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第185話 最初のカード

 アイナ達がちょうど目を覚ましていた頃、イノ達も行動を始めていた。



 空は未だに太陽を隠し、静かに泣くように雨をこぼし続けている。


 それが傘に当たる音を聞きながら、イノ達は待ち合わせ場所へと向かっていた。



 地区『ダンテ』の中でも人通りの少なく、奥まったところ。



 喫茶店『イステル』



 こぢんまりとしていてどこか可愛く、どこか哀愁の漂うこの店には、この夏くらいまではかなりの頻度で通っていた。


 ここのベーコンサンドとコーヒーが好きだったのだ。



 柔らかい空気でどこか口が軽くなって、面白くもない話や柄にもない話をたくさんしていたような気がする。


 クルトがいなくなってからは足が遠のいてしまって、ここに来るのは随分と久々になってしまったものだ。



「————イノ、大丈夫?」



 すると、後ろにいるセシリアから声がかけられた。


 どうやらしばらくの間、感傷に浸ってしまったらしい。



「ああ、すまん。大丈夫だ」



「そろそろ時間ですね。中に入りましょう」



 オスカーが手元の時計を見て時間を確認している。



 そうだ。切り替えよう。


 ここには非常に残念なことに、お茶を飲みにきたわけではないのだ。



 サラメリア人の入りづらいエルステリア人地区。


 それもマイナーな場所にある小さい喫茶店。



 (はか)りごとをするには最適な場所だ。



 イノは傘についている水滴を払って小さくまとめる。


 そして、木製の扉についているベルを鳴らしながら、中に入った。



「おおっと————遅かったな。待ちくたびれたぞ?」



 入って早々、(しゃが)れた声が聞こえてきた。


 喫茶店中央の席で、でかい態度で、イノ達を待ち受けていた人物。



 帝国士官の中でもアウトロー。



 ラルフ・メービウス。


 西の防壁で通信部隊隊長を務める荒くれ者であった。



「おいおい、なんだその格好は。いきなり仮装行列でも始まっちまったのか?」



 ラルフは品のない持ち方でコーヒーカップを傾けながら、頬杖をついてこちらに目を向ける。



 イノの後から入ってきたセシリアが奴の顔を見るなり、苦い物を口にしたかのように顔を歪めた。


 半笑いでこちらを揶揄してくる軍人らしからぬ軍人に、セシリアは突っかかる。



「なんであんたがここにいんのよ! それにそこのイノならともかくあたしは普通でしょ!?」



「この時期に半袖シャツ一枚なのもどうかと思いますけど———いたっ!」



 セシリアが余計なことを言ったオスカーを叩く。



 もうすぐ吐く息が白くなりそうな季節で、薄着のまま上着を腰に巻いているのは確かに異常だ。


 ちなみにイノの格好は、いつもの()()()()()()()()()()()()()()()()である



「三人ともどっこいどっこいだよアホンダラ。こんなところに薄汚い作業着で来るもんじゃねえよ」



 かく言うラルフも、決して綺麗な服装をしているわけではない。


 これでもかというくらいに着崩した軍服、ゲートルなどなく脛くらいまでしかないパンツにまさかのサンダルだ。



 色褪せた軍服は、所々黒ずんでいる。


 火薬や銃弾の痕だったら立派だが、どうせ四六時中吸ってる()()()()だろう。



 ラルフはコーヒーを一飲みすると、懐から取り出したライターを弾き、煙草に火をつけようとする。


 だが、彼の後ろから手が伸び、それを取り上げられた。



「うちは禁煙だよ。おっさん」



 冷たい目をしてラルフを見下ろしているのは、『イステル』の店主、ウラだった。


 エプロン姿に分かりやすく膨らみがあり、お腹の子がすくすくと育っていることが分かる。



「それはすいやせんね、『イシュアル』家のお嬢様。随分と感じが変わったじゃねえの」



「その名前はとうの昔に捨てたよラルフ。本気で叩かれたいかい?」



「……フン、悪かったよ。マダム・イステル」



 ラルフは咥えていた煙草をしまった。



 随分と互いに知ったような口調だったが、二人はもしかしたら知り合いなのか?


 クルトが前線で突撃兵をやっていた頃、ラルフとは同じ班だったという話をいつか聞いたことがある。


 その時に、二人の間に何かあったのかもしれない。



 イノが推測していると、ラルフがこちらに視線を戻し、手招きをしてきた。



「まあ座れよにいちゃん。思いの外元気そうで良かったってもんだ」



 ヘラヘラと笑いながら奴は言う。


 その態度に少しイラついた。



「どの口が言ってんだ。俺はお前の適当な助言で死にかけたんだぞ」



 ラルフの提案によって随分と遠回りをさせられた。



 切羽詰まっていたイノにラルフが与えた策は、この国の闇の部分に足を突っ込み担当士官(テーリヒェン)の汚職を掴んで、それを持って作戦立案から破綻させようというものであった。



 普通に考えれば随分と無茶な話だ。


 テーリヒェンに後ろ暗い部分があることは分かっていたものの、ただの魔法技師が闇組織相手に探偵まがいなことをやってのけられるわけがない。



 もちろんそんなうまくいくはずもなく、イノはただ心の闇を植え付けられただけだった。


 最初から新魔法の開発に取り掛かり、もっと早く魔法を完成させていれば、こんな面倒なことにはなっていなかったかもしれないのに。



「あーあー、それは悪かったと思ってるよ。まさか本気だとは思わなくてな」



 嘘だ。


 情報屋まで紹介しておいて、それは通じない。



 イノが何か言い返そうとしたところを、ラルフが腕を突っ張って静止させられる。



「だから、お詫びにお前の頼みを聞いてやったんだろうが。これでも苦労したんだぜ? あいつをここに連れてくるってのは」



 ラルフがそう口にした瞬間、喫茶店の入り口が開いた。



 中に入ってきたのは、帝国軍人。



 イノ達が用意した()()()の最初のカードだ。




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