第4話 賑やかな喫茶店
「ダッハッハハハハハハハハハハハハハ!」
喫茶店の中に豪快な笑い声が響く。
店内はそれなりに人がいて賑やかだったが、この男の笑い声が一番大きかった。
カウンターを挟んでイノの対面にいる男は、丸太のような腕で腹を抱え、顔をしわくちゃにしながら笑っていた。
笑われているのはイノだ。
「いやぁ、初対面の相手に向かって……『俺は罪な男だぜ』だって……それはキメすぎだろ、アハハハハハ!」
「ほっといてくれよ……クルトさん」
イノはその男、クルトというその大男におちょくられ続け、不貞腐れるしかなかった。
そもそも、そこまでは言っていない。
誇張しすぎである。
この店に来ると、イノは何かしらの理由でいじられるわけなのだが、今日のは彼にとって傑作らしい。
ずっと笑っていた。
「ちょっと、そんなに笑わないであげてよ」
すると、隣にいた女性が笑っているクルトを咎める。
賑やかなクルトとは正反対で、その女性はおしとやかで優しい印象を受ける。
彼女は救急箱を用意して、イノの治療をしてくれていた。
「これが笑わずにいられるかよ!それで、最後に『俺に触れると火傷するぜえ』だって……いやあ、おもしろい!」
「いやだからそんなこと言ってないって……」
「やめてあげなよ。イノ君もカッコつけたかったんだから黙ってあげな」
「ウ、ウラさん、それはフォローになってないです……」
顔の傷にも心にも効く消毒だった。
女性の店員、ウラはテキパキとイノの顔にガーゼを貼る。
とりあえずは出血も止まったし、痛みも引いた。
「ありがとうございます。ウラさん」
「いいのよ。あまり無茶しちゃダメよ」
ウラは救急箱を片付けて後ろに下がる。
落ち着いて冷静に考えてみると、さっきのことがまた頭をよぎる。
悲しみに満ちた父親の顔とその声、そして娘さんのこと。
イノはあの子を見送った日を思い出す。
『エンゲルス』の隊長を務めたあの子は、いつの間にか心が強くなっていた。
状況が彼女をそうさせたのだろう。
大罪を犯した自分は、まだ弱いままだ。
「まあまあ、俺はお前が生きててよかったよ。人間生きててなんぼなんだぜ」
クルトはそんなイノを励ましてくれる。
だが、あまり気持ちは晴れなかった。
「俺は、あの父親の娘さんを殺したも同然なんです。誰かに殺されたって――」
「そんな妙な理屈こねるんじゃねえ。お前はこれからも生きて幸せになるんだよ」
クルトの言葉にイノは黙りこくるしかなかった。
確かに、イノが死んだところで何かが変わるわけでもない。
だからといって幸せに生きると開き直れるほど、イノの心も、取り巻く環境も、単純ではなかった。
「はい、これ」
ウラがそんなイノの姿を見かねたのか、イノの前に料理を出す。
「まあ、食え。腹一杯にして怪我も早く治しちまえ」
それは、みずみずしい野菜と、肉の油で艶を出しているベーコンをパンで挟んだ『ベーコンサンド』だった。この夫婦がやっている店、『喫茶店イステル』の名物である。
「今日は俺の奢りだ」
「ちょっと!勝手なこと言わないでよ!」
ウラは旦那の肩を引っぱたく。
結構強い力で叩かれたクルトは、ムッとした表情をした。
「なんだよぉ!ここは男として奢ってやるのが常識だろう」
「かっこつけすぎなのよ!イノ君のこと言えないわよ」
「んだよケチ臭えなぁ、俺の金なんだからどう使ったっていいだろ!」
「あんただけの金じゃ無いのよ!だいたい最近いつも無駄使いばっかして!」
二人の白熱した戦いが始まった。
いいぞー、やれやれー、という野次があちこちから聞こえだす。
これもこの店の名物だ。
二人のやり取りを見ていたら、不思議とさっきまで考えていたもやもやとした感情が薄まっていくのを感じた。
笑ったり、怒ったり、感情を豊かに表現するこのおしどり夫婦を見ているのは、イノのネガティブな感情に対する処方箋だった。
イノの顔が穏やかな表情になる頃、喫茶店の入り口の扉がカランコロンという音を立てる。
「やっぱりここにいた」
誰かが喫茶店の扉を開けて入ってきた。
それは、薄鈍色の作業服を上下に着込んだ、一人の少女だった。
「休憩は終わりみたい、イノ」
彼女はイノの名前を呼んだ。
イノは未だ喧嘩をしているクルトとウラに声をかける。
「クルトさん、ウラさん、色々とありがとう」
イノはベーコンサンドを手に持ったまま、お金をカウンターに置いて出口に向かう。
いらねえってのに、とクルトの声が後ろから聞こえた気がするが、イノはそれを無視して店を出た。