第6話 突然の来訪
「……むぅ」
イノとアイナはチェスを挟んでお互いに向かい合っていた。
イノの対面に座るアイナが口を尖らせている。
口を鳥のくちばしのようにしながら、眉間に皺を寄せて机に向かっている姿は妙に面白かった。
「こんなの無理だよぉぉ」
とうとうアイナが机に突っ伏してしまう。
整然と並べられていたチェスの駒がガラガラと音を立てて、机のあちこちに転がっていった。
「でも結構頑張ったんじゃないか?」
「そうかなぁ」
イノが励まそうとするものの、アイナは不服そうな顔を浮かべる。
「もう一回やるか?」
「……もういい」
アイナは拗ねたように、自分の机の方に戻って別の作業をし始めた。
ああ見えて、負けず嫌いなところがあるのだ。
すると、オスカーが横から声をかけてくる。
「じゃあ、僕がやりますか」
「オスカーかぁ、オスカーじゃ勝てないだろうなぁ」
「な、何を言うんですか!?この僕の目があれば、チェスなどお茶の子さいさいでしょう!」
え~~
オスカーは知識量こそあれど頭は硬いんだよなぁ。
しかし、今は対戦数を多くこなしておきたいところだ。
イノはオスカーの挑戦を受け、アイナが座っていたイノの対面の席に座らせる。
その時————
トントン。
教室のドアがノックされた。
「ん?お客さんかな」
「今日は何か予定が入ってましたっけ」
「いや、午前中のあれしかなかったはずだ」
ということは、新規のお客さんかもしれない。
珍しいな。
第七班というこの工廠の中でもマイナー部署に、通常の依頼が来ることはほとんどない。
イノ達の仕事がなんなのかを知っているなら尚更である。
イノは不審に思いつつも、立ち上がって教室のドアの方に向かう。
引き戸になっているドアを開けて、そこにいたのは————
「あんたは……」
そこにいたのは、午前中に出会った女性軍人だった。
今の彼女は、軍服ではなく、私服。
着ているのは無地のベージュのセーター。先ほどの騎士のような軍服姿とは雰囲気が全然違っていた。
今朝は軍帽をかぶっていて見えなかった宝石のような碧眼がイノを見つめる。
「君は、今朝の……」
相手もイノのことを覚えていたようであった。
イノは喫茶店でクルトに笑われたことを思い出す。
それもあってか気まずくなってしまい、目線を逸らした。
「ああああああっ!!」
イノの真後ろで急に大声が聞こえた。
声の主はセシリアだった。
「ルビア・アマデウス・ニューロリフト!」
セシリアはかの女性軍人を目掛けて指を差した。
イノも彼女も目を丸くする。
「なんだ、お前の知り合いか?」
「いや知らんの!?この人めっちゃすごい人だよ!」
セシリアは興奮しながら、イノの肩を揺する。
アイナとオスカーも、女性軍人の姿を見て驚いてる様子だ。
彼女が誰なのか知っているのだろう。
知らんの俺だけかこれ。
「ニューロリフト家と言ったら公爵家でしょ!彼女は公爵令嬢でありながら、その類稀な武術と魔法の才能で、数々の叙勲を獲得して、帝国史上最年少で士官になった若手の星なんだよ!?」
早口で捲し立てるように彼女の紹介をしてくれるセシリア。
そういえば聞いたことがある。
先月に行われた作戦で、まさに一騎当千の戦績を立てた若い兵士がいるという話だ。
圧倒的な火力の魔法で、敵の中規模魔族軍をほぼ1人で殲滅したとか。
彗星のように戦場を飛び回るその姿から、異名は『赫星』
自慢げなセシリアの後ろで、その女性軍人は顔を赤らめていた。
「や、やめてくれ、恥ずかしいだろ……」
当人は、別の意味で赤い星となっていた。
今朝の凛々しい帝国軍人の姿とは、印象が少し違う。
興奮して、人の武勇伝をひたすら喋ろうとするセシリアを抑え、イノ達は彼女を落ち着かせた。
「あー、コホン」
十分落ち着いたのか、咳払いをして、彼女はこちらに向き直る。
