第3話 騎士のような軍人
イノが考えるのをやめようとした、その時だった。
「ガハァッ!」
イノの首元が解放されて、視界が開ける。
咳き込みながら体を起こすと、イノの体にのしかかっていた男は横に吹き飛ばされていた。
「何をしている!」
イノは男を吹き飛ばした声の主を探す。
そこに現れたのは、一人の軍人だった。
「街での暴力行為は固く禁じられている!無抵抗の相手に暴力を振るうとはどういうことだ!」
深紅の軍服と軍帽を着こなし、肩には『帝国軍准尉』を表す階級章が付いていた。
目を見張ったのは、その人物が女性だったことだ。
肩の下まで伸びる赤毛の髪は艶があり、分厚い軍服の上からでも、すらりとした女性的なスタイルが見てとれた。
輝かしい剣を男の方に向け、仁王立ちで立つその姿は、さながら騎士のようであった。
「帝国軍人……やはり、わしがエルステリア人だからこんなことを……!」
「エルステリア人かサラメリア人かは関係ない。ルールを破ったものは、誰であろうと処罰の対象だ」
その女性軍人は淀みなく言い切る。
彼女には人種の区別などなく、ただ正義を執行することを目的としていた。
「さあ、処罰のために私と同行してもらおう」
女性軍人は剣を構えながら、一歩、男の方に歩み寄る。
武器を前にして迫り来る軍人の姿に、その男の顔には恐怖が滲んでいた。
男は裏道に倒れ込んだまま、這うようにして女性軍人から距離を取ろうとする。
「待ってくれ……」
男の方に向かおうとしたのを、イノが彼女の肩を掴んで止めた。
彼女は、軍帽を目深にかぶったその顔をこちらに見せる。
その碧眼は、透き通った宝石のようだった。
「お前————」
「いいんだ……俺が先に、彼に悪いことをした。暴行を受けたのは、俺の自業自得だ」
イノは息も絶え絶えになりながら説明する。
このまま、彼が捕まるなんてことになってしまえば、彼の娘さんにも顔向けできない。
イノの肩を掴む手に力が入る。
「しかし―——―」
彼女がまだ何か言いたげであったが、その前に男が裏道を抜けて、逃げ出した。
その場には、イノとその女性軍人だけが取り残された。
イノはふうっと息をつき、肩を掴んでいた手を離す。
鼻血を拭いながら、その場を後にしようとする。
「なぜ、抵抗しなかった」
女性軍人に質問され、イノは歩みを止めた。
「あの男は、お前を殺す気だったはずだ。なのに、お前はそれに抗おうともせず、されるがままだった」
彼女はイノが首を絞められるところを目の当たりにしていた。
彼女にとっては、イノが抵抗しない理由も、男を咎めようとしたのを止める理由も、分からないのだろう。
女性軍人は、イノを問い詰める。
「答えろ。お前はどうして死を受け入れようとした」
「……死を受け入れるだけの、罪を犯したからだ」
イノは振り向かずに、彼女の問いに答える。
答えになっていないかもしれないけど。
イノはこれ以上、彼女に語る気はなかった。
「それはどういう――」
「興味本位で聞いてるんだったら、やめてくれないか」
言葉の意味を問おうとする彼女を、イノは拒絶する。
今すぐにでもここから立ち去りたかった。
イノはその女性軍人を置き去りにする。
あの男も散っていったあの子も、きっと彼女も鎖に囚われている。
俺が、彼らの鎖を解いてやることはできない。
なぜなら、俺の手も鎖に縛られていて、身動きが取れないからだ。
この鎖が解ける日は来るのだろうか。
解放される日が来るのだろうか。
もし、その日が来ていれば――——
俺は、あの子を助けることができたのだろうか。
曇天の空に息を吐きながら、イノはそんな事を考えるのだった。