第194話 最後に残る欲望
「————ちょっと、通してください」
人混みの後ろの方から声が聞こえる。
エルステリア人達を掻き分けて、前に出てきたのは一人の初老の男だった。
その顔を見て、イノは息を呑む。
彼の名は、カルステン・リール。
二つ前の特別作戦、イノが見送ったあの金髪の女の子の父親だった。
「この前はすまなかった」
彼は脈絡もなくイノに謝罪した。
黄土色の髪で、彼の顔が見えなくなる。
頬がこけていて、少し痩せているが、以前会った時よりも顔色はよく思えた。
「激情に任せて君を殺そうとした……でも、それは私が弱い人間だったからなんだ」
彼と最後に会ったのは、軍本部近くの大通りの路地裏。
娘さんを自爆魔法士にしたことを責められたことがあった。
あれから色々なことがありすぎて、なんだか、随分と昔のことのように感じる。
カルステンは深く下げていた頭をあげた。
「あの後、娘のことを色々な人から聞き、人間として立派になった娘の姿を見た。部隊入りが決まってから前に進めていなかった私には知り得ない姿だった」
『エンゲルス』、それも隊長になった人間は、信じられないくらいの成長を遂げる。
死の淵に立たされた者の最後の輝きなのだろうか。
だとすれば、これ以上に悲しい輝きはない。
イノはその姿を嫌と言うほど見てきた。
本当に、嫌だと思うほどに。
「だけど、もう私にだってわかる」
すると、カルステンはイノの肩を掴んだ。
強く、何かを伝えたいという意思が、その腕から伝わってくる。
「君が現実を食い止めてくれていたんだろう」
思いもよらない言葉をかけられ、イノは目を見開いた。
「彼女は君の名前をよく口にしていたそうだ。君がいたから、私達は前を向けたんだと」
家族や居場所、思い出も何もかも。
エルステリア人の未来を。
後のことを全て、君に託すことができたから。
彼らは、ただ真剣に敵を滅ぼすことに、死と向き合うことに注力できた。
「私達はいつでも爆発する危険があった。それを君は、ずっと食い止めてくれていたんだ」
時には頭を下げて、時には暴力を甘んじて受けて。
嘘を言ったこともある、強い言葉で誰かを泣かせたこともある。
それでも、散っていった彼らとの約束をただ守るために、たった一人で、エルステリア人達と向き合っていた。
無論、塞ぎ込んで誰とも会わなかった私のところにも、君は来ようとしてくれていた。
カルステンは熱のこもった言葉を続ける。
「君がずっと頑張っていたことは『ダンテ』のみんなが知っている」
彼はイノの目を真剣に見つめて、訴えていた。
その場にいた他の皆も頷いてくれていた。
「————どうだろうか。君がまだ我々に対して制止が必要だと判断したなら言ってくれ。もし、そうでないなら————私は君を全力で支援するよ」
君がしたいと思うことをすればいい。
カルステンはそう締めくくり、イノの肩から手を離した。
前にも後ろにも、イノの味方がいる。
イノが一人で進もうとするところを引き留め、進めないときは背中を押してくれる。
最初は、ずっと一人でなんとかしようとしていた。
アイナを救うことも、『エンゲルス』員の意思を継ぐことも。
でも、ルビアやセシリア、そしてオスカー。
みんなに諭され、時には頑固なイノの頭に力づくで教えてくれた。
一人で背負い込んだものを引き剥がされた。
負担を分配して、共有できるのがチームなんだ。
それを、イノはこの数週間で思い知った。
イノが背負っていたいくつもの負担、リスク、考慮事項。
それが取り除かれた時、イノの中に残るのは純粋な魔法技師の欲だ。
アイナも救って、エルステリア人達を全員守り抜く。
強欲とも言えるそれが————
イノが今一番したいことだ。
「アイナを助けに行きます。どうか————よろしくお願いします」
イノはその場にいるみんなに向かって、深く頭を下げた。
イノの中に残る欲。
それには、希望という名前がついている。




