覚えがあるような……
「この俺を呼び出すに値する用事なんだろうなぁ? スニッファー?」
大男は手をゴキゴキと鳴らしながら、スニッファに問う。
その声には凄まじい威圧感があった。
「イヒヒヒィ! いいだろ親分! こいつめちゃくちゃ面白いんだぜ?」
スニッファは嬉しそうに喋る。
まるで子供のように無邪気に、このイカれた光景を自慢し始める。
大男は後頭部を掻きながら、溜め息を吐く。
「だからよお、獲物を捕まえた猫みたいにわざわざ俺に見せなくていいんだよ、めんどくせぇ。あとな————」
大男は徐にスニッファの元へ近づく。
そして、満面の笑みを浮かべているスニッファにゆっくりと手を差し伸べ————
スニッファの首を掴んで、勢いよく壁に打ちつけた。
「ガハァッ!!」
スニッファの体はコンクリートで作られた硬い壁にめり込んでいた。
体の体積の分だけ壁の破片が逆立ち、ぼろぼろと崩れていく。
「この俺にそんな口の聞き方でいいと思ってんのかぁ?」
「いや……が……すみません……」
大男に首を絞められ、苦しそうに声を発する。
イノは、突然の大男の暴力に驚愕する。
なんだこの状況は。
闇組織の上下関係はこんなにバイオレンスなのか。
「スニッファー、俺が何者なのか言ってみろぉ」
「は、はい! フ、フラッド・カンパニーを仕切る俺達の頭、スドー様でございます!」
「……!」
今なんて言った……?
『フラッド・カンパニー』の頭、つまり、組織の親玉……?
思い出した。
どこかで顔を見たことがあると思ったら、いつかの新聞で見たのだ。
情報媒体で報道されるほどの危険人物。
闇組織の頭領。
「そうだな、俺がスドー様だ」