第210話 勝ち目のない戦い
「それについては、弁護人、ディルク・シャハナーから罪状の否定をさせていただきます」
審議場にいる全員の視線が、突然声を発したディルクの方に向けられる。
中央で下を向くアイナも、少しだけこちらに反応を示した。
「では、弁護人の意見を聞こう」
ギルベルトが発言を促し、ディルクは一歩前に出る。
踵を打ちつけ、胸を張って彼は主張した。
「当官、アイナ・パップロート准尉は、感情的な理由で逃亡を図ったのではなく、オペレーションに重大な支障が出た故に、作戦行動を中止したのだと考えます」
ディルクの声が、審議場に響き渡る。
アイナは作戦から逃亡したのではない。
これだけは断言できる。
ここでの問題は、この主張をいかにあの旧体制派に通すかだ。
「当作戦に使用された魔法は観測班からの報告によると、『ライト・ピラー』ではない、かなり異質な魔力波動であったそうです。ここから考えられるに、准尉は特別作戦用の魔石がすり替わっているという重大なインシデントにより、作戦続行は不可能と考え、戦線を離脱したのでしょう。彼女の判断は妥当だと考えます」
場内が少しざわめいた。
魔石がすり替わっていた、という情報は公開されていない。
作戦にアクシデントがあったかどうかは、アイナの戦線離脱の正当性を証明するものだ。
この部分を押し通せば、少なくともギルベルトはこの事実を客観的に判断してくれるはず。
「したがって、作戦の責任官として多少の処罰は必要でしょうが、極刑にまではいたらな————」
「ふぅん、それで?」
ディルクの発言が終わるの待たずして、口を開いたのは向かい側にいるテーリヒェンだった。
大きい鼻から溜め息とともに無数の鬱憤を吐き、こちらを睨みつける。
「それは証拠があっての物言いだろうな?」
テーリヒェンの発言とともに、再びイノ達に視線が集中する。
早速だ。
この男は、必ずいちゃもんをつけてくると思っていた。
ディルクは顔を顰める。
そう、現在イノ達は————
アイナの行為が敵前逃亡ではないという証拠を、持ち合わせていなかった。
*
約十時間前————
ギルベルトが審議を執り行うと宣言し、集団が解散した後。
イノ達とディルクは、アイナの審議のために、喫茶店『イステル』で作戦会議を行っていた。
「こ、この審議に勝ち目はない!?」
セシリアが喫茶店の机を叩いた。
普段ならウラがその行為を咎めるが、今回は何も言わない。
「まさか……裁判という形で決めようなどとはな」
勝ち目はない、と堂々と敗北宣言をしたのはディルクだった。
頭を抱えているディルクからは、絶望に近い感情が見て取れる。
「どうしてでしょう? 軍は我々の抗議を受け入れ、交渉の場についたということなのでは?」
「少し違うな。ギルベルト様は今回の抗議活動に対する交渉の場を用意したのではない。パップロート准尉の審議を行うと言ったのだ」
つまり、この話し合いはあくまでアイナに罪があるかどうかが論点となる。
帝国のあらゆる審議において、『ヘクセ・フェアブレ』の決定は絶対だ。
『ヘクセ・フェアブレ』が判決を下した時点で、容疑者は確実に、潔白者、あるいは罪人となる。
どんな理由があろうと、神が決めた罪人を擁護するのは悪だ。
もしアイナが、罪人となってしまった場合、エルステリア人達も抗議活動を続けることが難しくなるだろう。
そして、アイナに罪があるということは、もうほぼ決定事項とされているところだ。
「止むに止まれぬ事情があろうと、准尉は作戦にイレギュラーを持ち込んでしまった責任を問われることになる。今回の目標は、その罪をいかに軽くできるかだ」
「そんな! アイナが作戦を中止したのは、あたし達が魔石を新魔法のものに取り替えたからでしょ? アイナは悪くないじゃん!」
「それを決めるのは俺達じゃない。その場の審議官だ。審議官は軍規に則り、憶測ではなく事実のみで結論を出す」
そして、ここでの事実というのは、アイナの部隊が当初の作戦内容にはない行動をとった、ということである。
それは軍旗違反であり、隊長の監督責任が問われる。
作戦で何があったかは、結局のところセシリア達にとって憶測に過ぎない。
魔石を取り替えたのは、セシリア達にとって確かな事実なのだろうが、その魔石が本当に使われたのかも、具体的にどんな結果になったのかも、正式な記録としては存在しない。
それは、その時戦場にいた人間にしか分からない。
その憶測だけで、事実と証拠を重視する審議の場に挑まなければならないのだ。
「そして————審議場にいる人間は、恐らく全てが俺達の敵だ」