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第55話 情報屋

 日は完全に沈み切り、薄闇が夜に変わった。



 潮騒(しおざい)のような遠い虫の声が、なんとも言えない淀んだ空気を揺らしている。


 街の建物は見えるもの全て古びており、以前ルビアと訪れたあの廃工場がまだ綺麗な方だったと気づかされるほどには荒れていた。



 いくら夜だからといっても、あまりに活気がない。



 殺伐とした空気が辺り一面に広がっている。




 ここは、帝国北部、北のスラム街。


 帝国において最も危険とされる地域。



 危険と言われる理由は、内外にあり。



 貴族達の法外な土地の値上げにより、『レグルス』に住めなくなったあぶれ者達がスラムを形成している。


 自分達が生きて利益を得るためには、手段を選ばないような危険な奴らが集まっているのだ。



 そして、ここは『アルディア』の北端。


 もし魔族軍が帝国を落とそうと大攻勢に出た場合、()()()()()()()()()()のはこの場所である。



 イノはその危険地帯に一歩足を踏み入れていた。



 この時点でこんなにも瘴気に満ち溢れているようでは、もっと奥は空気を吸っただけで昏倒(こんとう)してしまうような場所かもしれない。


 噂に聞く以上に、ひどい土地なようだ。




 イノが向かっているのは、この地区にある店、『アディ・シャミア』



 ラルフに紹介された場所だ。




「……ここか」




 渡された紙切れに書いてある住所に来てみると、そこにはこじんまりとしたバーがあった。



 あまり入り慣れない店で少し緊張しつつも、イノはその店の扉を開ける。




 店内は、外から見る以上に狭かった。



 蝋燭(ろうそく)の火のような暖色の灯りに照らされた店内は、特に飾り気はなく、ただカウンター席と通路、酒の詰まった棚が置いてあるだけだ。


 カウンターを挟んで後ろには————白髪と褐色の肌が特徴的な女性が立っていた。



「いらっしゃい」



 古びたジャケットを着こなす彼女は、客に提供するはずの酒を自分が飲んでいた。



 カウンターに立っている姿は喫茶店『イステル』のウラを思い出すが、決定的に違うのはその刺々しい空気感だった。


 おおらかで親しみやすいウラとは違い、彼女は他人を決して寄せつけないような雰囲気を醸し出していた。



「————あんたが、()()()か?」



「だったら文句あんのか? 坊主」



 彼女————アディは、カウンターの向こうでぶっきらぼうに返事した。



 つまり、彼女がラルフの言っていた情報屋ということになる。


 治安の悪い北部の情報屋というからどんな風貌なのかと緊張していたが、まさか女性とは思っていなかった。



 イノはカウンターの方に進み出て、その席にどかっと座る。



「注文は?」



「ラルフから聞いてきた」



 アディが注文を聞いてきたが、イノはその言葉を無視して話を進めようとする。


 あまり無駄な時間を割きたくはなかった。



「聞きたいことがあるんだ。知っていることがあったら————」



 ガンッ!!