「改めて自己紹介をしよう。ルビア・アマデウス・ニューロリフト准尉だ。家名で呼ばれるのは落ち着かないから、気軽にルビアと呼んでくれ」
イノは彼女の態度に瞠目した。
帝国軍人というのは潔癖なところがある。
自分の地位や家柄にプライドを持ち、他者を寄せ付けず、下のものを見下す者が多いとイノは考えていた。
公爵令嬢とあれば、尚更その傾向があると思っていた。
だが、彼女を見ている限り、そういった人種とは少し違うように見える。
「……なるほど、第七班にようこそ。このハイテンションなのがセシリア、そこのナルシストメガネがオスカーです」
「なんつうあだ名つけるんですか!?」
オスカーが突っかかってきたのを無視して、イノは紹介を続ける。
「それで……こちらがアイナ。れっきとしたうちの魔法技師なんで————そして、俺がこの班のリーダーのイノです」
簡単に挨拶をし、イノがルビアに握手を求める。
彼女はなんの躊躇いもなくその握手に応えてくれた。
やはり、普通の帝国士官とは違うのかもしれない。
「あー、でそんな有名人がどうしてここへ?」
オスカーが疑問を投げかける。
例の魔石のことは秘匿情報であるため、いくら有名な軍人だったとしても、ここが最重要の兵器開発拠点であることを知っている確率は低い。
ただの、こじんまりとした一部署にしか見えていないはずなのだ。
「武器の調整を依頼しに来たのだ」
ルビアは自分の腰元に手をやり、鞘に収まった一振りの剣を取り出した。
その刀剣は、一点の曇りもない清水のような肌合いを持ち、高い気品が感じられる代物だった。
イノ自身、それほど剣に詳しいわけではないが、上物であることは一目見ただけで分かる。
「おお!これがニューロリフト家の『ヒートブレード』かぁ、初めて見たぁ!」
興奮しているやつのことは一旦無視し、ルビアの話を聞く。
「この武器を取り扱ってくれるところを探していたんだ。聞くところによるとこの武器は取り扱いが難しいらしい。だが、ここなら対応してくれるという話を聞いた」
イノ達は依頼品を観察する。
こういった魔法武器は確かに扱いが難しい。
様々な技術的問題がある。
上流階級の人間からの依頼と言われれば多少身構えるという部分を差し引いても、他の部署や工廠では拒否されることもあるだろう。
「確かに……これはウチくらいじゃないと触れないですねぇ」
「……」
さっきから、セシリアがひたすら前のめりで話に参加してくる。
それどころか、チラチラとこちらの様子を伺っていた。
しょうがない。
「ああ、分かった分かった。セシリア、これはお前に任せるよ」
「ええ!いいの!?」
「したかったんだろ」
「そりゃそうでしょ!『赫星』の武器を調整できる機会なんて、なかなか巡り会えるものじゃないもん!」
セシリアが鼻息を荒くして、ぴょんぴょん跳ねていた。
ルビアは少し照れているように見える。
「か、彼女で大丈夫なのか?」
ルビアがイノに尋ねる。
そりゃ、心配にもなるだろう。
「まあ、大丈夫です。魔法道具に関しては俺達の中であれが一番詳しいですからね」
ルビアが怪訝そうな顔でイノ達を見る。
セシリアの様子を見ていれば、騙されてるのではないかと疑心暗鬼になるのもしょうがなかった。
「そういうことです!では、どうぞこちらに〜」
調子良く、セシリアはルビアを作業場に引っ張っていった。
セシリアが教室の戸を閉めると、さっきまでの賑やかさが嘘のように、室内は静まり返る。
「本当に大丈夫かなぁ」
「まあ、大丈夫だろう。アイナもあいつの腕はよく知っているだろう」
「それはそうだけど……」
アイナは心配が拭い切れないという顔だ。
武器の調整自体は問題ないだろうが、セシリア自身が客人に何をしでかすか分からないという点はほんの少し不安ではあった。
「それはそうと、続き、やりましょうか」
オスカーは思い出したかのように、イノに提案する。
そして、チェスの前に座り、駒を並べ始めた。
「ああ、分かった」