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第60話 交渉

 紙をペラっとめくる音だけが、部屋に鳴り響く。



 黒髪の下には汗がにじむ。


 普段はほとんど着ることがないフォーマルな服の中は、既に水浸しだった。



 だが、その汗を手で拭うこともできない。



 また、紙をめくる音が聞こえる。




 やはり、この音が嫌いだ。


 帝国軍本部に来ると、毎回この音を聞かされるような気がする。



 しかし、今回はテーリヒェンが相手ではない。


 テーリヒェンのように悪趣味な装飾を施していない質素な書斎は、別の帝国士官の部屋であった。



「うーん……」



 目の前の帝国士官は、唸りながらイノが手渡した書類を眺める。


 度が強い眼鏡を上下させているので、彼の目が大きくなったり小さくなったりしていた。



 そして書類に目を通し終えたのか、顔を上げてイノの方を見る。



「それで、私にこのようなものを渡してどうするというのだ?」



 おっとりとした声でイノに問いかける。


 イノは腰を折り曲げて、帝国士官に対し頭を下げた。



「是非お力添えをいただきたいのです、シュリック准将」



 ザームエル・シュリック准将。



 大きな体型で中年の男だった。



 太っているというわけでもなく、肩幅も腰元も大きい寸胴。


 熊などの動物で例えるよりも、ドラム缶などの起伏のない円柱の方がイメージとしては合っている。



 この男が現在、イノが協力を仰いでいる帝国士官だ。


 階級は大佐であるテーリヒェンよりも上である。



 それゆえにそこそこの権力も持っており、テーリヒェンの地位を剥奪することもできるのではないだろうか。


 その辺りの権利事情がどうなっているのかイノには分からないが、テーリヒェンに対し相当の圧力をかけることはできるはずだ。



 そのために、イノがここでできることは必死に頭を下げることだった。



「あの男はこの国の()()です。このまま、あの男を放っておけば瞬く間に帝国は汚染され、地に落ちることでしょう。そうなる前に、取り除く必要があるのです」



 イノは半ば(まく)し立てるように、シュリックに説明する。



 この言葉自体に間違いはない。



 テーリヒェンは麻薬や違法武器を『アルディア』に流入し、人身売買も加速させている。


 その行動がこの国のためにならないのは明白だ。



 だが、自分がそこまで愛国心が強い人間ではないので、今の主張と自身の感情には少しだけ乖離(かいり)がある。



 帝国が汚れるだとか、落ちるだとかはどうでもいい。


 シュリックに頼み込む上で、彼にとっての大義名分が必要だったのだ。



 しかし、シュリックは頬杖をつきながら、めんどくさそうに応対する。



「————と言っても私も『クーダルフ』との戦争で忙しくてね……あまり、この街の治安に目を向ける時間がないのだよ」



「……!」



 なるほどね。



 要は()()がないと、自分の地位や出世に対してプラスにならないと、やる意味がない。


 そう言いたいのだとイノは解釈した。



 別に今更、帝国士官に対する印象が変わったりなどしないが、やはり金が欲しいのかと嘆息せざるを得ない。



 こういう流れになるのも、イノの想定内であった。



 イノはシュリック准将の説得を続ける。



「奴は旧体制派の人間です。特別作戦の功績で徐々に力をつけてきています。このまま旧体制派の力が大きくなるのを黙って見ているわけにもいかないでしょう」



 帝国士官、そして貴族にも派閥争いというものがある。



 テーリヒェンが支持しているのは旧体制派と呼ばれる勢力だ。


 対して、シュリック准将は旧体制派に反抗する勢力。



 通称、『ギルベルト派』と呼ばれる派閥に属している。



 反抗勢力が拡大すれば、現在帝国の主権を握っているギルベルト派もそれに対抗しなければならない。


 無論、シュリックの地位も狙われかねないので、その前に出る杭を打っておこうという話だ。



 シュリックとて、今の准将としての地位が何より重要なはずだ。



「ふむ……まあ確かに」



「でしょう! それに加え、奴はかなりの資産を持っているはずです。奴を落とせば、その財産はあなたのものです」



 畳みかけるようにイノは情報を追加する。



 実益が欲しいなら、何よりも金であろう。


 イノが手渡した資料を見れば、テーリヒェンが莫大な財産を持っていることは想像に難くない。



 金は、そのまま力になる。


 それ相応の大金を手に入れられれば、自分の勢力を拡大することも可能だろう。



「どうです? この辺りで、手を打っておくべきではありませんか?」



「うーん……」



 シュリックは自分の顎元を触りながら唸る。



 ここまですれば、魚が餌に食いついてもおかしくはない。



 帝国士官は基本的に欲の深い生き物だ。


 イノはルビアを除いて、何よりも自分を最優先に考える意地汚い帝国軍人の姿を何度も見てきた。



 その部分に美味しそうな話をちらつかせておけば、きっとイノに協力してくれる。



 そう思っていたのだが————




「いや、やめておこう」




「……え?」




 シュリックは種類をイノの足元に投げ捨てた。



 前にもどこかで見た光景だ。



「どうしてですか!? 自分の地位が惜しくはないのですか!?」



「何か勘違いしているかもしれんが、私は権力を振りかざすためにこの場所にいるわけではないよ」



 イノの考えを裏切るかのように、そう告げるシュリック。


 それはイノが今まで見たことのない帝国軍人の姿であった。



「すべてはニューロリフト閣下が私を信頼し私をここに置いてくれている。私は与えられた使命をこなすまでだよ」



「ですが! そうは言ってもあなたにだって財力が必要だ。今の地位を守っていくためにもここは————」




「仮にその者の財産を全て貰えるとしても、それは闇の金であろう」




 イノの反論を許さず、間髪入れずに主張を挟み込まれた。



 シュリックは肩を竦めながら、大きく溜め息を吐く。


 もう、イノの方を見向きもしていなかった。



「闇で手に入れた金は、必ず闇の匂いがする。持っていて得することはないよ」



 シュリックの言っていることは正論である。



 テーリヒェンが権力を得るために使うその金は、闇の金だ。


 使う側も、それ相応のリスクがついてくる。



 時には、自分の首を絞めることになるのだ。



「さて、私も狂犬に噛みつかれたくはないのでね。この話は聞かなかったことにしておくよ」



 シュリックがこの話の終了を提案する。


 だが、イノもここまで来たからには簡単に引き下がる訳にはいかない。




「お待ちください!どうか考え直して————」




「出ていってもらえるかね」




 しかし、シュリックは何一つ、取り合おうとしなかった。


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