 突如、イノの目の前に、酒瓶が勢いよく叩きつけられる。


 机が割れそうなくらいの大きな音が店内に鳴り響いた。



「何を飲むかって聞いてんだ」



 アディの凄みのある目がイノを突き刺すように見る。



 凄まじいプレッシャーだった。


 イノはそれに気圧され、一旦引き下がる。



「……ハイボールで」



 彼女は、はいよ、とだけ返事して、作業に取り掛かる。



 どうやら、この店の流儀に則っておいた方がいいようだ。



 アディの慣れた手つきによりハイボールが目の前に出され、イノはそれを受け取る。


 正直な話、酒はあまり飲めないのだが————しょうがない。




「で、何の用だ」




 イノが舐めるようにハイボールを飲んでいると、彼女から声がかかる。



「ラルフから話を聞いている。裏社会の誰のことが知りたい?」



 しれっと本題に入られた事にうまく反応できなかった。


 イノはそれに気づき、ハイボールのグラスから口を離す。



「テーリヒェンだ」



 イノは前のめりになって、ターゲットの名前を口にした。



 アディはそれに対し、特に何も言うことはない。


 知らないということはないはずだ。



「裏社会に通じているという話を聞いた。何か情報があれば教えて欲しい」



 イノは改めて彼女に要求した。


 まずは直球でぶつかることで反応を窺う。



 だが、アディは要求に応えようとはしなかった。



「————まさか、金もなしに俺から情報を取ろうだなんて思ってねえだろうな?」



 溜め息混じりにそう言い、また一口酒を煽る。



 くそ……まあそうか。



 イノは懐から財布を取り出して十数秒ほど思案した後、それを丸ごとカウンターのテーブルに置いた。


 彼女はその財布を拾い上げ、中身を確認する。



 金額は一旦足りたのだろうか。


 アディは物憂(ものう)げに酒瓶から手を離し、(おもむろ)に後ろを振り向いた。



 後ろの棚からガサゴソと何かを取り出し、一枚の紙をイノの元に放り投げる。



 それには、蛇と濁流のエンブレムが描かれていた。



「そいつは、『フラッド・カンパニー』の上客だ」



「フラッド・カンパニー……」



 闇組織に通じていないイノでも、噂で聞いたことのある名前だ。




 『フラッド・カンパニー』




 帝国北を拠点としている会社だ。



 表向きはただの貿易会社だが、帝国北部で最も勢力のある闇会社だ。


 治安の悪いとされている北のスラム街を牛耳っている組織だと言われている。



「そ、そんな会社と……?」



 イノは突然出てきたビッグネームに面食らう。



 そこまでするのか奴は。



 仮にも帝国を守る帝国軍人で、下級と言えど高貴であるはずの貴族だ。


 それなのに、貴族と最もかけ離れた場所にいる闇組織と繋がりがあるとは、到底信じられなかった。



 だが、そこまで分かっているなら話ははやい。



 正義の帝国士官がそんな繋がりを持っていると露呈すれば、テーリヒェンの地位は地に落ちるはずだ。


 証拠さえあれば、テーリヒェンを落とせる。



 アイナを救える……!



「アディ、テーリヒェンがこの会社と取引をしている証拠とかはあるのか?」



「そんな危ないもの持ってるわけないだろう」



 イノはカウンターに身を乗り出して彼女に聞いたが、即答で否定された。



 言ってみてから気づいたが、当たり前のことだ。



 確かにそれはある種の爆弾のようなもので、証拠を持っていた場合、その手の人間に知られれば消されかねない。


 裏社会はイノが思っている以上にシビアな世界なのかもしれない。



「だが————そいつがよく出入りしている場所なら知っている」



「本当か!?」



 アディの言葉に、イノは再び顔を上げる。



 彼女はまた後ろに振り向き、棚から一枚の地図のようなものを取り出した。


 そこには、北のスラム街の略図が描かれていた。



「この場所にあるこの店だ。夜更けにここに入っていくのを何度か見たことがある」



 彼女は地図の南側のある地点を指差していた。


 この場所からもそれほど距離が離れていない地点だ。



 もしここにテーリヒェンが現れ、裏社会の人間と密会などしていようものなら、大きな特種(スクープ)となりうる。



 写真でも音声でもなんでもいい。


 その証拠を押さえられれば————



 希望の光が差した気がした。



「ありがとう! アディ!」



 イノは勢いよく立ち上がる。



 セシリアを見習い、思い立ったが即行動だ。


 場所も遠くないし、今夜中にでもテーリヒェンが現れるかもしれないのだ。



 だが、真っ直ぐと立ち上がったはずの体が、斜めに傾く。


 ふらっと目眩が起こり、イノはその場にへたり込んだ。



「どうした坊主」



 アディがカウンターから覗き込む。



 意識が混濁し、立ち上がる気力がなくなる。


 ぐわんぐわんと脳が揺れるような感覚に(おちい)り、気持ち悪さが胸の部分で渦巻いていた。



 こうなる理由は明白だった。



「……酒が苦手なんだ」



 イノは素直に白状する。


 成人してから酒を飲んでみたのだが、どうも体に合わないみたいなのだ。



 少し摂取しただけでこの有様。



 イノは酒の美味しさが分からない人間だった。


 その様子を見ていたアディは、溜め息を吐く。



「————ったく、最近の若いもんは」



 アディはイノの飲み残しを雑に台所に捨て、代わりに水を汲む。



「ほら水だ」



「……どうも」



 アディに差し出された水を受け取り、イノはそれに口をつける。



「水一杯五百円だ」



「ぼったくりが……」



 破格の値段に、イノは不平を言わざるを得なかった。





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