第39話 クルト・イステル
「こ、こんなこと、やってられるかあああ!!」
短髪で細身の軍人が声を荒げ、近くにある輸送機の座席を蹴る。
ガンッ、という大きな音に、その場にいる唯一の女性がひいと悲鳴を上げた。
「いきなりどうしたんだよ! ベント」
「どうもこうもないわ! こんないかれたところにいてられるかってんだよ!」
その場にいた軍人の一人が、暴れ出した者の名前を呼んで制止を試みるが、その者の激昂は止まらない。
男は周りにあるものを全て蹴り飛ばして散らかし、その場にいる全員を指差した。
「俺を帰らせろ! さもないとここで全員殺すぞ!」
男は目を血走らせながら、怒鳴り散らす。
声には怒り、というよりは恐怖が滲み出ていた。
その様子を見かねた部隊の隊長————クルト・イステルは立ち上がる。
そして、ベントという男に詰め寄った。
「隊長……」
「ベント、もうやめろ」
クルトは冷静に彼を諭すことに努める。
ベントは一瞬たじろいたように見えたが、それでも身を引くことはなかった。
「隊長、いやクルトさん! あんたは軍に迎合するような男じゃなかっただろう! 俺は何にも縛られないあんたの生き様を尊敬すらしていたのに……!」
ベントは声を張り上げて、クルトに訴えかける。
失望したように顔を背け、クルトがベントにかけた制止の言葉を一切聞かないつもりのようだった。
そして、ベントはクルトを両手で突き放し、自分との距離を取らせる。
「このまま死ぬくらいだったら、ここで全員殺して、作戦ぶっ壊して、帝国軍に一杯食わせてやるんだ!」
彼の恐怖が、焦りが、生への渇望が、周囲の人間に伝染していくようであった。
いつ誰がベントに賛同して、暴動が起こってもおかしくない。
クルトは自分の腰に手を当てて、大きく息を吐く。
そして、ベントとの距離をさも簡単に詰めていった。
「まあまあ、落ち着けよ」
クルトはベントの肩をばんばんと叩いて、がっちり肩を組む。
そのまま、近くの座席に彼を座らせる。
「そんなに帰りたいんだったら、帰っていいぞ? ベント」
「え?」
クルトはとんでもないことをなんとなしに言い放った。
その場にいた全員が目を丸くしてクルトを見る。
クルトはベントの肩を掴みながら、言葉を続ける。
「お前には優しいお母さんがいたよなぁ。俺も一度世話になった。飯がうめえんだ。そうだろ?」
クルトはエルステリア人の中でも顔の広い人間だった。
店が繁盛していたというのもあるが、それ以前に彼の人柄が、周りの人間を惹きつけていた結果である。
クルトの言葉に、ベントは大きく頷く。
「ああ、自慢のおふくろだ」
「そうだな、お前がそんなに嫌だったら、そんなお母さんの元に帰ってもいいぞ」
クルトはベントにあくまで優しく声を掛ける。
だが、次の瞬間、クルトの顔が凄みを増した。
「そんな大事な母親が、魔族に食い散らかされて殺されてもいいんだったらな」
「!!」
クルトは一転して残酷なことを、これも何一つ表情を変えずに言うのだった。
あまりの発言に、部隊員の全員が一歩後ろに下がった。
唯一の女性隊員は、両手で口を抑えて息を呑む。
ベントは目を見開いて、クルトを凝視していた。
「な、なんてことを……!」
脅しとも言えるその発言は、今から帝国のために犠牲になる人間の言葉とは思えない。
まるで、冷徹な帝国軍人のような怖さがあった。
だが、クルトとて、人の心、エルステリア人の心を忘れたわけではなかった。
ちゃんとした理由がある。
「だってそうだろ? ここで作戦を放棄するということはそういうことだ」
クルトは立ち上がって、部隊員の方を向く。
そして、同じエルステリア人の血を引く隊員達に呼びかけた。
「作戦が失敗すれば、同胞達はどう思う?」
クルトは部隊員に問う。
このまま、ベントが反旗を翻せば、作戦は中止になるだろう。
作戦に失敗したクルト達への所業はどうなるかは分からないが、作戦が失敗し、延期になることは世間に知らされることになる。
「この特別作戦が有用ではないと世間に露呈すれば、エルステリア人達は特別作戦により消極的になる。なんならクーデターだって起こるかもしれない」
特別作戦は確実に足踏みすることになる。
だが、そうしている間にも魔族軍は侵攻していく。
次の特別作戦の目処が立てられず、ただただエルステリア人の暴動に手を焼いている間、帝国の周りは瞬く間に魔族に囲まれる。
これが迎える結果は想像に難くないだろう。
「俺は、家族が死ぬかもしれないと分かっていて、この作戦を放棄することなどできない」
「……」
クルトの言葉はこの場の全ての人間を黙らせた。
それだけ、クルトの言葉には説得力がある。
クルトは改めてベントの方に向き直り、彼の返事を待った。
特別作戦は七人揃わなければ決して実行することはできない。
それを分かった上で、選択肢をベントに預けたのである。
ベントは心を落ち着かせるように、息を大きく吸って、吐いた。
「……分かったよ、クルトさん。お袋を死なせるわけにはいかねえ」
おそらく、ベントがそれでも作戦を放棄すると言っても、クルトは止めなかっただろう。
だが、クルトの言葉に納得し、ベントはここから逃げないことを決めた。
その言葉を聞いて、クルトは安心したように笑う。
いつもの晴れ渡るような笑顔を見せながら、彼の肩に手を置いた。
そして、心の底から言うのだった。
「悪いな。最後の俺の我儘に付き合ってくれ」




